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「自分らしさ」まで裁かれる世界で、死なないために。戸田真琴さんが提案する「オンリーワンにもならなくていい」生き方

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昏睡状態の人とどう対話する? 言葉はいらない、身体だけ 続いて行われたワークは、「昏睡状態の人との対話法」。 昏睡状態(今回はペアの片方が、昏睡状態を演じた)の相手の身体に触れ、呼吸を観察し、自分の呼吸を合わせていく。 そして、相手の動きを観察し「左の瞼が少し動きましたよ」など、その動きを声に出して伝える。 このワークでも、普段は感じ得ない感覚が身体を巡っていった。 自分が触れている相手と、呼吸、流れている時間、動作の歩幅が合うことで、自分と相手の身体の輪郭がふわっと溶けていくようだ。 自分という身体がいちばん身近でありながら、いちばん見えていない。 触れる手と優しい声、そんな他者の存在と動きを接点にしながら、自分の身体を自分に引き寄せていくようだった。 この発展系として行われたのは、相手に触れながらも言葉はかけず、ひたすら呼吸を合わせるというもの。 そして、その次は6人のグループになり、円になって隣の人の肩に手を触れ、呼吸を合わせていく。 参加者から発せられた「1本の木みたいだった」という感想が印象的だった。 その場に受け入れられたような安心感、ひとつの大きな呼吸の波に飲み込まれていく心地よい無力感。 身体が引き伸びて、その波のなかにいる人々がひとつの大きなうねりになったようだった。 手の感覚を通じて他者に触れ合ったこれまでのワーク。 次はコミュニケーションの対象をモノに拡大していく。 椅子、壁、床……触れることで、世界と身体の関係を結び直す 砂連尾:自分とモノって、言葉では区切れますよね。 言葉は世界を分節化していくので、それによって世界を認識しやすいんですけど、他者に触れて自分の身体を緩めていったように、手の触覚から、まわりのものや壁、床、服などを捉え直し、分節化された世界を溶かすように曖昧にして、改めてまわりの世界との関係を結び直していきましょう。 砂連尾理(じゃれお おさむ) 1991年、寺田みさことダンスユニットを結成。 近年はソロ活動を中心に京都・舞鶴の高齢者との「とつとつダンス」、宮城・閖上(ゆりあげ)の避難所生活者の取材が契機となった『猿とモルターレ』を発表、また映画『不気味なものの肌に触れる』(濱口竜介監督)の出演、振付など。 立教大学現代心理学部・映像身体学科特任教授。 来場者は、今まで自分が座っていた椅子、壁などにじっくり触れていく。 約5分間の静寂。 人々が身のまわりを文字通り手探りで捉えようとする音が聞こえる。 筆者も実際に椅子をずっと触っていた。 座席の面、脚、背もたれ……ざらっとしている、軽い素材、ひんやりとした温度、硬い……そんなことを考えているうちに、だんだん自分がなにを触っているのかわからなくなってくる。 なんだか今まで認識していた世界がぐにゃっと曲げられているような気がした。 そんな感覚のなか、最初に行ったワークをもう一度やり直す。 暗闇のなか人々がダンスするように、手の動きを合わせていく。 委ね合うということが、最初よりもすっとそれぞれの身体に入ってきている。 暗闇のなかに、それぞれの身体の輪郭が立ち上っていたようだった。 イベント情報 『True Colors ACADEMY ~第1回「からだのミカタ」~』 2019年11月12日(火) 会場:渋谷スクランブルスクエア15F SHIBUYA QWS ゲスト: 砂連尾理 稲葉俊郎 戸田真琴 企画: 『True Colors ACADEMY』ディレクター True Colors ACADEMYでは様々な人生背景を持つ人や物語と出会うことを通じて、日常の中で置き去りにされがちな社会課題や違和感に接近していきます。 刺激的な学びの場である公開講座型の「LECTURE(レクチャー)」シリーズと、対話と実践を繰り返し、より深く社会課題に接近していくメンバーシップ制の「STUDIO(スタジオ)」プログラムを通して、多様な個性が共存する社会の実現を目指していきます。 『True Colors Festival』 「超ダイバーシティ芸術祭」。 障害・性・世代・言語・国籍などのあらゆる多様性があふれ、皆が支え合う社会を目指し、ともに力を合わせてつくる芸術祭。 1年間を通して多彩なパフォーミングアーツの演目を展開します。 アートを通して色々な個性が出会う場に、参加することでより多くの気づきが生まれます。 「True Colors Festival」はダイバーシティ&インクルージョンの実現に向けて、新しい価値観が生まれる機会を創出します。 プロフィール 砂連尾理(じゃれお おさむ) 1991年、寺田みさことダンスユニットを結成。 近年はソロ活動を中心に京都・舞鶴の高齢者との「とつとつダンス」、宮城・閖上(ゆりあげ)の避難所生活者の取材が契機となった『猿とモルターレ』を発表、また映画『不気味なものの肌に触れる』(濱口竜介監督)の出演、振付など。 立教大学現代心理学部・映像身体学科特任教授。 稲葉俊郎(いなば としろう) 医師、東京大学医学部付属病院循環器内科助教。 医学博士。 1979年熊本生まれ。 心臓カテーテル治療、先天性心疾患が専門。 在宅医療や山岳医療にも従事。 西洋医学だけではなく伝統医療、補完代替医療、民間医療も広く修める。 2011年の東日本大震災をきっかけに、新しい社会の創発のためにあらゆる分野との対話を始める。 単著『いのちを呼びさますもの』(アノニマ・スタジオ)、『ころころするからだ』(春秋社)など。 戸田真琴(とだ まこと) 2016年にSODクリエイトからデビュー。 その後、趣味の映画鑑賞をベースにコラム等を執筆、現在はTV Bros. で『肯定のフィロソフィー』を連載中。 ミスiD2018、スカパーアダルト放送大賞2019女優賞を受賞。 愛称はまこりん。 初のエッセイ『あなたの孤独は美しい』を2019年12月に発売。

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「自分らしさ」まで裁かれる世界で、死なないために。戸田真琴さんが提案する「オンリーワンにもならなくていい」生き方

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突然ですが、タイトルのとおり、Twitterをやめようと思います。 本日急に思い立ったかのように見えるかと思いますが、実のところここ一ヶ月くらいずっとそのことを考えていました。 もちろん、ファンの皆さんと気軽に交流できる場であるSNSのことは大事にしていましたし、AV女優としてデビューする際には自分に与えられた武器だと思って一生懸命に取り組んでいました。 私が3周年を迎えた今こうしてメーカーや事務所に価値を認めてもらい居場所をいただけているのも、初めのころの頑張りが繋いでくれた結果だとも思っています。 しかし、ここ最近のSNS、特にTwitterに蔓延する空気には違和感を抱いてしまうようになりました。 毎日のように話題がすり替わっては交わされる議論という名のネットリンチ、(そもそも140文字という制限があるツイッターでは議論をすることは不可能だというのに、それでも言葉を削って過激化した議論が交わされ続けている)電車内や街中にいる人を撮影したものを平気でネット上に掲載する行為(撮影対象が注意されるべき行動をしているとしても、ネットにUPするのではなく通報など然るべき対処だけをするべきだと思う)、そういった世間のSNSリテラシーの崩壊に日々疑問を感じつつも、自分自身TwitterというSNSにハマってしまっているところもあり、毎日何時間もタイムラインを眺めたり、自分がUPした画像のいいね数を気にしたり、フォロワー数を人と比べて一喜一憂したりしていました。 私はプライベートの友人との交流用に昔持っていたアカウントを含めるとかれこれ7〜8年はTwitterを利用していたことになりますが、その間にどんどんこのSNSを取り巻く空気感は変化していったように感じます。 それも、悪い方に。 私はこのSNSを今後も続けていくのはちょっと無理かもしれない、と意識し始めたのは、あるツイートが拡散されているのを見てからでした。 それは、日本人がアフリカで象牙の密漁のためにゾウを殺し頭ごと切り取って持ち去っているという告発・問題提起を目的としたツイートで、その文言のとおりに頭を切り取られ血を流しているゾウの身体がカラーの鮮明な写真で添付されていました。 その画像は動物、特にゾウが大好きな私にとって言葉を失うほどショッキングで、その時にこのSNSの持つ画像フィルタリング(不適切な画像を判断し視認させる前に警告を表示する機能)が事実上意味を成していないということに気がつきました。 このツイートの持つ意図が、見た人にショックを与えることによってよりインスタントに内容を拡散したい、というものであったとして、そういった広告の仕方は手法としても便利だということもわかりますが、なんの警告もなしに何気なくタイムラインに流れて来るにはその画像はあまりにグロテスクでした。 (その後その事実はでっちあげだと主張するツイートも見かけましたが、どちらもネット上でしか見かけていない情報なので真意は確かめていません。 また、ここでは真意に関わらないところでこのツイート自体に問題があるという主張をしています。 ) 仮に正しい主張をしているとして、正しい主張のためならばどんなグロテスクな画像を拡散してもいいのか、グロテスクなものを目撃する心の準備のない人にも急に目に入るように表示してもいいのか、とも思えませんでした。 また同じような事例で、都内某所で女性が男性を凶器で滅多刺しにしてしまった事件の際にも、実際に事件現場で野次馬として写真を撮った人の画像付きツイートが何万件もRTされ拡散されていたこともありました。 血だらけになって倒れている人と、返り血で汚れた床、事件の犯人が電話をかけている様子が写っていました。 きっと、拡散ボタンを押すことはとても容易いのだと思います。 親指ひとつ、1秒もかかりません。 ですが、その瞬間、そのショッキングな画像を警告なしに目にしてしまう誰かへの思いやりが消え失せています。 また常識的に考えて、事件現場で捜査前、あるいは捜査中の写真を一般の方が野次馬として撮影し、誰の許可もなくネットの海に放流する、という行為自体が違法性を孕んでいるのではないかと思います。 いいえ、違法性がなかったとしても、人としてあまりに思慮に欠けた行為です。 それが、もしもいいねやRTをたくさんもらえるだろうと思っての行為だとしたら、それってなんだかものすごく怖くありませんか。 刺激があればなんでもいい、もっと刺激があるものをUPしなければ、ともしも思っているのだとしたら、たどり着く先はコンビニ週刊誌に載る死体写真のページのようなものです。 あれはもう何を見ても感情が動かされなくなったひとが最後に縋り付くための劇薬みたいなもので、逆に言うと、死体を見ないとスリルを感じられない、というふうになる前に、もっと日々の深い味わい方を覚え直していかなければいけないと思うのです。 Twitterが頭の切り落とされたゾウや血だらけの事件現場写真の拡散の場になっていること、面白がって拡散する人が何万人といること、その全てが私はショックでたまりませんでした。 ここまでは、ツイッターをやっている誰もが直面する可能性のあった問題点です。 私の場合は、さらにそこに「人気商売をしているから」という理由で上乗せされる苦しみがありました。 まずは、良かれと思ってしているファンの方々との交流の中にも、時折精神の摩耗を感じるということでした。 ほとんどの方との交流はお互いを思いやり、理解し合おうと努め合い、心地のいい距離感と頻度でさせていただけていたのですが(いつも優しく接してくださった全ての方のことがとても好きだと思えていますし、感謝しています。 )時折ご自身の精神的なストレスのはけ口に使われていると感じたり、ひどいパターンだとリプライやいいねがないことに批判的な態度を取られたり、私が毎日仕事をしているということ自体に嫉妬しているような(今日もお仕事頑張ってきました!というような内容のツイートに「楽しそうでいいですね…。 」など、こちらの苦労も想像せずに羨む表現があったり)もっと昔を遡ると誹謗中傷や簡単なところでいうと髪型や容姿に対する批判、いいねが着くまで同じツイートを何度も何度も送ってくる人もいたりと、大きなものから小さなものまで、悪気ないものから明確な悪意のあるものまで、様々な「つぶやき」に心を翻弄されてきました。 イラストを描いてくれたファンの方や写真を綺麗に撮ってアップしてくれたファンの方のツイートに純粋な感謝の気持ちで反応すると、そのような行動をしなかったファンの方が「マウントを取られた」と言ってこちらにも解るように病んでいるアピールをするようになったりと、実際に私自身と反応した対象であるファンの方への間接的な批判と取れる行動もありました。 まあSNSってそういうものだし……という諦めや、もとより劣等感の強い性格の人もいるという事実を受け入れているという点で、冷静に心を広くして受け止めてきたつもりでしたが、今まで何度か現れたそのような類の困った人たちは、それぞれどういうふうに手を尽くしても心を入れ替えてくれることはありませんでした。 そういったことを繰り返すうちに、そもそもどうしてこんなふうに誰かの機嫌を24時間取ってあげなきゃいけないという感覚が出来上がってしまったんだろう、と考えるようになりました。 そもそも、画面の向こうの、(イベントに来れば会えるけれどそれ以外の時間帯はプライベートや他の仕事に励んでいる)家族でもない誰か、さらには本来「応援している」対象であるはずの誰かに、自分の不機嫌を解消してもらいたい、寂しいから構ってもらいたい、他のファンを褒めているのを見てイライラしたから八つ当たりしよう、いいねをくれなかったからネガティブな反応をぶつけよう、と思い至っていること、さらにはそれを何度も何度も繰り返すことは、どう考えても大人としておかしいし、私はこんなストレスを受けるためにSNSをしているわけではもちろんありませんでした。 応援していただいている以上、相当のことがない限りは私から反論はしないのが正しいと思っていたので、言い返すことができるとしても、それはいつももうボロボロに傷ついて耐えられなくなってからのことでした。 きっと好き勝手言ってくる方も、簡単には言い返せないと解っていて言っていたのだと思います。 いつも、応援してくれている皆さんと少しでも近くありたいと思って利用していた場だったのに、その願望が裏目に出て、明らかに距離感を間違えたわがままをいくつもぶつけられてしまう場所になったことが、とても悔しいです。 ほとんどの人が、適切な距離感で交流してくれていたぶん、少数の人からくるストレスに打ち勝つことができずにこのSNSを好きでいられなくなった自分に対しても悔しいです。 AV女優というのは、そもそも矢面に立つことの多い職業です。 作品内でも、現場の指示通りにやったことが利用者のレビューでは女優に対する批判に変わったりするし、わかりやすい例を挙げると「ドキュメンタリー風に撮られたドラマもの」がそれまでの私の出自と異なる内容だった時に「お前は嘘つきだ」と批判されたこともありました。 どんな嘘であれ、私は理由なく自ら望んで嘘をつくことはありませんでしたし、そもそもフィクションの内容に対する感情が短絡的に演者に対する「嘘つき」という批判につながること自体あまりに唐突で理解し難いのですが、そういったことが普通にある世界です。 それはツイッター上ではさらにたやすく行われます。 ある日のネット配信番組内でAV業界の人が業界の秘密を暴露するといったような内容で話をした際、「業界では最近処女ものの撮影は禁止になった」という話題がのぼりました。 私がデビュー作で初体験をしたのは3年も前の話なのでそのルールについてはもちろん初耳だったのですが、その発言を持ち上げ「まこりん、ファンをだましたな」と呟いた人がいました。 そもそもこういった「業界人だけが知っている秘密を暴露する」といった内容でバズろうと企む番組企画自体が私はとても嫌いなのですが(共に仕事をしてきた仲間内を売りに出す行為に思えます)、それを差し引いても嫌悪感を抱くのはこうして、疑問や意見について「簡単にSNS上でコンタクトが取れて」「批判しやすい場所にいる」いち演者に対して、事実を確かめもせずに親指一本で「だましたな」などという言葉を送れてしまうという感覚に対してのことでした。 そもそもAV業界への批判ならば制作会社や協会に対して然るべき段階を踏んで意見を伝えるべきです。 そうしないで即座に私に対して、意見以前の単なる攻撃性を孕んだ「だましたな」という発言を送信してしまえるということは、考えられる動機はふたつです。 しかし、ツイッターの中ではこう言ったことが当たり前に行われています。 毎日、大人のやることではないな、と思わされるようなみっともない行動をしている大人たちを見るのは、それだけでもかなり絶望感を誘発します。 私は、このSNSの中で、普通に暮らしている人と人との関わり合いの中ではそうそう見ることがなかった、人のみっともない部分、身勝手な部分、他人を不愉快にさせることも厭わないほどの強い欲求の発露—本来人前では理性で隠すべきものたち—を毎日のように目にすることが、ほんとうに辛くなってしまいました。 本来は、誰かに言葉を放つことは、もっと緊張感のあることでした。 面と向かっての場合だと間違えたことを言わないように気を張るはずだし、手紙を書くのなら何度書き損じても納得のいく内容に仕上げるはず。 そもそも、誰かと言葉を交わすというシーン自体、然るべき段階を踏んでたどり着くはずでした。 誰か気に障った対象に対して「バーカ」って言うためにだって本来は、その人と連絡先を交換するとか、紹介してもらうとか、そういった何かしらの「意見を言いに行くための労力」が必要とされたはずでした。 どうして、顔も名前も隠した見ず知らずの人に、簡単に攻撃されなくてはいけないのだろう、と、悩んだって答えのない問いを自分の中にしこりのように持ったまま日々を生きるのは、なんだかとても、無駄にエネルギーを奪われることのような、そんな気がするのです。 このSNSに、いいところもたくさんありました。 誰でも手軽にはじめられるからこそ、デビューの頃無名だった私も積極的に利用することができたし、今年の頭に女優賞の投票レースに参加していた際にも、拡散と知名度向上にとても役立ちました。 日々ファンのみなさんから来るリプライには楽しませていただいていたし、一ヶ月くらい前からやめようと思っていたものの今日まで先延ばしにしていたのは、ここ一ヶ月の間みなさんが私の開催したコラボカフェ「まこりんカフェ」に足を運んで写真を取ってツイートしてくれる毎日が本当に心の底から愛おしかったからです。 まこりんカフェという言葉の入ったツイートは全て見ましたし、こういうふうに、自分が計画して仕掛けたものをみなさんが楽しんでくれる、という瞬間がなによりも好きだと感じています。 これからも、思いつくままに自分もファンのみなさんも一緒に楽しめるようなことを企画していきたいです。 その幸せな「まこりんカフェ」の中には、初めての試みで「お手紙BOX」を設置していました。 そこには、普段SNSをやっているだけでは認知することが叶わなかったたくさんの方のやさしいお手紙が投函されていました。 公にAV女優である私のファンだと公言するのは憚られるけれども心から応援していると書いてくれた人、未成年でAVは見たことがないけれど私の文章に勇気付けられているとこっそり教えてくれる人、イベントの時は緊張して話せなかったから手紙に書いてくれた人、いつも会ったりリプライしたりしているけれど、そこで伝えきれないぶんを手紙にしてくれた人…何ヶ月も前の出来事を大事にしてくれていて「あの時こう思ったんです」と書き記してくれた人、遠くから遊びに来て限られた時間の中で楽しんで、伝えたいことを全部手紙に託してすぐに帰って行った人。 それぞれの手紙に物語があって、それらはすべて、私の胸を熱くさせました。 ここにある、手間と時間のかかった真心の中には、取り消されることのない、明確に伝えたいという意思を孕んだ思いがありました。 この優しさの波は、ツイッター上でいいねやリプライが欲しいと喚き散らすわがままさと、なんて遠い場所にあるんだろう。 傷つけるような発言を親指一本で衝動的にしても、削除ボタンを押せばなかったことになると思っている無計画さと、なんて遠いんだろう。 手紙には、投函してしまったら二度と取り消すことができないという覚悟がありました。 そして私は、もしも誰かの思いに翻弄されるのなら、こっちの、当たり前に研ぎ澄まされた真心の方に翻弄されたい。 削除ボタンを押したら証拠隠滅できるような卑怯で矮小な攻撃に、心をこれ以上使うのはやめよう。 と思ったのでした。 これからも私は変わらずに活動を続けていきます。 今まで使用していたツイッターアカウントはそのまま私の活動情報(イベント情報や書いたもの、作品等の情報)をスタッフからお知らせするアカウントとして引き継ぎますし、イベントに来ていただければ誰でも会えます。 手紙は事務所宛に送っていただければ受け取れますし、今のところ悪質なコメント等の影響力が少ないインスタグラムとこのnoteも変わらずに続けていきます。 コアなところですとLINE もあります。 姿はインスタグラムのほかにも当たり前ですが作品内や時たま週刊誌等のグラビア内、マネージャーのインスタグラムアカウント(いつもコメント、ご支持ありがとうございます!)でも見られますし、書いたものは連載をはじめ引き続き色々な媒体にてお目にかからせていただきたいと思っています。 もはや目にうつる人たちみんながみんなツイッターをやっているように見えてしまうし、交流の場としても宣伝の場としても欠かせないものになっている、と錯覚してしまっているところもあるので、正直のところツイッターをやめるのは不安です。 不要なものは見なければいい、とか、ブロックすればいい、といったご意見もあるとは思いますが、私は性格上「私自身が運営している」とみなさんに認識されているアカウントがある以上はそこに「本人が見てくれるだろう」と見込まれて為されるツイートが発生するということですし、そういったものを見ることやこまめにチェックすることを怠るということが、できません。 つまり、便宜上私がやっているアカウントがある限りは、そのアカウントに責任を持ってリプライにも目を通してしまうのです。 それは私の性質なので変えることができませんでした。 いいねやRTがされやすい自撮りや画像も私主体ではUPされなくなるので、これからはどんどん私よりも活動歴が短い女の子たちにフォロワー数も追い抜かされて行くことでしょう。 ツイッターをやめたことで私のことを忘れてしまったり興味をなくしてしまう人もいるかもしれません。 それでも黙して、自分のすべきことを探しながら懸命に生きていきますし、本当の意味で私にご興味を持っていただいている方々にとっては情報が引き続き流れるぶんなんの損害もないとも言えるかもしれません。 見ていたいと思ってくださる方、どうか、このまま目の端に留めていただけたら嬉しいです。 「ツイッターをやめたら遠くなる気がして嫌だ」という気持ちや、もっと言うと「お高くとまっている、最初の頃はもっと誰にでもへりくだっていたのに調子に乗ったな」というお気持ちを抱く人も少なからずいるのだろうな、というところまで予想していますが、まさに、その「ツイッターにいるから近い存在である」という意識こそが、私がこのSNSに抱いている違和感の正体、ここから離れざるを得なくなった要因だと感じています。 いつも、文章を書くとき、誰もがたったひとりの私にとっての大切なあなたとして、あなたにこそ、届いたらいいのにと祈りながら書いています。 AV作品を撮影する時、このビデオが刺さるたったひとりにでも届いたらそれで十分だと思いながら撮影しています。 イベントなどで応援してくれている人たちに会える時、今この握り合った手のうちでちゃんと1vs1の、わたしとあなただけの物語の針がほんの少し進む瞬間であることを確信しています。 いただいたお手紙をひらくとき、まるで思春期の文通相手の文を、もったいないと惜しみながらも食らいつくように、心を込めて、読み解いています。 ほんとうの近さは、たやすく言葉を24時間投げられるとか、いつでも駄々をこねることができるとか、毎日たくさん写真をUPするとか、そういうところには実は関係がなく、双方の心の問題に限るのだと思っています。 今、その気持ちをちゃんと、取り返したいと望んでいます。 簡単に人を傷つけたり、自身の人生に対する不満足を喚き散らすことができるツールがあっても、それでも美しく生きていたい、できるだけ誰も傷つけず、誰のことも憎まず、生きていたいと願うことには、不変の価値があります。 私は、美しく生きていたいです。 わたしの未熟さゆえに、このSNSに奪わせてしまった膨大な時間と心の安らぎを、自分の手で取り返したいと思っています。 ちょうど、私はこれから映画を撮ります。 本も出します。 本当にあなたに近くありたいから、心なんて全部あげるつもりでいます。 それは、お互いを食い潰さないたった一つの方法で。 大事な思いを、大事に扱って、そして大事なまま受け渡すという方法で。 大事にされた思いは、受け取られた先でも、消費されません。 画面の向こうの誰かに、散々食い尽くされた挙句、物足りないと言って唾を吐かれるような、そんな悲しい消費のされ方を黙って耐え抜くことは、もうやめることにします。 私の理想の死に方はしばらく前から、この世界の理不尽と、私が私であるがゆえに生じる摩耗によってボコボコにされても誰にも助けを求めず、独りでビルの隙間から青空を見上げて息絶えることでした。 誰に殴られても言い返さない、ということが、美学の一つだったのです。 だけれど、この3年で私はたくさんの方に愛情をいただきました。 愛されなくても仕方ないと思っていた歪な部分まで、誰かが見つけて好きになってくれました。 あなたに大事にされた私なので、私も私を大事にしたいと思うようになりました。 誰にも助けを求めずに死んでいくような破滅の美学のことが、ばかばかしく思えるようになりました。 少しだけ、息のし難い場所から離れて、もっとみなさんに元気な姿を見せられるようでありたいと思います。 これからも、戸田真琴をどうぞよろしくお願いいたします。 (繰り返しになりますが、現在のツイッターアカウントは今後スタッフによる情報アカウントになります。 引き続き、戸田真琴情報の収集にご利用ください。 さらには、YouTubeすらも見ることを極端に減らしています。 好きなアーティストのライブなどはみたいですが、所謂YouTuberの発信は見ない 一人の人間が真剣に放った言葉に対しての誹謗中傷が非常にカジュアルに行われ、 顔の見えないもの同士の不毛で限りのない小競り合いと、それ自体をエンターテインメントとして楽しんでいるような人達が想像以上に多くいるSNSの居心地の悪さに耐えられなくなりました。 そして、賢い人達が集客のために行う、賢い戦略の中に散りばめられた、ほんの小さな悪意ですらも、自分は一瞬でも触れたくないと思うようになりました。 文章を書く人が集まり、健全な雰囲気のあるnoteは出来る限り続けていきたいと思いますが、 不穏な空気を察したら秒で辞めようと思っています 僕はあえて、「オフライン」での可能性を追求して生きていきたいです。 いくら可能性に満ち溢れていようが、お手軽な悪意がウイルスのように、当たり前のようにそこら中に蔓延するSNSの空気が僕には合わないです。 お仕事頑張ってください、応援しております。 AV女優は、ああ、まあ、一緒くたにするのもどうかと思うけど、実物を見た時に、ああなんだ、やらせてくれるわけじゃないんだ、と思って、がっかりした覚えがあります。 アラサーちゃんを描いてる人が、誘われたからやったけど、別に誰とでもいいわけじゃないと思って、やめた、と言ってて、確かにな、と思って、AV女優はよくわからなくなりました。 4000をこえるいいねをはじめて見たので、びっくりして、記念に投稿します。 処女はしない、と書いてあるのははじめて知って、面白かったです。 理由はよくわからないけど。 うーん、まあ、演技である事で、騙されたとは思わんけど、演技を高く評価する事もないな。 まあ、AV業界に限らず、演技かよ、騙された、という声は、演劇や映画の世界では普通なので、気を落とさず、頑張ってください。 私は、映画も演劇も観るだけで、しないので、よくわかりませんが。 それでは。

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