遊び を せん と や 生まれ けむ。 安倍政権の不祥事をまとめた年表(2012~2020)

遊びをせんとや生まれけむ『梁塵秘抄』の遊びの本当の意味

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が言う 「正義中毒」にかかっているというか、私が生まれ持ったDNAに「正義」的なものが埋め込まれていますが、何か? 「自分が属する集団」などない私は、嘘つきで無恥無知無能なやその周辺が許せないだけだ。 それは安倍を責めているだけなのかもしれないが、総理大臣という席に座っているならそれくらいの事覚悟しないと。 こちとら命がかかっていますから。 御用学者がうざいわ。 そもそも、中野の言う《 「自分は絶対に正しい」「他人の言動が許せない」という感情》を持ってはいけないのは、国のトップではないだろうか。 「 お前のそのセリフ安倍に言え」てことだ。 もっと長いスパンで社会を身よ。 安倍が辞めたら社会的ストレスホルモンが消えて、正義中毒者も自然消滅する。 一方で、がで炎上している。 わかったことがある。 のことばかり聞いているのがつらいのではなかった。 ずっと、誰ががが誰かを責め立てている。 これを感じるのがつらいのだ。 じぶんのことをしろ。 じぶんのことをしろ」 とつぶやいて、炎上したわけだが、責め立てている人を糸井が責めている。 誰かが誰かを責め立てているのを感じるのがつらいって、「誰か」というのは安倍やその周辺のことだとみな理解していて糸井のことをクソ文化人と怒っている。 # 「手帳」を売る以前まで糸井はリベラルな感性の持ち主だと思っていたが、今や単なる政権擁護をするオッサン。 安倍を支持するクソ文化人か? 神戸で立てた巨大なクリスマスツリーで世間に叩かれてから、になったのかもしれないな。 好きな釣り三昧で隠居生活していればいいのではないか。 うざいわ。 (以下、2011年の糸井のクソツイート) toship-asobi.

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「遊びをせんとや生まれけむ」は哀しい遊女の歌なのか?-大岡信『あなたに語る日本文学史』と網野善彦『日本の歴史をよみなおす』|吉隠ゆき|note

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Photo by Nobuyoshi Araki• 出演作は数多。 語録は限りなく。 活動は気持ちのままに広範囲。 多才・鬼才な〈希林さん〉を愛する全ての人に贈る。 国民的女優として活躍した樹木希林さんが、天に召されて早一年。 梁塵秘抄から引用の「遊びをせんとや生まれけむ」は、希林さんが生前に愛した言葉でした。 時を忘れ無邪気に遊ぶ童のように、生きることを楽しみ、ご本人は今なお、まだまだ夢の途中、新しい世界で次なる挑戦を続けているように感じます。 本展は、貴重な愛用品、写真や映像、残した言葉の数々によって、希林さんを感じ、自分と向き合いながら、もう一度希林さんに会える、そして自分を見つめ感じていただく構成となっております。 渋谷・池袋・広島にて好評を博した完全版5章に、「きものの部屋」「京都の部屋」を加えた全7章約300点による横浜特別編をお楽しみください。 なお、そごう美術館に併設のミュージアムショップには、展覧会記念品「KILIN スタイル」が登場。 展示品と書きおろしも加筆された「図録」のほか、希林さんのイラストを職人が一つずつ手描きして仕上げた「KILINだるま」、長年、希林さんのファッションを手掛けてきたデザイナー・ムッシュ遠藤氏にデザインしていただいた「ビッグTシャツ」や「トートバッグ」、さらに、主演した映画「あん」の撮影場所にちなむ「ぜんざい」など、希林さんゆかりの品々をラインナップします。 【開催概要】 主 催:そごう美術館 特別協力:日本アカデミー賞協会 協 賛:㈱そごう・西武 料 金:一般1,000(800)円、大学・高校生800(600)円、中学生以下無料 *消費税含む。 *( )内は前売および20名さま以上の団体料金。 *以下のカードをお持ちの方はカード提示で 内の料金にてご入館いただけます。 *前売券は、12月31日(火)まで、そごう美術館またはセブンチケット・ローソンチケット・イープラス・チケットぴあにてお取り扱いしております。 希林節で語られた映画 に対する思い、役者として参加したエピソードを紹介。 デビュー前の写真や希林さん直筆の手紙から、こだわり抜いた服や着物、セーターやマフラーをリメイクした手編みブランケット等。 娘夫婦、孫たちと暮らした「こだわりの家」を写真と愛用品にて再現。 希林さんを噛み締めて歩くための道。 お気に入り、仕事用、特別な日に、そして日常使いと、希林さんの「きもの愛」と「創意工夫」にスポットをあてて披露。 展覧会記念品「KILIN スタイル」 展覧会の図録、希林さんのイラストを職人がひとつづつ手描きして仕上げただるま、ビッグTシャツやトートバッグなど、希林さんのサービス精神のおすそ分けを持ち帰ることのできる記念品を販売します。 図録(A5サイズ、160P)1,650円 図録&トート希お得セット(約 タテ25. 男女兼用です。 トートバッグ・mini(約 タテ25. 高崎の一千乃の職人が一つ一つ手描きで仕上げました。 黒は魔除け、白には長寿の願いが 込められています。 KILINだるま(約 幅6. 北海道産小豆にこだわった地元東村山の製餡会社・遠藤製餡が製造したぜんざいは、東村山の障 がい者自立支援センターの方々によって包装されています。 旅する小豆たち・ぜんざい(1個、160g)540円.

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「遊びをせんとや生まれけむ」は哀しい遊女の歌なのか?-大岡信『あなたに語る日本文学史』と網野善彦『日本の歴史をよみなおす』|吉隠ゆき|note

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「遊びをせんとや生まれけむ」この有名なフレーズは、『梁塵秘抄』という本の中にある、当時の歌謡曲の中の歌詞の言葉です。 『梁塵秘抄』は今様の歌謡集 この歌謡は「今様」(いまよう)と呼ばれました。 『梁塵秘抄』は、その今様を集めた、平安時代末期に編まれた歌謡集です。 本来は短歌のような書き表された詩歌ではなくて、演者、主に遊女が実際にその歌詞で歌い、同時に舞いを舞う芸の一つでした。 「遊びをせんとや生まれけむ」は今様の歌詞 後白河法皇は少年のときより、この「今様」と呼ばれる歌謡をたいへんに好んでおり、実際演じさせては楽しみ、また自分でも口伝えにして憶えて、歌ったりしたのです。 自分の死後それらが伝わらなくなることを惜しみ、書き留めて本にしました。 その集成の本のタイトルが『梁塵秘抄』です。 その当時に楽譜があれば、それも書き残すことができたでしょう。 後白河院は、それを遊女から、口伝えで直接習ったようですが、残念ながら節回しは正確にはわかりません。 しかし、類推するところを演奏している演奏家や、ネットで音源にしている人もおり、いろいろな推測がなされているようです。 「梁塵秘抄」の現代への伝わり方 1911年(明治44年)、佐佐木信綱らによって巻第二、巻第一と口伝集巻第一の断片、口伝集の巻第十一から第十四が発見されました。 それに続いて、大正から昭和にかけて、佐佐木の校訂による本が明治書院と岩波書店から刊行されたのです。 そして、その当時それを読んだ、斎藤茂吉や、北原白秋が感銘を受けて、そのモチーフを相互に短歌に取り入れ、お互いにも影響を受けました。 もちろん、私が『梁塵秘抄』に興味を持ったのも、それらを取り入れた短歌の作品を読んだからです。 下に述べますが、ひじょうに魅力的なモチーフで、際立った特徴があります。 関連記事: 「今様」とはどんな歌? そもそもの「今様」とはどんな歌だったのでしょうか。 「今様」の「今」とは古いものに対して、その時代には最も新しいものであったという意味です。 いくつかのカテゴリーがあり、そのうち法文歌といわれる、仏教系の歌が数がもっとも多くあります。 しかし、仏教とはいっても、踊りがついており、それを歌っていたのは遊女ですから、文学的な堅苦しいものでも、仏典のようなものでもなく、あくまで流行歌のジャンルであったようです。 「遊びをせんとや生まれけん」を歌った人は? 「遊びをせんとや生まれけん」は、実際に歌として歌われていたのですが、歌った人は思いに「白拍子」と呼ばれる遊女たちでした。 遊女たちは当時は「遊女」(あそび)とか「傀儡子」(くぐつ)とか「白拍子」と呼ばれており、遊女が芸能を披露するのも生業の一部だったのです。 白拍子とは各地を巡遊する芸能の民で、白い装束に男の烏帽子をつけるという独特の男装スタイルで、今様を舞い踊りました。 能に出てくる静御前は、白拍子の一人で、その服装がうかがえるでしょう。 当時は女性が男装をするのが、当世風であったのです。 また人形遣いの「傀儡子」(くぐつ)は、人形を箱の上に置いて操りながら、今様を謡ったともいいます。 今様というのは、そのように演じられたものを皆に見せて、楽しませるためのものでした。 今様の内容と雰囲気 娯楽目的の歌であったのは間違いないのですが、神や仏を恐れ敬うというのではなく、しかし敬虔さがにじみ出ているという不思議な性格です。 茂吉や白秋が影響を受けたのも、この点といえます。 また、歌っていた遊女の境涯を反映して、華やかであると同時に哀感を感じさせるものが多いのも特徴です。 それを実際の歌で見ていきます。 「遊びをせんとや生まれけん」の全文 遊びをせんとや生れけん 戯(たはぶれ)れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそゆるがるれ 七五調の4節でできており、平安町末期の歌謡形式でできています。 今でもWikipediaでは、これを「童心の歌」とまとめて書いており、私も深く考えないで読んでいました。 しかし、「遊女(あそびめ)」というように、この歌の「遊び」は二重の意味があり、この1行目と2行目の「遊び」と「戯れ」とは、子どもの遊ぶことだけではなさそうなのです。 3行目の「遊ぶ子供の」というところだけが、ここはその通り「子どもの遊び」ですが、遊女のいう「遊び」や「戯れ」は果たしてそれだけなのでしょうか。 「遊びをせんとや生まれけむ」の現代語訳と意味 この意味には二通りの解釈が成り立ちます。 「遊びをせんとや生まれけむ」の意味 一つは、 意味2: 遊びをしようとして、わたしはこの世に生まれてきたのだろうか。 戯れごとをしようとしてこの世に生まれてきたのだろうか。 無心に遊ぶ子どもの声を聴いていると、私の身も心も揺らいできてしまう これを歌う立場の人は遊女であると上に記した通りです。 彼女たちのいう「遊び」や「戯れ」とは、子どもの遊びだけではない、という類推です。 うかうかと男女の悦楽にふけって、ある日「自分はこんな遊びのためにうまれてきたのだろうか」という疑問が胸に浮かぶ。 子供の無心な声を聞けば、昼間の今は、表向きは子どもと同じように華やかに舞を舞っている。 しかし、夜は遊女としてけっしてそれと同じではない、あさましいなりわいが待っている。 そんなことのために、自分は生まれてきたのかという、深い嘆きの声がこめられているのがこの歌だという考え方です。 しかし、これはあくまで「歌」なのであって、舞と合わせるべき華やかさ、調べの軽さと調子の良さがあります。 そしてそれが悲しみ一辺倒ではない、不思議なデカダンスを感じさせるものともなっています。 おそらく、後白河院もそうだったかもしれませんが、後世の歌人たち、特に北原白秋や、斎藤茂吉が影響を受けたというのは、この今様の独特の雰囲気にあるのではなかったでしょうか。 『梁塵秘抄』の他の代表的な歌 『梁塵秘抄』の歌から、他にも有名なものを引いてみます。 「仏はつねにいませども」と「舞へ舞へ蝸牛」は「遊びをせんとや」と並んで、常に引用される梁塵秘抄の代表歌となっています。 『仏はつねにいませども』 舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に 蹴(く)ゑさせてん 踏み破(わ)らせてん 真(まこと)に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん 蝸牛に向かって歌う歌なのですが、「カタツムリ」を詠う点はわらべ歌のようでありながら、舞を詠うこの歌には、華やかさが付きまといます。 さらに、運命を翻弄するような、厳しく残酷な部分を含みます。 実はこの「カタツムリ」というのものに、この歌を歌っている白拍子自身のことが重ねられているからです。 そのように歌って皆を楽しませている遊女本人が、美しく舞わなければ明日はない。 そもそも、鈍重な蝸牛が美しく舞えるはずもなく、それを「舞え」というのは、からかいなのです。 そう思って味わえば、華やかでありながら、残酷であり、刹那的な春をひさぐものとしての悲しみが感じられるでしょう。 まとめ 吉田兼好は『徒然草』に「梁塵秘抄の郢曲(えいきょく)の言葉こそ、また、あはれなる事は多かめれ」と書きました。 また、北原白秋は「ここに来て梁塵秘抄を読むときは金色光(こんじきこう)のさす心地する」と「梁塵秘抄」そのものを詠んでいます。 歌い回しはわからなくても、そのように文字として残された『梁塵秘抄』。 書き残されたのは1174年、今からさかのぼって840年余り前のことです。 遠い遠い世の遊女たちが作っては、口伝えで残された歌、それを書き留めた一冊の選集が、後々の詩歌にも影響を与えるところとなって、今に伝えられていると思うと、いっそう感慨が深いものがありますね。

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