最後 の 晩餐 ユダ の 位置。 最後の晩餐 レオナルド・ダ・ビンチ ユダはどれユダの位置と場所 表現の違い|美の巨人たち

説教でつづるイエス様の物語

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《最後の晩餐》は、15世紀後半にイタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された壁画作品。 ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれており、西洋世界で最も有名な絵画の1つと認識されている。 制作開始時期は、1495年から96年頃と想定されており、レオナルドのパトロンだったミラノ公爵ルドヴィコ・スフォルツァの教会と修道院の建物の改修計画の一部として依頼を受け、制作されたものである。 この絵は、ヨハネの福音書13:21で伝えられているように、イエスの最後の晩餐と使徒たちの様子で、十二使徒のうちの1人がイエスを裏切ると告知して十二使徒の間で起きた驚きを描写している。 使用された道具やさまざまな環境要因、意図的に付けられた損傷のため、1999年を最後に何度も修復が行われたにもかかわらず、今日ではオリジナルの絵はほとんど残っていない。 主題は食堂における伝統なものだったが、レオナルドが描いた当時の部屋は食堂ではなかった。 主要となる教会の建物は、描いた当時の1498年に完成したばかりだったが、ルドヴィコ・スフォルツァの計画で、家族の大霊廟にリフォームされる予定だった。 この絵はルドヴィコが大霊廟の中心部にするよう要請した作品である。 絵画の上にある三重の半円型のアーチの天井のルネット部には、スフォルツァの紋章で描かれている。 《最後の晩餐》は、イエスが使徒の一人が裏切ると告知したときの各使徒の反応を描写している。 12人の使徒全員がおのおのの程度の怒りとショックでさまざまな反応を示している。 各使徒たちは、19世紀に発見された写本から名前が識別された。 それ以前は、ユダ、ペテロ、ヨハネ、イエスだけが明確に特定されていた。 左から右へ使徒を挙げていくと• バルトロマイ、ヤコブ アルファイの子 、アンデレの3人は1つのグループで、全員、驚いた表情をしている。 イスカリオテのユダ、ペトロ、ヨハネの3人が別のグループを作っている。 ユダは赤、青、緑の服を着ており、引っ込み思案で自身の計画が突然明らかになったことあっけにとられている。 右手に小さな袋を握りしているが、おそらくイエスを裏切るための報酬として与えられた銀貨を示唆しているか、もしくは会計係としての役割を言及している。 また、ユダは塩瓶をひっくり返しているが、これは「塩を裏切る」ことを意味する東洋の表現と関係があるかもしれない。 彼はテーブルの上に肘を付けている唯一の人物であり、頭はほかの誰よりも低い位置に描かれている。 身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに寄りかかっている。 彼は怒っているように見え右手にナイフを所持している。 おそらく、イエスが逮捕されている間のゲッセマネの園での暴力的な反応の伏線的な描写と思われる。 最年少の使徒ヨハネはペトロに傾いているように見える。 イエス• トマス、ヤコブ ゼベダイの子 、フィリポの3人がイエスの右側にグループを形成している。 トマスは明らかに動揺している。 上げられた人差し指は、再誕の不審を予兆している。 ヤコブは空中に腕を置き、ぼうっとしているように見える。 一方、フィリポは理由を求めているように見える。 マタイ、タダイ、熱心党のシモン右端の3人のグループである。 タダイとマタイはともに、おそらく「今、主は何とおっしゃったのか」シモンに聞いている。 この頃からほかの芸術家たちの《最後の晩餐》もレオナルドと共通した描き方をするようになる。 レオナルドはテーブルの片側だけに食事する人を配置し、鑑賞者に対して背を向ける人物は描かなかった。 レオナルド以前のほとんどの《最後の晩餐》の描写では、ユダを区別するため他の11人とイエスから離れるように配置してユダを強調しようとした。 たとえば、長いテーブルの端に一人孤立するようにユダが描かれていたり、11人の弟子とイエスと向かいあうようにテーブルの反対側に描かれた。 また、ユダを除く弟子たち全員に光背が描かれていた。 しかし、 レオナルドは12人の弟子全員に光背を描かず、ユダだけを孤立させることもしなかったが、その代わりにユダをテーブルにもたれさせ、また顔に影をいれることで区別を図った。 イエスは裏切者について「わたしがパン切れをワインに浸して与える者です」と話し、パン切れを浸して裏切りものにわたそうとしている。 この絵では、 イエスが手を伸ばしているパンに手を伸ばそうとしているものが裏切者である。 イエスは左側に視線を向けているため、イエスの左側にいる弟子たちが動揺しているが、実はイエスの右手がパンの一片に向かっている。 このとき、 ユダはイエスの右手がパンに向かっていることに気づかず、同じパンの方向に左手を伸ばしている。 また、この絵はレオナルドの見事な遠近法の使い方を証明している。 アングルや照明はイエスに集中している。 イエスの右頬が遠近法における消失点に位置している。 また、レオナルドは、ミラノとその周辺の人々の肖像を絵画の人物のインスピレーション元として利用したと伝えられている。 絵が制作されている間、レオナルドの友人で数学者のルカ・パチョーリは、作品に対して「救いに対する人間の燃える欲望の象徴」と呼んだ。 この作品制作のため、レオナルドは伝統的なフレスコ画よりも精密さや輝度を調整しようと考えた。 そのため、レオナルドの『最後の晩餐』は厳密にはフレスコ画ではなくなっている。 フレスコ画は古代ローマ時代から用いられており、漆喰を塗り、それが乾ききる前に顔料を載せて壁自体をその色にする技法である。 この技法で描いた絵画は壁や天井と一体化し、ほぼ永続的に保存されが、漆喰と一体化するため、使用できる色彩に限りがあり、漆喰を塗ってから乾ききるまでの8時間程度で絵を仕上げる必要がある。 重ね塗りや描き直しは基本的にできない。 フレスコ画は通常の絵画と異なり、一度描くと修正出来ないため、レオナルドは代わりにジェッソ、ピッチ、マスチックで構成された乾燥した漆喰の二重層の乾いた壁にテンペラ画で描いた。 その後、パネル画を借用して、上に塗った油絵とテンペラの明るさを高めるために白鉛の下塗りを追加した。 これは14世紀にチェンニーノ・チェンニーニが発明した技法だった。 しかしながら、チェンニーニは最後の仕上げだけに乾式フレスコ画法を使うことを推奨していた。 これらの技法は、レオナルドが制作に時間をかけたい採用したもので、彼のスタイルで不可欠な要素である段階的な陰影や明暗法を使うことができた。 レオナルドは1495年から1498年ころにかけて《最後の晩餐》の制作に取り組んでいるが、継続的でなく、制作を中断している時期があると考えられている。 制作時期に関する修道院の記録がないため、制作開始日に関しては定かではない。 1497年付けの文書では、その年に絵がほぼ完成した記載されている。 また、ある話では、修道院の前職者が遅筆に不満をもらし、レオナルドをトラブルを起こし制作が滞ったともいわれている。 レオナルドは修道院長に手紙で、ユダの顔を描くのに必要な完璧な悪役顔のモデルを探すのに苦労したと説明している。 理想のモデルを見つけることができなかったら、修道院長をモデルに使っていただろうと不満を書いている。 なお、この時期レオナルドは《最後の晩餐》でイエスを描いているときにの制作に取り組んでいたかもしれない。 1955年、サルバドール・ダリは《最後の晩餐の儀式》という作品を制作している。 かの作品でイエスは金髪でひげはきれいに剃られており、幽霊のような胴体が描かれている上の部分を指し、使徒たちはみんな頭を下げて誰か特定できないように描いている。 ワシントンD. のナショナルギャラリーのコレクションで最も人気のある作品と評価が高い。 コラージュに使われた女性芸術家は、ジョージア・オキーフ、ヨーコ・オノ、リンダ・ベングリス、ルイーズ・ブルジョワ、エライン・デ・クーニング、ヘレン・フランケンサーラー、ナンシー・グレイブス、リラ・カッツェン、リー・クラスナー、ルイーズ・ネヴェルソン、M・C・リチャーズ、アルマ・トーマス、ジューン・ウェインである。 また、他の女性アーティストの写真が作品を囲むように並べられている。 82人の女性アーティストすべてが絵画全体の一部である。 この作品は、フェミニスト芸術運動の最も象徴的な絵画の1つになった。 彫刻家のマリソル・エスコバルは、塗装、描画された木材、合板、ブラウンストーン、石膏、アルミニウムを使用して、実物大の立体的な《最後の晩餐》の彫刻を作成した。 1986年、アンディ・ウォーホルはミラノで最初に開催した展覧会で《最後の晩餐》を基盤にした絵画シリーズの制作依頼を受けた。 これは彼の死の前に制作した最後のシリーズ作品だった。 1988年、スーザン・ドロテア・ホワイトは世界のあらゆる地域の13人の女性を表現した《最後の晩餐》を描いた。 キリストの位置に描かかれている女性はオーストラリアの原住民である。 1998年、現代美術家のヴィク・ムニスは、ボスコ・チョコレート・シロップだけで作られた《最後の晩餐》を再現した。 2001年、中国の芸術家曾梵志は破片が散らばっているテーブルに座っている13人のマスク姿の《最後の晩餐》を描いた。 2013年10月7日のサザビーズのオークションで2,330万ドルで落札され、現代アジアの美術作品で新記録を樹立した。

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ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」について知っておきたい15個のこと

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「最後の晩餐」の意味とは? レオナルド・ダ・ヴィンチ『最後の晩餐』 (出典:Wikimedia Commons User:Hello world) 「最後の晩餐」は「ユダの裏切り」の預言に意味がある 「最後の晩餐(さいごのばんさん)」は、イエス・キリストと12人の使徒が囲む過越祭の晩餐の場面を描いたものです。 この晩餐の翌日にイエスは逮捕されるため、「最後の」晩餐と呼ばれます。 「最後の晩餐」のポイントは、 使徒ユダの裏切りによって、イエスが逮捕されることを「その場でイエスが預言すること」にあります。 「ユダの裏切り」とは? ユダは、イエスを敵視していたユダヤの祭司長たちに、銀貨30枚でイエスを売り渡す手はずを整えていました。 それは秘密だったはずですが、「最後の晩餐」の場において、イエスが突然「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」と発言します。 そのイエスの言葉によって、使徒たちに動揺が広がる、という場面が切り取られて描かれたのが「最後の晩餐」です。 そのため「最後の晩餐」は、たんなる食事の風景ではなく、 「ユダの裏切り」が告げられる場面を描くことに意味があります。 「最後の晩餐」は『新約聖書』の「福音書」すべてに登場するエピソード 「最後の晩餐」は、『新約聖書』におさめられた4つの福音書のすべてに描かれているエピソードです。 それぞれに記述の仕方は異なる部分がありますが、『ヨハネ福音書』における、絵画に描かれる部分の記述は次のような流れです。 「キリストの受難」は、「最後の晩餐」から始まり、「ペテロの否認」「十字架の道行き」「磔刑」「十字架降下」「嘆き」「キリストの埋葬」などのテーマで絵画などに繰り返し描かれました。 「ユダの裏切りの予言」は、その後に続く「イエスの受難」の始まりを告げるモチーフとして、「最後の晩餐」に描かれてきました。 そのため、ユダだけがテーブルの向かい側に座り、イエスと対面する姿で描かれたり、聖人の証である頭の上の光輪が描かれなかったりするなど、ユダの描写が工夫されました。 レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』とは? 『最後の晩餐』 (出典:Adobe Stock) 数多く描かれてきた「最後の晩餐」の中で、最も有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの作品について解説します。 ミラノ「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会」の食堂に描かれている レオナルドの『最後の晩餐』は、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会の修道院食堂の壁画として1495年~1498年に描かれました。 横幅が9メートル余りもある巨大な壁画ですが、未完となることが多いレオナルドの絵画の中では完成した数少ない絵画です。 しかし、壁画に向かないテンペラ技法で描かれたため、損傷が激しい絵画としても知られ、1999年の修復作業によって現在の姿に整えられました。 「イエス・キリスト」と「12人の使徒」が並んだ表現が斬新 伝統的な『最後の晩餐』では、裏切り者のユダはそれとわかるように、テーブルの反対側に描かれることが多かったところを、レオナルドは他の弟子たちと同列に並べて配置しました。 それとともに、動揺する使徒たちの表情やしぐさを、リアリズムの手法でひとりづつ細かく描き、臨場感を表現しました。 このような描き方は、当時として斬新な表現でした。 さらに、綿密な遠近法を用いることで、食堂の実空間と、壁に描かれた絵画の空間に連続性が生まれ、鑑賞者はその場にいるような錯覚を覚えるように計算されていました。 なお、ユダはイエスの向かって左側の3番目に座る人物で、右手に銀貨が入った袋を握っています。 演劇の一場面のような「臨場感」が仕掛けられている レオナルドは、宮廷の舞台演出も行っていたこともあり、その手法を絵画にも応用しました。 『最後の晩餐』を描くにあたって、弟子たちが動揺した一瞬の動きを振り付けた脚本を起こしていたことが、残された手稿からわかっています。 実際に描かれている人物の表現 例えば、激高したペテロ(左から4番目)は、裏切り者に襲いかかろうと手にナイフを持っています。 また一番左端にいるバルトロマイ(ナタナエル)は、今聞いた言葉が本当なのかと驚いて立ち上がり、身を乗り出しています。 イエスの右隣に座るヨハネは、あきらめたようにぐったりと身を傾けています。 さらに、12人の使徒たちは3人組のグループに分けられているため、多様な動きがあっても調和がとられています。 描かれた3つの窓の役割 イエスの背後に描かれた3つの窓は、奥行きを示すとともに、光輪を描かないイエスに背後から光をあて、特別な存在として浮き立たせるなど、臨場感を高めるためにさまざまな仕掛けがほどこされています。 レオナルドの『最後の晩餐』を見学するには? サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会正面 (出典:Wikimedia Commons User: Gogo Lawrence) 入れ替え制のため事前にチケット予約が必要 レオナルドの『最後の晩餐』を見学するためには、事前予約が必要です。 見学は決められた人数ごとに入れ替え制となっています。 毎月第1日曜日は無料ですが、予約は必要です。 下記予約サイトから予約ができます。 公式サイトからの予約が難しい場合は、日本のトラベル会社などのホームページから現地ツアーの予約も行えますので、検索してみてください。 まとめ 「最後の晩餐」とは、『旧約聖書』における、「イエスの受難」が始まることを告げる重要な場面を表現したものです。 イエスを裏切ったユダが、特別な描き方をされていることが特徴です。 レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』では、それまでの図像を覆す表現を行ったため、さまざまな憶測を呼びました。 とくに、ダン・ブラウンの小説『ダ・ヴィンチ・コード』では、イエスの向かって左に座るヨハネは、実はマグダラのマリアであり、マリアはイエスと恋愛関係にあったとして、その暗号がこの絵に隠されているとする構想を用いました。 レオナルドの『最後の晩餐』は、イタリア旅行の際には一度は見学したい作品ですが、美術館に収蔵されているのではなく、教会内の修道院の壁画として描かれているため、見学がしにくい絵画かもしれません。 なお、ミケランジェロの壁画『最後の審判』は、バチカンの「システィーナ礼拝堂」内の壁画です。

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イスカリオテのユダ

最後 の 晩餐 ユダ の 位置

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は、世界がこれまでに知られている最も称賛され、最もよく見られた絵画の一つです。 この有名な絵画についてあなたはどれくらいのことを知っているでしょうか?ぜひとも知っておきたい最後の晩餐のトリビアを贈ります。 「最後の晩餐」の実物は、あなたが思うよりも大きいです。 最後の晩餐の複製は、さまざまなサイズで制作されましたが、実物は横が29フィー 8. 8メートル トで、縦が15フィート 4.5メートル です。 あなたが実物をみると、その大きさに驚くでしょう。 「最後の晩餐」は、裏切りが明らかになる物語のクライマックスの瞬間をとらえられています。 イエスが捕まえられ十字架に貼り付けになる前の、イエスと彼の使徒たち最後の食事が描かれています。 しかし、その食事中の最もドラマティックな瞬間を、ダ・ヴィンチはこの絵画に描いています。 イエスが、使徒がイエスを裏切ることを予言した瞬間を描いており、その時の全員の反応が見事に描かれています。 、この瞬間にも、このキリスト教の聖餐式の象徴になるワインのグラスにイエスは手を伸ばそうとしています。 「最後の晩餐」は博物館ではなく、修道院に飾られています。 「最後の晩餐」は、簡単に世界で最も有名な絵画の一つです。 ただ、残念ながら「最後の晩餐」を博物館で見ることはできません。 最後の晩餐は、ミラノ、イタリアの修道院にあります。 ダ・ヴィンチは戻って1495年のサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に直接その宗教的な作品を描きました。 4,「最後の晩餐」は壁に描かれていますが、それはフレスコ画ではありません。 壁に直接絵を描く技法のひとつとしてフレスコ画がありますが、ダ・ヴィンチは、いくつかの理由で、この伝統的な技法を使いませんでした。 一つの理由としては、伝統的なフレスコ画法は絵の明るさが不足することが多くて、より壮大な明るさを実現したかったということがあります。 だけど、もっと大きな理由として、フレスコ画の場合、石膏が乾燥する前に急いで絵を書かなければいけないという弱点をダ・ヴィンチは嫌ったということがありました。 5, ダ・ヴィンチは、後の傑作にも用いられることになる最新の技術を「最後の晩餐」に使用しました。 絵の細部にわたるまで完璧にするために、ダ・ヴィンチは石の上にテンペラ(卵黄や蜂蜜・膠(にかわ)などを混ぜた不透明な絵の具)を用いた彼独自の新しい技術を導入しました。 テンペラを吸収させ、そして水分から絵画を守る素材をあらかじめ壁に塗りこんでいました。 ダ・ヴィンチ自身が実際に描いた部分はほとんど残っていません。 最後の晩餐の絵自体は最高傑作でしたが、ダ・ヴィンチが新しく導入した石の上にテンペラを塗るという技術は失敗でした。 16世紀の初めには、塗料が剥がれ落ち始めました。 崩壊がし始めていた。 50年もしないうちに、「最後の晩餐」は 、かつての輝きを失い、ボロボロになりました。 そして、残念なことに、このころの「最後の晩餐」の復旧の試みは、ことごとく失敗に終わり、さらに絵画の保存状態を悪化させました。 第二次世界大戦の連合国のからの爆撃の振動により、「最後の晩餐」はさらに保存状態が悪化しました。 しかし、ここ最近に大規模な修復活動が始まり、1980年から19年間にわたり修復が試みられました。 これにより、 最後の晩餐が 奇跡的にその輝きを取り戻しましたが、ただそれと同時に、もともと存在したオリジナルの塗料の多くを失ってしまいました。 ダ・ヴィンチは、遠近法の一点透視図法をするために、ハンマーと釘を用いました。 「最後の晩餐」をとても印象深いものにしている理由の一つは、彼が用いた遠近法にあります。 この遠近法により、絵画を見る人は聖書における衝撃的なシーンの間近にいるような錯覚を起こします。 この錯覚を起こすために、ダ・ヴィンチは壁にハンマーで釘を打ちました。 そしてその釘からひもを引っ張り、それに沿って遠近法に必要な角度に絵の構図を描いていきました。 17世紀の改装工事により、最後の晩餐の一部が失われました。 1652年に、「最後の晩餐」が飾ってある壁の下側に戸口が作られました。 この改装工事のために、イエスの足を含んだ絵画の中央下部の部分が失われました。 「最後の晩餐」のユダは、実際の犯罪者をモデルにしたといわれています。 最後の晩餐に描かれているすべての使徒は、実際のモデルに基づいて描かれたといわれています。 特に、裏切り者のユダ(左から5番目の銀の袋を持っている人物)に対して、ミラノ刑務所でモデルとして最適な服役者を探しました。 イエスのその後の運命を暗示している箇所があります。 イエスの右側にいるトーマスは、指で空中を差し示しています。 このトーマスの空中を指し示すポーズは、この後にイエスが十字架で処刑され、天に上り、その後に死から復活するということが暗示されているといわれています。 最後の晩餐に描かれている食事には深い意味があります。 ユダの前にこぼれている塩は、このシーンのあとの彼の裏切りを暗示しているといわれています。 または、裏切りのものになる運命となった不運を意味しているといわれています。 そして、彼の前にある魚のような料理にも意味があるといわれています。 一つの説としては、その料理はウナギであり、イエスへの忠誠を表しているというのもです。 また別の説では、それはニシンであり、イエスを信じない不実者のシンボルだという説もあります。 2つの説は互いに矛盾していて、いまだに議論は決着していません。 最後の晩餐は、宗教上の挑戦的な理論に影響を与えています。 テンプラー黙示録という書物では、イエスの左にいるのは、ジョンではなくて、マグダラのマリアではないかという提案をしています。 マグダラのマリアはローマカトリックでは聖者とされており、キリスト教におけるローマカトリックの優位性を示していると解釈されます。 また、音楽家のなかには、最後の晩餐にともなう音楽の中に最後の晩餐の真に隠されたメッセージがあると思っている人たちがいます。 2007年、イタリアの音楽家ジョヴァンニ・マリア・パーラは、最後の晩餐の構成を読み解き、40秒の歌を作りました。 その三年後に、バチカンの研究者Sabrina Sforza Galitziaは、最後の晩餐の数学的そして天文学的の構成方法から、ダ・ヴィンチの世界の終わりに関するメッセージを解読しました。 それによると、最後の晩餐は、西暦4006年の3月21日から11月1日までの間に世界を一掃する終末的な大洪水が起こることを予言しています。 最後の晩餐は、さまざまな有名な小説に影響を与えました。 最後の晩餐が影響を与えたのは、有名なダ・ヴィンチ・コードだけではありません。 ダ・ヴィンチが、裏切り者のユダのモデルを探していた時の逸話もよく知られています。 ダ・ヴィンチがユダのモデルを見つけたとき、実はその見つけたモデルは、過去にイエスのモデルとしてダ・ヴィンチ自身が採用していたというものです。 悲しいことに長い年月の苦しい生活が、モデルの天使のような表情を犯罪者のように変えていたというものです。 ただ、この逸話は完全にウソと言わざろう得ません。 なぜ、この逸話が本当ではないといえるかというと2つ理由があります。 一つの理由は、最後の晩餐を描くのに3年の歳月を要しているということです。 もう一つの理由としては、このような人間精神の堕落の物語は、ずっと昔からさまざまな神話などで語られており、誰かがこの古めかしい物語を、最後の晩損のためにデフォルメした可能性が高いと思われるからです。 最後の晩餐は、何世紀にもわたって模倣され続けています。 芸術の世界と、ポップ文化の世界において、最後の晩餐は、様々な模倣品やパロディーを生み出しています。 16世紀から始まった最後の晩餐の絵の模写から、最近の サルバドール・ダリ、アンディ・ウォーホル、スーザン・ドロテア・ホワイト、そしてヴィック・ムニーズらによる最後の晩餐の模倣品にいたるまで、幅広く模倣され続けています。 最後の晩餐は、独特な宗教的な場面は、メル・ブルックスの喜劇やダ・ヴィンチ・コードで見つけることができます。 最後の晩餐を見たい人に贈る旅行の際のアドバイス 「最後の晩餐」は、イタリア旅行においては必見ですが、旅行の際には注意しなければいけないこともあります。 それは、最後の晩餐が飾られている修道院は、たくさんの観光客が入れるようには作られていません。 一回当たり15分の観光時間で、一度にせいぜい20人か25人しか入れません。 なので、最後の晩餐を見たければ、少なくとも2か月前には、チケットを予約しておいたほうが良いでしょう。 そして、実際に観光する際には、服装も修道院にふさわしいおとなしいものにしておいたほうがいいでしょう。 さもないと、最後の晩餐がある修道院にいれてもらえません。

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