相川 七瀬 ライブ。 相川七瀬|イベント詳細|ビルボードライブ大阪|Billboard Live(ビルボードライブ)

【2020現在】相川七瀬は若い頃と顔変わった?今と昔の画像比較

相川 七瀬 ライブ

1995年、約40万枚を売り上げたシングル「夢見る少女じゃいられない」で鮮烈なデビューを飾って以降、数多くのヒット曲を世に送り出し、女性ロックアーティストとして揺るぎないポジションを築いてきた。 そんな彼女が、デビュー25周年を迎える今年、國學院大學神道文化学部に合格した。 結婚・子育てを経ても精力的にライブを行い、歌手として、母として、人生に確かな足跡を残しているなか、なぜ今「学びたい」意欲に燃えているのか。 45歳にして春から大学生になる相川に真意を聞いた。 【相川】10年近く、種子島と対馬と岡山の3箇所だけに残る「赤米神事」を守り、伝承する大使をやらせてもらっているのですが、その活動を通じて、もう一歩踏み込んで、学術的に神事に関わる勉強をしてみたいと思い始めたのがきっかけでした。 私は歌手で、発信することが仕事なので、勉強することで、もっと私のメッセージが重みを持ってみなさんに伝わるんじゃないかと思ったんです。 【相川】2016年から、岡山で「赤米フェスタ」という音楽フェスをやらせてもらっているんですが、やっぱり自分の活動は、歌にひもづかないことには意味がないと思っていて。 ですから、大学で学ぶことも決して歌から離れてはいなくて、歌を一層ふくよかにしていくための基礎作りの一つとも考えています。 神事で行われる神楽(かぐら)が日本の芸能の発祥だとしたら、今の私の仕事につながっている部分もありますしね。 赤米の大使をやることになったのも、2011年に日韓友好のライブで訪れた対馬がきっかけでした。 何百年と続く赤い稲穂のお祭りがあると知り、お話が聞きたくて、赤米を育てている方のお宅に伺いました。 現在、赤米を育てているのはその方お一人で、継承者がいないために、赤米の神事が存続の危機にあると聞き、何か私にお手伝いできることはないかと考えこの活動が始まりました。 私は祭りを通して地域活性に携わっていきたいと思っているので、そういったデータをまとめるとともに、なぜ、その地域の祭りは続いたのか、あるいは続かなかったのかということも研究テーマにして、自分の次の活動の起爆剤にできたらと思っています。 あと、古事記や日本書紀をグッと掘り下げることって(これまで)なかなかできなかったので、それも学生のうちにやってみたいですね。 というのも、私は高校を中退して上京したので、大学受験のためには、まず、高卒認定を取らなければならなかったんです。 でも、子育てや子供の受験などがあったりして、自分にそんなに時間がさけなかった。 それでもコツコツ積み上げるしかないと思って資格を取るための準備をしました。 毎朝、子供たちが出かけてから勉強するということを日課にしていましたが、高卒認定を取って、大学受験までかかった時間はおおよそ2年半ぐらいでしょうか。 家庭にひずみが生じれば、自分にダメージがきて、結果、相川七瀬という仕事にも影響があると思っていたので、母親でいる事を一番の私の軸にしようと考えてきました。 勉強に関しても、その考えでうまくペース配分していたつもりですが、いつのまにかみんなで一緒にリビングで勉強するようになりました。 特に高卒認定は、海外に留学中の長男と猛烈に勉強しました。 彼には、数学を随分教えてもらいお世話になりました。 (笑)一緒に勉強して、一緒に試験会場に行って、受験生ならではの悩みとか、本来なら親子でシェアできないことも語り合えて、すごく貴重な経験ができました。 そして何より、いくつになっても勉強は始められるし、いくつになっても勉強は続く。 そういうことを3人の子供たちに見せられるのは、すごく価値のあることだなと思っています。 子供たちと一緒に勉強することで、一つの目標を持って越えていくことの大事さや、年齢に合った進化をしていくことなど、私もまた、いろいろなことを彼らから教えられています。 【相川】高校をやめて上京する決心が当時なければ歌手にはなっていないので、高校中退は自分にとって必要なプロセスだったと思っています。 でも、みんなが10代にやってきたことをすっ飛ばして社会人になって仕事をしてきて、なんとなく、その部分を取り戻したいという夢はずっとあった気がします。 ただ、20代も30代も飛び込んでいく勇気が持てなかった。 その年代はまだ欲があるから、もっと認められたい、もっと売れたい、立ち止まったら負けとか、振り返ったら負けみたいなところがあったんですよね。 でも、40代に入って欲が少しマイルドになったというか。 消費していくのではなくて、日々を味わって昇華していきたいと思うようになって。 それが自分の歌にも人生にも豊かさを与えるようになってきたかな、と感じているんですけど、大学受験についても、50歳になるまでにその部分をコンプリートしたいから、今、ここでいくしかない!って思ったんです。 【相川】デビューからプロデュースしていただいた織田哲郎さんと、これまで一度もツアーを一緒にまわったことがないので、やろうか!って話しているんですよ。 先日、織田さんに会ったとき、今後の相川七瀬は「どんどん尖っていって、どんどんパンクになっていくのがいいと思う。 落ち着くのだけはつまらないな」と言われたんです。 私にはその発想はなかった(笑)。 若い頃と大人になってからの尖り方は違うと思うし、その言葉を一つのヒントに、大人のパンクロックを模索したいですね。 25周年に向かって今は、新しい曲のプリプロに入っています。 織田さんとの新曲もこのタイミングで叶ったらいいなと思っています。 過去、私が書いた歌詞を織田さんはたくさんキープしてくれているので、その中から50代になっても歌える普遍的なバラードを作ってほしいとお願いしました。 出来るか出来ないかは織田さん頼みですが(笑)。 これから大学でも、若い人にもまれて、フレッシュな発想にふれて、老いている場合じゃないぞって(笑)。 大学生活を送った先、5年後は30周年を迎えるので、その時に自分がどうなっているのか、ちょっといい意味でわかんないなって、ワクワクしています。 【相川】私、数年前に幼なじみを看取ったんです。 私と同じような年頃の子どもが2人いて、バリバリ働いていた。 「自分には大きな夢があって、それを叶えるために頑張ってる」って言っていた。 夢って子どもが抱くものと思っていた私は、彼女の言葉にハッとさせられました。 亡くなった後、自分はこれからどういうふうに50歳を迎えるかを考えたとき、彼女に恥じないような、夢に向かっていける人間になりたいって思ったんです。 歳をとると周りに夢を宣言するのってすごく勇気がいります。 私自身、合格して書類が届くまで、家族と家庭教師の先生にしか大学受験の話を打ち明けられませんでした。 でも、今、改めて、夢を持つことってすごく大事だと感じています。 みんなにも小さくてもいいから何か夢を持ってほしいなって思います。 いくつになっても人は輝ける。 リミットを決めているのは自分であって、他人じゃない。 夢を持って、自分の命をキラキラ輝かせてほしいなって思います。 (ライター・河上いつ子).

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相川七瀬|イベント詳細|ビルボードライブ大阪|Billboard Live(ビルボードライブ)

相川 七瀬 ライブ

ロックシンガー相川七瀬のライブツアー2020「forbidden」ファイナル公演が誕生日の16日、東京・渋谷で開催された。 彼女のバースデーを祝うかたちで、今年も大勢のファンが集まった。 「僕らのEndless Dream」と続きテンポアップするが、ここで「23歳になりました 笑 」というお約束のセリフで一気に会場を和ませる。 続いて杏里のカバーで「オリビアを聴きながら」をしっとりと披露。 JUJUの「やさしさで溢れるように」では、闘病する親友とのエピソードに触れ、「今日よりも明日へと進んでいけるように、懸命に頑張る彼女に恥じない日々を送りたい。 夢を持って生きていきましょう」と強いメッセージを添えた。 そこからはチェッカーズ「夜明けのブレス」や中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE」など様々なカバーソングが続き、まさかのカバーライブのような攻めたセットリストでファンを驚かせた。 アンコールはポケモンの楽曲である「ニャースのパーティ」で登場。 続いてバースデーサプライズとして寺田恵子 SHOW-YA がケーキをもって現れると、女子トークも炸裂した。 相川とユニット「ANNA」を組んでいる中村あゆみや、杏子 BARBEE BOYS ら先輩女性ロックシンガーたちの話題に触れ、自分の5年後、10年後も楽しみだと語った。 続いて呼び込んだゲストは、次男のRio。 ドラマーとしてこれまで幾度かのライブに出演しているが、どんどん上達する彼と「Sweet Emotion」を親子でセッションで披露。 一瞬、親としての笑顔をも垣間見せた。 そして最後のゲストはなんと宇崎竜童。 大御所ロックミュージシャンの登場に相川も緊張を見せるが、宇崎はそんなことはどこ吹く風と、軽やかに会場を包み、さすがの風格を見せた。 楽曲はもちろん「ロックンロールウィドウ」をセッション。 ラストは本当に予定がなかったダブルアンコールの声に「夢見る少女じゃいられない」を再度演奏し、ライブは終了した。 相川は11月にデビュー25周年を迎える。

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相川七瀬、“憧れ”工藤静香とライブ初共演 「長い間夢みていた」と感涙

相川 七瀬 ライブ

相川 七瀬(あいかわ ななせ、1975年2月16日 - )は、日本の女性歌手、カラーセラピスト。 國學院大學神道文化学部に在籍中。 大阪府大阪市東淀川区上新庄出身。 血液型はAB型。 本名は佐伯 美咲(さえき みさ)。 来歴 中学1年生の時に「中学3年生までオーディションを受けさせて」と母に頼み込んだことで、1990年、これが最後とした15歳(中学3年生)の頃にソニー主催のオーディションを受けるも結果は不合格。 芸能界をあきらめて高校に進学するが、進学して1年くらい経った時に、オーディションの審査員でもあり後にプロデューサーとなる織田哲郎から直接電話を受ける。 この時は、自分の中では芸能界入りはあきらめていたとして一度は断るも、この時織田は自分の家の電話番号を伝え、これからさらに一年ほどした頃に改めて織田に連絡をして。 1995年11月、織田のプロデュースによる「夢見る少女じゃいられない」でエイベックスのmotorodレーベルから歌手デビュー。 相川七瀬をトータルプロデュースするにあたり、織田はそれまでの「前向きなガール・ポップ」に対して「前向きじゃないダークなロック」を全面に打ち出した。 1996年7月、ファーストアルバム「Red」をリリース。 オリコンのアルバムチャート初登場で一位、現在までに245万枚を超すダブル・ミリオン大ヒットを記録した。 同年10月発売の5thシングル「恋心」はミリオンセラーを記録し自身最大のヒット曲となった。 年末には第47回NHK紅白歌合戦に初出場、「夢見る少女じゃいられない」を披露した。 1997年、7月にアルバム「paraDOX」発売、この作品もオリコン初登場一位獲得、現在までに143万枚を売り上げている。 デビューからわずか1年10か月での日本武道館ライブであった。 同年も紅白出場が有力視されたが、アルバムジャケットの海外撮影と日程が重なったことなどから見送られた。 1 「相川七瀬」『ウィキペディア Wikipedia : フリー百科事典』。 2020年05月17日 日 12:44UTC 公式サイト• 関連アーティスト• お気に入り登録する 関連ニュース.

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