耳が丸い詰む。 【ツムツム】ほっぺが赤いツム一覧【ミッション用】|ゲームエイト

第43話

耳が丸い詰む

地肌の例(大板目) 地肌(じはだ)とは、炭素量が異なる材料を組み合わせ、を行なうことによって生まれる地の模様のことです。 炭素量が多い部分は黒っぽく見えるためその部分が模様となって現れるのです。 上の写真を見ると、焼刃の上に木材のような模様が見えます。 これが地肌です。 日本刀を間近で見たことがないという方は、日本刀にこのような肌があるのかと不思議に思うかもしれません。 地肌は鋼をどのように折り返して鍛えるかによって模様が決まります(参照)。 つまりによって地肌が異なるのです。 従って地肌は日本刀を見る際、その伝法を見極める際の手がかりの1つとなります。 地肌には次のような種類があります。 板目肌(いためはだ) 木の板の模様に似ていることからこう呼ばれます。 一番多い地肌です。 折り返し鍛錬時ににする事によって生じます。 模様の大きさによって大板目(おおいため)、小板目(こいため)などと呼ばれます。 の鍛冶に多い地肌です。 杢目肌(もくめはだ) 年輪のような模様です。 通常板目に混ざって現れます。 折り返し鍛錬時ににする事によって生じます。 の鍛冶に多い地肌です。 特に杢目が目立ち、それにがしきりに交じり、チリチリと肌立ったその様子が縮緬(ちりめん)に似ていることから 縮緬肌と呼ばれる肌があり、備中国の一派の特徴です。 柾目肌(まさめはだ) 木を縦に切った時の模様に似ていることからこう呼ばれます。 折り返し鍛錬時ににする事によって生じます。 鍛冶に顕著な地肌です。 新刀期以降になると、みなが柾目になります。 梨子地肌 なしじはだ) 小板目、小杢目が非情によく詰んで、細かなが一面に付き、蒔絵の梨地のような、また梨の実の断面のように見える肌です。 の鍛冶に見られる地肌です。 小糠肌(こぬかはだ) 梨子地肌風ですが、肥前刀に現れた時の名称で、梨子地に比べて沸が少なく地肌が白っぽく見え、ガラス板に糠をまいたように見えることからこう呼ばれます。 綾杉肌(あやすぎはだ) 波のうねりに似た模様で、出羽国の月山(がっさん)系に見られる地肌で、薩摩国の 一派にもこの肌が現れます。 この地肌は人工的に作られた肌で、の際に先が丸い鏨(たがね)を用い、刃の方向に向かって地を斜めに鋤き取り、打ち延ばす事によって生じます。 松皮肌(まつかわはだ) 松の木の表皮に似た模様の地肌です。 大板目が肌立ち、地肌の模様に沿ってが現れたもので、越中国の則重(のりしげ)系に多い地肌です。 八雲肌(やくもはだ) 雲が立ち昇るような形です。 これら以外に、特に新々刀の一部に見られる、テカテカした肌が見えないのっぺらなものを 無地風(むじふう)と呼びます。 また、地肌を表現する際に「肌立つ(は だたつ)」とか「肌詰む(はだつむ) 」などと言うことがありますが、肌立つとは地肌の模様がハッキリしていることを指し、詰むとは地肌の模様がきめ細かくなっていることを言います。 また、地鉄が白ける(しらける)などという表現がありますが、これは地鉄が息を吹きかけたようにふわっと白っぽく見えることを言い、あまり良い意味では使いません。 出来がよい日本刀の地刃を表現する際に、「明るく冴える(さえる)」などと表現されますが、これは地鉄が非情によく鍛えられているため、鋼の組織が熱に敏感に反応してキラキラ輝くが地刃に付き、特に刃縁の沸や匂が光を反射してあたかもオーラのように輝く状態を指します。 注:板目、杢目などの地肌はそれぞれが単一で構成される訳ではなく、「板目に杢交じり」とか、「板目流れて柾がかる」などと表現されることもあり、混在していることが多く、どれが主体となっているかを見ることになります。 なお厳密に言えば地肌ではありませんが、異質の材料が混ざり込んで地肌の一部に黒っぽく見える部分が現れる場合があります。 備中国の古青江一派(こあおえいっぱ)に見られる特徴で、 鯰肌(なまずはだ)、または澄鉄(すみがね)と呼ばれます。 また山城国の来一派(らいいっぱ)にも同じように黒っぽい胃鉄が顔を出している場合があり、 来肌(らいはだ)と呼ばれます。 澄鉄 沸 匂 沸(にえ)と 匂(におい)についてはでも触れていますが、刃文には沸出来のものと匂出来のものがあります。 これはマルテンサイトと呼ばれる鋼の組織で、本来同じ物です。 マルテンサイトは焼き入れの方法によって沸になったり、匂になったりします。 焼き入れの温度、冷却速度などの違いによって変化するのです。 刀工は通常1つのを修業します。 その修業する伝法が沸出来なのか匂出来なのかによって、その刀工が鍛える日本刀の出来が沸出来か匂出来かが決まるのです。 ただし、1つの伝法を習得した刀工の中には別の伝法も鍛える器用な人もいます。 上の写真を見て下さい。 沸はマルテンサイトの組織の粒子が荒くて肉眼で判別でき、匂は粒子が細かくて一粒一粒肉眼で判別できないものです。 ただ、ほとんどの刃文は沸と匂が混在していて、沸が多ければ 沸出来、匂が多ければ 匂出来と言うのです。 なお、沸や匂の粒がクッキリとしていることを「 沸(匂)が深い」と表現します。 また、刃文と地との境界を 匂口(においぐち)と呼び、この境界がくっきりとしていることを 匂口締まる(しまる)、ぼやけているものを匂口ねむいなどと表現します。 沸出来 匂出来 地に付いた沸を 地沸(じにえ)と呼び、の項で解説した梨子地肌や小糠肌のように地一面に綺麗な沸が付くとまさに梨の断面のような、あるいは小糠をまいたような、白い極細粒をまき散らしたような肌に見えます。 日本刀を鑑賞する際、最も目に付くのが刃文です。 刃文は焼き入れを行う際、刀身に焼き刃土を塗ることによって現れます。 刃文になる部分に焼き刃土を薄く、それ以外の部分には厚く塗って焼き入れを行います。 これにより化学変化が起こり、焼き入れ温度などによって鋼が沸や匂に変化し、特に焼き刃土の厚く塗った所と薄く塗った所との境目、つまりは刃文の形の部分に沸や匂の変化が現れ、刃文が生まれるのです(の参照)。 しかし、ケース越しに見ている刃文は本来の刃文ではないのです(参照)。 白っぽく形取られている部分を刃文と思っている人も多いでしょうが、あれは本当の刃文ではないのです。 女性と同じで化粧をしているのです。 化粧をしているため素顔が見えていないのです。 沸や匂は地よりも高くなっていますので、スポットライトのような光源に角度を付けて刀を向けると、沸や匂に光が反射して本来の刃文が見えるのです。 刃文は大別すると 直刃(すぐは)と 乱れ刃(みだれば)になります。 直刃 上の図が直刃です。 まっすぐな焼刃となっています。 そしてこの直刃以外が乱れ刃となります。 乱れ刃には様々な種類があります。 丁子 互の目 のたれ 丁子刃(ちょうじば)は、焼刃のが2つ、あるいは3つに割れたもので、丁子の実に似ていることからこう呼ばれ、の得意とする刃文です。 時代によって様々なパターンがあります(参照)。 互 の目(ぐのめ)とは、焼き頭(やきがしら)が丸く高さが揃った焼刃が連続するものを言います。 また頭が丸くなく乱れたものを互の目乱れ、互の目に丁子刃が混じるものを互の目丁子と呼びます。 のたれとはゆったりとした波のような刃文を指します。 箱乱れ 皆焼 箱乱れは、が平らで箱のような形をした焼刃で、伊勢国のや山城国のなどに多い焼刃です。 またこの箱乱れが真ん中で割れ、左右に開いたような形になったものを矢筈刃(やはずば)と呼びます。 弓矢の矢のお尻には、弦(つる)をかけやすくするために二股に分かれた部分があり、この部分を矢筈と呼びますが、この部分に形が似ていることからこう呼ばれます。 皆焼(ひたつら)とは、焼きの頭がちぎれて地に飛び散ったようなもので、字のごとく平地あるいはにまで焼きが入った状態のもので、南北朝時代の以降の相州伝鍛冶に見られるものです。 刃文は種類が多いので、の各伝法解説や、街道別有名刀工(製作中)の各一派や刀工解説中、日本刀の歴史の各項で図盤をあげながら解説していますのでこちらを参照して下さい。 なお、刃文も地肌と同様に通常数種類の刃文が交じったものとなり、直刃に互の目交じりなどと表現されます。 刃文において、刃文の頂点(棟寄りの部分)を 焼きの頭(やきのかしら)と呼び、刃文の底点(刃寄りの部分)を 焼きの谷(やきのたに)と呼び、頭から谷への傾斜を腰 (こし)と呼びます。 古備前などのように、もともと焼幅が狭い刃文の刀が度々研がれた結果、焼幅がますます狭くなり、焼刃の谷が刃先へ抜けてしまっているものがあります。 通常、焼刃の谷と刃先の間には焼刃がありますが、刃先が欠けたりして研ぎで直した結果、焼き幅が狭くなってしまい、刃先が焼刃の谷よりも上(棟寄り)になってしまっているのです。 また焼幅が狭い刃中にが入っている場合、その足が刃先へ抜けているものがあります。 こういったものを「刃が駆け出し気味である」とか、「足がかけ出している」などと表現します。 これは決して良いことではないですが、古備前のように特に時代を重ねてきたものは仕方が無いにしても、あまり歓迎されるものではありません。 焼き頭・谷 日本刀の焼刃は、の下から始まりますが、この刃区下から一、二寸を 焼き出し(やきだし)と呼びます。 ここにも時代や一派の特徴が現れます。 焼き出し A: 焼き落とし 元の刃は通常使わないため、折れ防止のために焼かないものです。 B: 大阪焼き出し 大阪の刀工に多い焼き出しで、腰元(はばき元)をのたれ調に焼き出し、穏やかに乱れが始まります。 C: 腰刃(こしば) 焼き出し部分を特に深く焼くものです。 D: 京焼き出し 京都の刀工に多い焼き出しです。 焼き出しは直刃調で始まりますが、急に乱れ刃になります。 なお、刃文自体は乱れ刃なのに、焼き出しを直刃に焼くのは新刀期以降の刀工だけです。 日本刀は武器ですので、その姿はその時代毎の戦闘方法や、防具である甲冑(かっちゅう)の変化に従って変化します。 従って切先の形も時代に適した形をしており、時代判別のポイントとなります。 小切先 中切先 大切先 猪首切先 かます切先 小切先(こきっさき)は、日本刀という形が定まった頃、つまり平安後期から鎌倉初期の太刀の切先です。 以後時代が進むにつれ切先が伸びて大きくなり、鎌倉中期頃には元寇(げんこう)による戦闘の激化から特殊な猪首切先(いくびきっさき)が生まれ、南北朝期には太刀の長寸・大型化が進み切先もそれに従って大型化します。 かます切先は、日本刀初期の本来の切先の形です。 研ぎという行程が日本刀を美しく見せるための技術として進化した後世に、かます切先が現在のような丸味を持った形に成形されたのです。 これはを見ればそう理解できます。 つまり切先のにあたる部分の焼刃が直線になっているからです。 備前国の厳島神社の国宝・厳島の友成(いつくしまのともなり)にその姿が見られます。 ふくら付く ふくら枯れる 切先のカーブしている部分を ふくらと呼びます。 上の左側の図ではカーブがたっぷり付いています。 こういう場合は ふくら付くと表現します。 右側は直線的ですがこれを ふくら枯れると表現します。 尖っている部分あたりのカーブを見れば分かりやすいかもしれません。 鋩子(ぼうし)とは、切先の焼刃のことです。 ここは刀工の技量が顕著に現れる所です。 切先は小さい箇所であるのに加え、ここに焼きを入れるには技量が必要なのです(の参照)。 鋩子には以下のようなものがあります。 鋩子 光 芸出版「日本刀図鑑」得能一男氏著より ・ たるみ 刀身からの焼刃が切先内で少したるむものです。 ・ 乱れ込み 刀身の乱れ刃がそのまま切先内でも乱れて焼かれています。 ・ 尖り(とがり) 鋩子の先端が尖ったものです。 ・ 一枚(いちまい) 切先内すべてに焼きが入っているものです。 ・ 地蔵(じぞう) その形がお地蔵さんに似ていることからこう呼ばれます。 ・ 焼詰(やきつめ) 返り(下記参照)がなく、棟で焼きが止まっているものです。 ・ 掃掛(はきかけ) 砂をほうきで掃いたように見えるものです。 ・ 火焔(かえん) 炎が燃え上がっているように見えるものです。 なお、古刀の場合は刀身の刃文が乱れ刃であれば鋩子も乱れ込みますが、新刀の場合は刀身の刃文が乱れ刃であっても鋩子は乱れ込みません。 鋩子には、 返り(かえり)と呼ばれるものがあります。 刀身からの焼刃がを過ぎて切先内に入り、切先の先端の方まで進み、頂点でUターンして折り返し棟側まで焼き込むことをこう呼びます。 Uターンの半径の大きいものが 大丸(おおまる)、小さいものを 小丸(こまる)と呼んでいます。 「鋩子は乱れ込んで小丸に返る」といった表現はこのことを指します。 鋩子は刀工の技量が分かる部分で難しい部分であると書きました。 それはこの返りにあるのです。 切先は先が尖っており戦闘ではよく使われる部分です。 従って強く作らねばなりません。 返りはその補強策でもあるのですが、この小さな部分でふくらの部分と切先の頂点、返りに焼きが入ります。 そうするとふくらの部分と返りの部分が同時に膨張し、切先が割れてしまうことがあるからなのです。 また、返りが長く下の方まで焼き込んでいるものを 返りが深いといい、折り返してすぐに棟側に折れ曲がって焼きを止めているものを 堅く止めると言います。 返り 返り深い 堅く止まる 働き(はたらき)とは、刀を美しく見せる働きといった意味のもので、の働きによるものです。 働きが多い刀は鋼がよく精錬され、刀工の技量の高さを示します。 働きには次のようなものがあります。 砂流し (すなながし) 鍛え目(地肌)に沸がからんで線状になったものです。 砂を掃いたように見えます。 足 (あし) 丁子のから刃先に伸びる突起です。 切先方向に伸びる足を 逆足(さかあし)と呼び、備中国の青江一派の特徴です。 金筋 (きんすじ) キラキラと光る線状のもので、マルテンサイト(沸)が多くなったもので、線状になって刃中に現れたものです。 稲妻 (いなずま) 金筋が曲線になったものを言います。 打ちのけ (うちのけ) 刃縁付近で沸が三日月状にほつれたものです。 二重刃 (にじゅうば) 直刃などで、主たる刃文に沿ってあるものです。 食い違い刃 (くいちがいば) 直刃などで刃文が連続せずに食い違うものです。 砂流し 金筋 足 地景 (ちけい) 黒光りする沸が線状になって地肌の模様に沿って現れたものです。 飛び焼き (とびやき) 刃文のがちぎれて地に飛んだようになっているもので、特に焼き入れの温度が高いに見られます。 湯走り (ゆばしり) 沸が地に一部だけ濃く付いたものです。 映り (うつり) 刃文の影が映ったように白っぽく地に現れるもので、の特徴でもあります。 図では分かりにくいかも知れませんが、刃文ととの間が白っぽくなっています。 これが映りで、その下に黒っぽく見えるのは 影映り(かげうつり)と呼ばれます。 映りには、乱れ刃の刃文と同様に映りも乱れる 乱れ映り、刃文が乱れ刃であっても棒のようにまっすぐな映りとなる 棒映り、映りが連続せずに断続的なものを牡丹映り(ぼたんうつり) と呼びます。 室町時代になると映りはみな棒映りとなります。 また、白気映り(しらけうつり) などという言葉もありますが、これは刀身に息を吹きかけたように白く曇ったようになっているものを指し、これは古刀末期の作に多く、あまり良い意味では使いません。 映りの部分は、トルースタイトにフェライトの粒が散在した状態になっています。 トルースタイトとは、地の部分の鉄の組織です。 焼き入れを行った際に焼刃土の効果により鉄の組織は化学変化お起こし、刃の部分は非常に硬いマルテンサイトという組織に変化しますが、刃以外の部分はマルテンサイトほど硬くないトルースタイトという組織に変化します(参照)。 そしてこのトルースタイトよりさらに硬度が低いのがフェライト組織です。 そして研磨されると柔らかいフェライト組織は早くに研ぎ減るため、それよりやや硬いトルースタイト部分が突起した形になり、光源に透かすと、光が反射してうっすらと映りが見えるのです。 しかし、備前刀工が意識的に映りを出したのか、特定の材料を使って備前伝法を以て焼き入れを行えば出たのかは分からないとも述べています。 そして一般的には映りの部分は刃の部分よりも柔らかい組織となっており、刀身に硬軟の部分を産み出して強度が増すと言われていますが、隅谷氏はそれほど効果は無いと述べています。 なお同じ映りでも、新々刀期の有名刀工である大慶直胤(たいけい なおたね)の場合は、刃と同じ硬い組織となっているようで、美観のみで実用性はなく、硬い玉鋼を使用しているのでむしろ折れやすいと考えられます。 実際、幕末のにおいて、美術刀愛好家垂涎の直胤作の刀は、見た目ばかりで実用には耐えなかったようです。 白気映りや牡丹映りなどについては人によって解釈が異なり、映りは少し分かりにくいものです。 また 沸映り(にえうつり)と言う言葉もあり、一般的には沸出来の刀に現れた映りをこう呼びます。 地景 映り 乱れ映り 棒映り 牡丹映り 茎(なかご)は、普段柄木の中に入っていますので見逃しがちですが、流派や個人の特徴が現れる所ですので鑑定上の重要なポイントです。 茎の形の名称 A: 一般的な形です。 B: 雉子股形(きじももがた)です。 C: 振り袖茎(ふりそでなかご)です。 D: たなご腹(たなごばら)です。 たなごという魚のお腹の形に似ていることからこう呼ばれます。 一番左の図のような形を 舟形(ふながた)と呼び、相州伝系やその影響を受けた者に多い形です。 茎 尻の形 茎のお尻にも上の図のような種類があります。 卒塔婆とは、供養のためにお墓の後ろに立てる経文などを書いた細長い板のことで、五輪塔を表す5つずつの刻みが上部の左右にあるものです。 鑢目(やすりめ)とは、茎(なかご)に施した鑢の跡のことで、もともとは柄木が茎から抜けにくくする工夫だったと思われますが、流派、刀工によって特徴があります。 銘(めい)は、その刀の作者を明確にするために刀工自身が切るもので、後世まで残るものですからその刀に対する自信を表すものでもあります。 左の写真は銘の一部を拡大したものです。 これを見ると三角形のような形が連続しており、茎(なかご)の肉が切り開かれているように見えます。 鏨のお尻を金槌(かなづち)でコツコツとたたいて肉を切り開いて行くので「切る」と言うのです。 この鏨によって文字に沿って盛り上がったようになった部分を 鏨枕(たがねまくら)と呼びます。 そして作られた当初はこの鏨枕は立っていますが(盛り上がっている)、何十年、何百年と経つうちに柄木とこすれたりしてこの鏨枕は無くなって行きます。 銘は茎(なかご)に切りますが、通常太刀はに、刀はに切り、それぞれ 太刀銘、 刀銘と呼びます。 なお、作刀した年月日を入れる際は太刀あるいは刀の裏に入れます。 銘はサインのようなものですから、同じ刀工でも時代によって書体が変わったりします。 またそれらを識別するには相当銘の比較研究が必要で、一筋縄ではいきません。 従ってここでは銘について知っておけば役に立つ知識を解説します。 また、銘は全ての日本刀にあるという訳ではありません。 古来日本では貴人や雇い主に物を納める際や、献上する場合は銘を入れない習慣でしたので、日本刀にももともと銘が入っていないものがあります。 これを 生ぶ無銘(うぶむめい)と呼びます。 受領(ずりょう)とは、平安中期頃の国(今で言う都道府県)の長官の呼び名で、現在の県知事のようなものですが、もっと権限がありました。 下においては、地方の諸国の役人は中央(ちょうてい)から派遣されました。 中央の各役所や諸国を統括する役所(今で言う政府機関や県庁)には、が置かれました。 それは長官・次官・判官(はんがん)・主典(さかん)と呼ばれる者達で、各役所の幹部です。 役所によって使われる漢字は異なりますが、長官は「かみ」、次官は「すけ」、判官は「じょう」、主典は「さかん」と読まれました。 例えば、国を統治する役人であるの場合、長官は守(かみ)、次官は介(すけ)、判官は掾(じょう)、主典は目(さかん)となり、摂津国であれば長官は摂津守(せっつのかみ)ということになります。 国司には任期があり、任期が終わると前任者が後任者に引継ぎ書を渡すことになっていました。 後任者がこの書類を受領してはじめて滞りなく引き継がれたと認められ、この書類を受け取った後任者は「受領」と呼ばれるようになりました。 しかし、この場合「じゅりょう」ではなく「ずりょう」と読みますので注意が必要です。 なお、通常引き継ぎは長官である守(かみ)が行いますが、平安時代中期頃には長官は任地へは赴かず、次官以下が赴任して任に当たることが多くなり、実際に現地で仕事をしている次官である介(すけ)が受領(ずりょう)となる場合も多々ありました。 そして受領銘とは、「摂津守」などの受領の官名を、朝廷から与えられた刀工がその刀工名とともに茎(なかご)に切ったものです。 それでは刀工が今で言う県知事に任命されたのかというと、そうではありません。 刀工に与えられた受領の官名は名目上のもので、実際に任官した訳ではありません。 江戸時代になると、山城国の刀工である伊賀守金道(いがのかみきんみち)が、この受領銘の斡旋を行いました。 朝廷と刀工の間をとりもった金道家は斡旋料とその刀工の傑作刀を受け取り大いに繁盛し、代が下ると金道家は作刀ではなく受領銘の斡旋を生業(なりわい)とするに至りました。 そして朝廷は料金を取って受領銘を与えたのです。 政治の実権を武士に奪われた朝廷は、財源が減って苦しかったのでこういったことで収入を得ていたのです。 刀工にとっては、この受領銘は一種のステータスであり、お金を出してでも欲しいものでした。 しかし全ての刀工が受領銘を切った訳ではありません。 そして新刀期の刀工が許されたのは受領である「守」、「介」と、「掾」でした。 また、本来今で言う県知事である守は1人しかいませんが、刀工が許可される受領の名は名目上のものですから、例えば山城守は何人いてもよかったのです。 ただし、宝永年間(1704年-1710年)には、将軍の居住地である武蔵国の長官である武蔵守は禁止されています。 なお、大掾は本来「おおいのじょう」、少掾は「すないのじょう」と読むべきですが、刀工の受領銘の「大掾」については通常「だいじょう」と読まれます。 俗名とは、死んだ後に付く戒名(かいみょう)に対して生きている間の通称です。 例の場合は「与三」が俗名、「左衛門尉」は受領銘(ずりょうめい)です。 末備前の刀の場合、ただ 単に「備州長船祐定」などと切ってあるのはこの数打ち物です。 従って「長船」という名前があるからといって名刀だと勘違いしてはいけません。 この時代の「長船」は単なるブランド名で、しかも昔の名声を使っているだけのブランドですので注意が必要です。 それに対して入念に造った注文打ちなどには前述のように俗名入りで切られています。 末備前の前の応永備前(室町初期)の鍛冶にはあまり俗名入りは見かけません。 つまり数打ちの作は無かったので、あえて銘を切り分ける必要もなかったのでしょう。 太刀の時代が終わり刀の時代になっても、今まで大切に伝わってきた太刀を使いたいと思うのは当然でしょう。 太刀は寸法が長いので、そのまま腰に差すわけにはいきません。 また、新しく気に入った刀を手に入れても、自分の身長に比べて長すぎる時があります。 今は刀は使うものでは無いですが、当時はこのような場合、自分に合わせて寸法を短くする必要がありました。 刀の寸法を短くすることを 磨上げる(すりあげる)、または 区送り(まちおくり)と呼びます。 刀の寸法を短くする場合、刀の切先側から切り落とせばいいと思うかもしれませんが、 刀を短くする場合は側から短くします。 なぜかというと、切先側を切り落としてしまうとが無くなってしまいます。 切先側を切り落としても再度切先の形は作れますが、 鋩子はどうしようもありません。 下の「切先から切ると・・」の図を見てください。 寸法を縮めるのにAの線で刀を切ったとします。 そしてBの線のように切先の形を作ったとします。 そうすると、切先の形は作られてはいますが鋩子が無くなってしまっています。 鋩子のない刀は首のない人間と同じと言われるように、鋩子を無くす訳にはいきません。 従って区側から寸法を詰めるのです。 どうするかと言うと、左の右端の図を見てください。 点線の部分が元の姿です。 を上に新しく作ります。 すると自然との部分が長くなります。 これでは茎が長すぎて使いにくくなりますので、茎の余分な部分を切り落とすのです。 この場合、図のように茎を切り落としても銘が残る場合はいいのですが、茎を切り落とすことによって銘も無くなってしまう場合があります(右から2番目)。 そのような時は3番目のように銘の直ぐ下で切り落とし、銘の部分を裏側に折り返して残す場合があります。 銘はひっくり返った形になりますが、これを 折り返し銘(おりかえしめい)と言います。 また、銘の部分も切り落とさねばならない場合で、その銘をどうしても残したいと言う場合は、銘の部分を切り取って新しい茎に埋め込みます(一番左端の図)。 これを 額銘(がくめい)と呼びます。 銘を無くしてしまうには忍びない時、このような方法が採られました。 銘が無くなるほどに磨上げて無銘となったものを 大磨上無銘(おおすりあげむめい)と呼びます。 「」にも折返し銘について解説がありますので参照して下さい。 折返し銘と額銘 切先から切ると・・ 銘が金象嵌(きんぞうがん)になっているものがあります。 金象嵌とは、線彫りにした溝に金を埋め込む技法です。 研ぎ師であり日本刀の鑑定家でもあった本阿弥家(ほんあみけ)が行ったものです。 上記のように大磨上無銘になった刀を、本阿弥家が鑑定し、定めた刀工銘を金象嵌で入れたのです。 また、銘が朱漆で入れられたものもあり、これはもともと銘が切られていなかったもの、つまり 生ぶ無銘(うぶむめい)の刀に対して同様に本阿弥家が行ったものです。 金象嵌銘 左の写真が 裁断銘(さいだんめい)です。 試し切りをした結果や斬り手の名前が金象嵌などで入ります。 ちなみに左の写真では山野加右衛門と言う人が、三ツ胴(みつどう)を斬ったと言うことです。 三ツ胴とは人3人を重ねて寝かせ裁断したと言うことです。 いかに斬れるか、またその斬り手の技量が伺えます。 試し斬りなどについて詳しくはをご覧下さい。 天 正 二二 年 五 月 吉 日 左のように年紀を切ったものがたまに見られます。 この「二二」は四年の意味で、「四」は「し」につながるとして、命を守る武器としての刀には縁起が悪いとして四を分割して「二二」としているのです。 ちなみに、年数の中に「廿」といった文字が使われている場合がありますが、これは20の意味です。 にも造り込みという行程がありましたが、ここで言う造り込みとは刀の造形のことです。 日本刀の造り込みには以下のようなものがあります。 日本刀の造り込み A 平造り (ひらづくり) やがなく包丁のように平面になっています。 B 片切刃造り (かたきりはづくり) 刃は片側のみに付いており、裏面は平となっています。 「レ」のような刃の形で、鎌倉後期に流行します。 C 両刃造り (もろはづくり) 棟側にも刃が付いています。 D 鎬造り (しのぎづくり) 鎬と横手がある日本刀の一般的な造りです。 E 菖蒲造り (しょうぶづくり) 鎬造りの横手がないもので、菖蒲の葉に似ていることからこう呼ばれます。 F 切先両刃造り (きっさきもろはづくり) 切先部分もしくは刀の上半分が両刃となっており、下半分が別の造り込みになっています。 G 冠落とし (かんむりおとし) 上半分を菖蒲造りにしたものです。 H 鵜の首造り (うのくびづくり) 冠落としと同じように見えますが、下半分近くと切先部分の棟を残し、その間の鎬地を削り落としたものです。 棟側から見るとよく分かります(図参照)。 I おそらく造り 横手が刀身の半分あたりまで下がっており、切先が刀身の半分以上を占めています。 駿河国の室町期の刀工・島田助宗(しまだ すけむね)の作で、刀身に「おそらく」と彫られたものがあり、「おそらくこのような造り込みの刀はないであろう」という意味だと思われますが、このような変わった造り込みをこう呼びます。 なお、日本刀の特徴の1つである鎬造りの原型と言われるものが 切刃造り(きりはづくり)です。 これは奈良時代以前の直刀に多い造り込みで、鎬造りの鎬地を広くしたもので、切刃造りを縦に切ったものが片切刃造りです。 彫刻は日本刀初期から行われていて、もともと刀工や所持者の信仰心からおこったのでしょうが、後世には単なる装飾になっているものが多いです。 A: 素剣 (すけん) 古代インドの武器で柄の両側に剣が付いたものがあり、密教ではこれを煩悩を退治するシンボルとして用いますが、剣の部分を鈷(こ)と呼び、一本だけ剣が付いた物を独鈷(どっこ)と呼び、三本の物を三鈷(さんこ)と呼びます。 略して剣のみを彫った物を素剣と言い剣は不動明王の持っている剣を現しています。 B: 三鈷剣 C: 独鈷剣 D: 幡鉾 (ばんほこ) 密教の檀場を飾る道具で、三又になった鉾に幡(旗)が結びつけてあります。 E: 金剛索 (こんごうさく) 不動明王が左手に持っているのがこれで、外道に落ちようとする者を連れ戻すための縄です。 F: 蓮華 (れんげ) 蓮華の形をした仏像の台座を模したものです。 G: 真の倶利迦羅 (しんのくりから) 倶利迦羅は不動明王の変形で、その精密度によって真(しん)、行(ぎょう)、草(そう)の三種があります。 真は最も緻密に彫ったもので、四股で剣を掴んで図上には蓮花と炎が描かれています。 櫃を彫ってその中に倶利迦羅を彫ったもの(J)や欄間透かしに彫ったもの(K)などもあります。 H: 行の倶利迦羅 I: 草の倶利迦羅 彫刻の種類 素剣の場合、剣の頭が丸みを持ってクビレ少ない彫り様を 山城彫り(上の図の左)、クビレが大きく頭が張り、下へ行くほど幅の狭くなった彫りを 相州彫り(図の右)と呼びます。 そして一番下の写真は 護摩箸(ごまばし)と呼ばれ、透かし彫りなども行われています。 梵字(ぼんじ)とは、インドで万物を創造した「梵天」が作った文字で、信仰の対象として日本刀の初期から刀身に彫られています。 刀身に彫られる梵字で多いのは以下のようなものです。 梵字の一例 雄山閣「日本刀大百科事典」福永酔剣氏著 第五巻より.

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耳が丸い詰む

アニコム損害保険株式会社が毎年発表している人気猫の品種ランキングでも10年間1位を獲得したというほどダントツ人気の品種だ。 名前の通り、まん丸な顔も特徴的だ。 コメントには「やっぱりスコが飼いたい!」、「猫飼うならスコだよね」という声も多かった。 確かに、スコティッシュフォールドは、愛くるしく、かわいい。 この仔猫には罪はなく、丈夫に育ってほしいと思う。 しかし、かわいいから、人気ランキング1位の品種だから、有名人が飼い始めたから、 とスコティッシュフォールドを飼うのには、さまざまな問題がある。 「かわいいんだからいいじゃない」では済まされない、スコティッシュフォールドが「生み出された」背景をぜひとも知ってほしいと思う。 誕生してから歴史が浅い新しい品種 スコティッシュフォールドは、1961年にスコットランドの農園で、耳が折れた猫が生まれたことが発祥とされている。 すると生まれた仔猫の中にも、折れ耳がみつかり、遺伝することが確認され、折れ耳猫の繁殖計画が開始された。 その後、1971年にアメリカの遺伝学者の元へ数匹の折れ耳猫が送られ、 ブリティッシュショートヘアやアメリカンショートヘアと交配が進められた。 品種としてはまだ歴史は浅いのだ。 他の猫にないこの特徴が人気の最大の要因になっている。 先ほどお話した、スコットランドの農園で、たまたま耳の折れた奇形の猫が生まれ、新しい形状が面白いと繁殖が試みられたのだ。 しかし、この軟骨の異常は、都合よく耳だけに現れるわけではない。 正式には『遺伝性骨軟骨異形成』と呼ばれ、容赦なく四肢にも症状が現れる。 早ければ生後数ヵ月で発症することもあり、痛みによってジャンプができない、痛くて歩きたがらない、触ると嫌がる、などの症状が起ってしまうのだ。 折れ耳の猫には、ほぼ100%の確率で、何かしらの症状が出ると言われている。 発症した場合、グルコサミンなどのサプリメントで症状を緩和する、臓器に負担をかける鎮痛剤を一生使い続ける、 低線量放射線の照射をして痛みの緩和をする、外科手術を行うなどの治療が行われる。 しかし、どれも対症療法のみで、根本的な治療法は見つかっていない……。

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文化庁

耳が丸い詰む

アニコム損害保険株式会社が毎年発表している人気猫の品種ランキングでも10年間1位を獲得したというほどダントツ人気の品種だ。 名前の通り、まん丸な顔も特徴的だ。 コメントには「やっぱりスコが飼いたい!」、「猫飼うならスコだよね」という声も多かった。 確かに、スコティッシュフォールドは、愛くるしく、かわいい。 この仔猫には罪はなく、丈夫に育ってほしいと思う。 しかし、かわいいから、人気ランキング1位の品種だから、有名人が飼い始めたから、 とスコティッシュフォールドを飼うのには、さまざまな問題がある。 「かわいいんだからいいじゃない」では済まされない、スコティッシュフォールドが「生み出された」背景をぜひとも知ってほしいと思う。 誕生してから歴史が浅い新しい品種 スコティッシュフォールドは、1961年にスコットランドの農園で、耳が折れた猫が生まれたことが発祥とされている。 すると生まれた仔猫の中にも、折れ耳がみつかり、遺伝することが確認され、折れ耳猫の繁殖計画が開始された。 その後、1971年にアメリカの遺伝学者の元へ数匹の折れ耳猫が送られ、 ブリティッシュショートヘアやアメリカンショートヘアと交配が進められた。 品種としてはまだ歴史は浅いのだ。 他の猫にないこの特徴が人気の最大の要因になっている。 先ほどお話した、スコットランドの農園で、たまたま耳の折れた奇形の猫が生まれ、新しい形状が面白いと繁殖が試みられたのだ。 しかし、この軟骨の異常は、都合よく耳だけに現れるわけではない。 正式には『遺伝性骨軟骨異形成』と呼ばれ、容赦なく四肢にも症状が現れる。 早ければ生後数ヵ月で発症することもあり、痛みによってジャンプができない、痛くて歩きたがらない、触ると嫌がる、などの症状が起ってしまうのだ。 折れ耳の猫には、ほぼ100%の確率で、何かしらの症状が出ると言われている。 発症した場合、グルコサミンなどのサプリメントで症状を緩和する、臓器に負担をかける鎮痛剤を一生使い続ける、 低線量放射線の照射をして痛みの緩和をする、外科手術を行うなどの治療が行われる。 しかし、どれも対症療法のみで、根本的な治療法は見つかっていない……。

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