す いかん ない にゅ うと うねん えき 腫瘍。 平家物語 流布本 全巻

和漢朗詠集

す いかん ない にゅ うと うねん えき 腫瘍

はしがき 一。 太平洋の波に浮べる、この船にも似たる我日本の國人は、今や徒らに、富士山の明麗なる風光にのみ恍惚たるべき時にはあらざるべし。 光譽ある桂の冠と、富と權力との優勝旗は、すでに陸を離れて、世界の海上に移されたり。 この冠を戴き、この優勝旗を握らむものは誰ぞ。 他なし、海の勇者なり。 海の勇者は即ち世界の勇者たるべし。 上村海軍少佐の懇切なる教示と、嚴密なる校閲とを受けたるは、啻に著者の幸福のみにはあらず、讀者諸君若し此書によりて、幾分にても、海上の智識を得らるゝあらば、そは全く少佐の賜なり。 遙かに、獨京伯林なる、巖谷小波先生の健勝を祈る。 市街 ( まち )はづれの 停車塲 ( ステーシヨン )から 客待 ( きやくまち )の 馬車 ( ばしや )で、 海岸 ( かいがん ) 附近 ( まぢか )の 或 ( ある ) 旅亭 ( はたごや )に 着 ( つ )き、 部室 ( へや )も 定 ( さだ )まり 軈 ( やが )て 晝餉 ( ひるげ )もすむと 最早 ( もはや ) 何 ( なに )も 爲 ( す )る 事 ( こと )がない、 船 ( ふね )の 出港 ( しゆつこう )までは 未 ( ま )だ十 時間 ( じかん ) 以上 ( いじやう )。 それは 濱島武文 ( はまじまたけぶみ )といふ 人 ( ひと )の 事 ( こと )で。 濱島武文 ( はまじまたけぶみ )とは 私 ( わたくし )がまだ 高等學校 ( かうとうがくかう )に 居 ( を )つた 時分 ( じぶん )、 左樣 ( さやう )かれこれ十二三 年 ( ねん )も 前 ( まへ )の 事 ( こと )であるが、 同 ( おな )じ 學 ( まな )びの 友 ( とも )であつた。 彼 ( かれ )は 私 ( わたくし )よりは四つ五つの 年長者 ( としかさ )で、 從 ( したがつ )て 級 ( くみ )も 異 ( ちが )つて 居 ( を )つたので、 始終 ( しじう ) 交 ( まぢは )るでもなかつたが、 其頃 ( そのころ ) 校内 ( かうない )で 運動 ( うんどう )の 妙手 ( じやうず )なのと 無暗 ( むやみ )に 冐險的旅行 ( ぼうけんてきりよかう )の 嗜好 ( すき )なのとで、 彼 ( かれ )と 私 ( わたくし )とは 指 ( ゆび )を 折 ( を )られ、 從 ( したがつ )て 何 ( なに )ゆゑとなく 睦 ( むつ )ましく 離 ( はな )れがたく 思 ( おも )はれたが、 其後 ( そのゝち ) 彼 ( かれ )は 學校 ( がくかう )を 卒業 ( そつぎやう )して、 元來 ( ぐわんらい )ならば 大學 ( だいがく )に 入 ( い )る 可 ( べ )きを、 他 ( た )に 大望 ( たいもう )ありと 稱 ( しよう )して、 幾何 ( いくばく )もなく 日本 ( ほんごく )を 去 ( さ )り、はじめは 支那 ( シナ )に 遊 ( あそ )び、それから 歐洲 ( をうしう )を 渡 ( わた )つて、六七 年 ( ねん ) 以前 ( いぜん )の 事 ( こと )、 或 ( ある ) 人 ( ひと )が 佛京巴里 ( フランスパリ )の 大博覽會 ( だいはくらんくわい )で、 彼 ( かれ )に 面會 ( めんくわい )したとまでは 明瞭 ( あきらか )だが、 私 ( わたくし )も 南船北馬 ( なんせんほくば )の 身 ( み )の 其後 ( そのゝち )の 詳 ( つまびらか )なる 消息 ( せうそく )を 耳 ( みゝ )にせず、たゞ 風 ( かぜ )のたよりに、 此頃 ( このごろ )では、 伊太利 ( イタリー )のさる 繁華 ( はんくわ )なる 港 ( みなと )に 宏大 ( りつぱ )な 商會 ( しやうくわい )を 立 ( た )てゝ、 專 ( もつぱ )ら 貿易事業 ( ぼうえきじげふ )に 身 ( み )を 委 ( ゆだ )ねて 居 ( を )る 由 ( よし )、おぼろながらに 傳 ( つた )へ 聞 ( き )くのみ。 』と 口 ( くち )と 手眞似 ( てまね )で 窓 ( まど )から 首 ( くび )を 突出 ( つきだ )して 『あれ/\、あそこに 見 ( み )へる 宏壯 ( りつぱ )な三 階 ( がい )の 家 ( いへ )!』 天外 ( てんぐわい ) 萬里 ( ばんり )の 異邦 ( ゐほう )では、 初對面 ( しよたいめん )の 人 ( ひと )でも、 同 ( おな )じ 山河 ( やまかは )の 生 ( うま )れと 聞 ( き )けば 懷 ( なつ )かしきに、まして 昔馴染 ( むかしなじみ )の 其人 ( そのひと )が、 現在 ( げんざい ) 此 ( この ) 地 ( ち )にありと 聞 ( き )いては 矢 ( や )も 楯 ( たて )も 堪 ( たま )らない、 私 ( わたくし )は 直 ( す )ぐと 身仕度 ( みじたく )を 整 ( とゝの )へて 旅亭 ( やどや )を 出 ( で )た。 旅亭 ( やどや )の 禿頭 ( はげあたま )に 教 ( をし )へられた 樣 ( やう )に、 人馬 ( じんば )の 徃來 ( ゆきゝ ) 繁 ( しげ )き 街道 ( かいだう )を 西 ( にし )へ/\と 凡 ( およ )そ四五 町 ( ちやう )、 唯 ( と )ある 十字街 ( よつかど )を 左 ( ひだり )へ 曲 ( まが )つて、三 軒目 ( げんめ )の 立派 ( りつぱ )な 煉瓦造 ( れんぐわづく )りの 一構 ( ひとかまへ )、 門 ( かど )に T. Hamashima ( はまじまたけぶみ ), と 記 ( しる )してあるのは 此處 ( こゝ )と 案内 ( あんない )を 乞 ( こ )ふと、 直 ( す )ぐ 見晴 ( みはら )しのよい 一室 ( ひとま )に 通 ( とう )されて、 待 ( ま )つ 程 ( ほど )もなく 靴音 ( くつおと ) 高 ( たか )く 入 ( い )つて 來 ( き )たのはまさしく 濱島 ( はまじま )! 十 年 ( ねん ) 相 ( あひ ) 見 ( み )ぬ 間 ( ま )に 彼 ( かれ )には 立派 ( りつぱ )な 八字髯 ( はちじひげ )も 生 ( は )へ、 其 ( その ) 風采 ( ふうさい )も 餘程 ( よほど ) 變 ( ちが )つて 居 ( を )るが 相變 ( あひかは )らず 洒々落々 ( しや/\らく/\ )の 男 ( おとこ )『ヤァ、 柳川君 ( やながはくん )か、これは 珍 ( めづ )らしい、 珍 ( めづ )らしい。 』と 下 ( した )にも 置 ( お )かぬ 待遇 ( もてなし )、 私 ( わたくし )は 心 ( しん )から ( うれ )しかつたよ。 』と 問 ( と )ひかけた。 『イヤ、イヤ、 决 ( けつ )して 御心配 ( ごしんぱい )なく。 』と 彼 ( かれ )は 此時 ( このとき ) 珈琲 ( カツヒー )を 一口 ( ひとくち ) 飮 ( の )んだが、 悠々 ( ゆう/\ )と 鼻髯 ( びぜん )を 捻 ( ひね )りながら 『 何 ( なに )ね、 實 ( じつ )は 旅立 ( たびだ )つ 者 ( もの )があるので。 』 オヤ、 何人 ( どなた )が 何處 ( どこ )へと、 私 ( わたくし )が 問 ( と )はんとするより 先 ( さき )に 彼 ( かれ )は 口 ( くち )を 開 ( ひら )いた。 『 時 ( とき )に 柳川君 ( やながはくん )、 君 ( きみ )は 當分 ( たうぶん ) 此 ( この ) 港 ( みなと )に 御滯在 ( おとまり )でせうねえ、それから、 西班牙 ( イスパニヤ )の 方 ( はう )へでもお 廻 ( まは )りですか、それとも、 更 ( さら )に 歩 ( ほ )を 進 ( すゝ )めて、 亞弗利加 ( アフリカ ) 探險 ( たんけん )とでもお 出掛 ( でか )けですか。 』 『アハヽヽヽ。 』と 私 ( わたくし )は 頭 ( つむり )を 掻 ( か )いた。 『つい 昔話 ( むかしばなし )の 面白 ( おもしろ )さに 申遲 ( まうしおく )れたが、 實 ( じつ )は 早急 ( さつきふ )なのですよ、 今夜 ( こんや )十一 時 ( じ ) 半 ( はん )の 船 ( きせん )で 日本 ( くに )へ 皈 ( かへ )る 一方 ( いつぱう )なんです。 』 『えい、 君 ( きみ )も?。 』と 彼 ( かれ )は 眼 ( め )を 見張 ( みは )つて。 『 矢張 ( やはり ) 今夜 ( こんや )十一 時 ( じ ) 半 ( はん ) 出帆 ( しゆつぱん )の 弦月丸 ( げんげつまる )で?。 』 『 左樣 ( さやう )、 殘念 ( ざんねん )ながら、 西班牙 ( イスパニヤ )や、 亞弗利加 ( アフリカ )の 方 ( はう )は 今度 ( こんど )は 斷念 ( だんねん )しました。 』と、 私 ( わたくし )がキツパリと 答 ( こた )へると、 彼 ( かれ )はポンと 膝 ( ひざ )を 叩 ( たゝ )いて 『やあ、 奇妙 ( きめう )々々。 』 何 ( なに )が 奇妙 ( きめう )なのだと 私 ( わたくし )の 審 ( いぶか )る 顏 ( かほ )を 眺 ( なが )めつゝ、 彼 ( かれ )は 言 ( ことば )をつゞけた。 『 何 ( な )んと 奇妙 ( きめう )ではありませんか、これ 等 ( ら )が 天 ( てん )の 紹介 ( ひきあはせ )とでも 云 ( い )ふものでせう、 實 ( じつ )は 私 ( わたくし )の 妻子 ( さいし )も、 今夜 ( こんや )の 弦月丸 ( げんげつまる )で 日本 ( につぽん )へ 皈國 ( かへり )ますので。 十 年 ( ねん )も 相 ( あひ ) 見 ( み )ぬ 間 ( あひだ )に、 彼 ( かれ )に 妻子 ( さいし )の 出來 ( でき )た 事 ( こと )は 何 ( なに )も 不思議 ( ふしぎ )はないが、 實 ( じつ )は 今 ( いま )の 今 ( いま )まで 知 ( し )らなんだ、 况 ( いは )んや 其人 ( そのひと )が 今 ( いま ) 本國 ( ほんごく )へ 皈 ( かへ )るなどゝは 全 ( まつた )く 寢耳 ( ねみゝ )に 水 ( みづ )だ。 濱島 ( はまじま )は 聲 ( こゑ ) 高 ( たか )く 笑 ( わら )つて 『はゝゝゝゝ。 君 ( きみ )はまだ 私 ( わたくし )の 妻子 ( さいし )を 御存 ( ごぞん )じなかつたのでしたね。 これは 失敬 ( しつけい )々々。 』と 急 ( いそが )はしく 呼鈴 ( よびりん )を 鳴 ( な )らして、 入 ( いり ) 來 ( きた )つた 小間使 ( こまづかひ )に 『あのね、 奧 ( おく )さんに 珍 ( めづ )らしいお 客樣 ( きやくさま )が……。 』と 言 ( い )つたまゝ 私 ( わたくし )の 方 ( はう )に 向直 ( むきなほ )り 『 實 ( じつ )は 斯 ( か )うなんですよ。 』と 小膝 ( こひざ )を 進 ( すゝ )めた。 『 私 ( わたくし )が 此 ( この ) 港 ( みなと )へ 貿易商會 ( ぼうえきしやうくわい )を 設立 ( たて )た 翌々年 ( よく/\とし )の 夏 ( なつ )、 鳥渡 ( ちよつと ) 日本 ( につぽん )へ 皈 ( かへ )りました。 其頃 ( そのころ ) 君 ( きみ )は 暹羅 ( サイアム ) 漫遊中 ( まんゆうちゆう )と 承 ( うけたまは )つたが、 皈國中 ( きこくちゆう )、 或 ( ある ) 人 ( ひと )の 媒介 ( なかだち )で、 同郷 ( どうきやう )の 松島海軍大佐 ( まつしまかいぐんたいさ )の 妹 ( いもと )を 妻 ( つま )に 娶 ( めと )つて 來 ( き )たのです。 然 ( しか )るに 今月 ( こんげつ )の 初旬 ( はじめ )、 本國 ( ほんごく )から 届 ( とゞ )いた 郵便 ( ゆうびん )によると、 妻 ( つま )の 令兄 ( あに )なる 松島海軍大佐 ( まつしまかいぐんたいさ )は、 兼 ( かね )て 帝國軍艦高雄 ( ていこくぐんかんたかを )の 艦長 ( かんちやう )であつたが、 近頃 ( ちかごろ ) 病氣 ( びやうき )の 爲 ( た )めに 待命中 ( たいめいちゆう )の 由 ( よし )、 勿論 ( もちろん ) 危篤 ( きとく )といふ 程 ( ほど )の 病氣 ( びやうき )ではあるまいが、 妻 ( つま )も 唯 ( たゞ ) 一人 ( ひとり )の 兄 ( あに )であれば、 能 ( あた )ふ 事 ( こと )なら 自 ( みづか )ら 見舞 ( みまひ )もし、 久 ( ひさし )ぶりに 故山 ( こざん )の 月 ( つき )をも 眺 ( なが )めたいとの 願望 ( ねがひ )、 丁度 ( ちやうど ) 小兒 ( せうに )のこともあるので、 然 ( しか )らば 此 ( この ) 機會 ( をり )にといふので、 二人 ( ふたり )は 今夜 ( こんや )の十一 時 ( じ ) 半 ( はん )の 弦月丸 ( げんげつまる )で 出發 ( しゆつぱつ )といふ 事 ( こと )になつたのです。 』と、 語 ( かた )り 終 ( をは )つて、 彼 ( かれ )は 靜 ( しづ )かに 私 ( わたくし )の 顏 ( かほ )を 眺 ( なが )め 『で、 君 ( きみ )も 今夜 ( こんや )の 御出帆 ( ごしゆつぱん )ならば、 船 ( ふね )の 中 ( なか )でも、 日本 ( につぽん )へ 皈 ( かへ )つて 後 ( のち )も、 何呉 ( なにく )れ 御面倒 ( ごめんどう )を 願 ( ねが )ひますよ。 』 此 ( この ) 話 ( はなし )で 何事 ( なにごと )も 分明 ( ぶんめい )になつた。 それに 就 ( つ )けても 濱島武文 ( はまじまたけぶみ )は 昔 ( むかし )ながら 壯快 ( おもしろ )い 氣象 ( きしやう )だ、たゞ 一人 ( ひとり )の 兒 ( こ )を 帝國 ( ていこく )の 軍人 ( ぐんじん )に 養成 ( ようせい )せんが 爲 ( た )めに 恩愛 ( おんあい )の 覊 ( きづな )を 斷切 ( たちき )つて、 本國 ( ほんごく )へ 送 ( おく )つてやるとは 隨分 ( ずゐぶん ) 思 ( おも )ひ 切 ( き )つた 事 ( こと )だ。 また 松島海軍大佐 ( まつしまかいぐんたいさ )の 令妹 ( れいまい )なる 彼 ( かれ )の 夫人 ( ふじん )にはまだ 面會 ( めんくわい )はせぬが、 兄君 ( あにぎみ )の 病床 ( やまひ )を 見舞 ( みま )はんが 爲 ( た )めに、 暫時 ( しばし )でも 其 ( その ) 良君 ( おつと )に 別 ( わかれ )を 告 ( つ )げ、 幼 ( いとけな )き 兒 ( こ )を 携 ( たづさ )へて、 浪風 ( なみかぜ ) 荒 ( あら )き 萬里 ( ばんり )の 旅 ( たび )に 赴 ( おもむ )くとは 仲々 ( なか/\ ) 殊勝 ( しゆしよう )なる 振舞 ( ふるまひ )よと、 心 ( こゝろ ) 竊 ( ひそ )かに 感服 ( かんぷく )するのである。 更 ( さら )に 想 ( おも )ひめぐらすと 此度 ( このたび )の 事件 ( こと )は、 何 ( なに )から 何 ( なに )まで 小説 ( せうせつ )のやうだ。 海外 ( かいぐわい ) 萬里 ( ばんり )の 地 ( ち )で、ふとした 事 ( こと )から 昔馴染 ( むかしなじみ )の 朋友 ( ともだち )に 出逢 ( であ )つた 事 ( こと )、それから 私 ( わたくし )は 此 ( この ) 港 ( みなと )へ 來 ( き )た 時 ( とき )は、 恰 ( あだか )も 彼 ( かれ )の 夫人 ( ふじん )と 令息 ( れいそく )とが 此處 ( こゝ )を 出發 ( しゆつぱつ )しやうといふ 時 ( とき )で、 申合 ( まうしあは )せたでもなく、 同 ( おな )じ 時 ( とき )に、 同 ( おな )じ 船 ( ふね )に 乘 ( の )つて、 之 ( これ )から 數 ( すう )ヶ 月 ( げつ )の 航海 ( かうかい )を 倶 ( とも )にするやうな 運命 ( うんめい )に 立到 ( たちいた )つたのは、 實 ( じつ )に 濱島 ( はまじま )の 云 ( い )ふが 如 ( ごと )く、 之 ( これ )が 不思議 ( ふしぎ )なる 天 ( てん )の 紹介 ( ひきあはせ )とでもいふものであらう、 斯 ( か )う 思 ( おも )つて、 暫時 ( しばし ) 或 ( ある ) 想像 ( さうざう )に 耽 ( ふけ )つて 居 ( ゐ )る 時 ( とき )、 忽 ( たちま )ち 部室 ( へや )の 戸 ( と )を 靜 ( しづ )かに 開 ( ひら )いて 入 ( いり ) 來 ( きた )つた 二個 ( ふたり )の 人 ( ひと )がある。 言 ( い )ふ 迄 ( まで )もない、 夫人 ( ふじん )と 其 ( その ) 愛兒 ( あいじ )だ。 濱島 ( はまじま )は 立 ( た )つて 『これが 私 ( わたくし )の 妻 ( つま ) 春枝 ( はるえ )。 』と 私 ( わたくし )に 紹介 ( ひきあは )せ、 更 ( さら )に 夫人 ( ふじん )に 向 ( むか )つて、 私 ( わたくし )と 彼 ( かれ )とが 昔 ( むかし )おなじ 學 ( まな )びの 友 ( とも )であつた 事 ( こと )、 私 ( わたくし )が 今回 ( こんくわい )の 旅行 ( りよかう )の 次第 ( しだい )、また 之 ( これ )から 日本 ( につぽん )まで 夫人等 ( ふじんら )と 航海 ( かうかい )を 共 ( とも )にするやうになつた 不思議 ( ふしぎ )の 縁 ( ゆかり )を 言葉 ( ことば ) 短 ( みじか )に 語 ( かた )ると、 夫人 ( ふじん )は『おや。 』と 言 ( い )つたまゝいと 懷 ( なつ )かし 氣 ( げ )に 進 ( すゝ )み 寄 ( よ )る。 年 ( とし )の 頃 ( ころ )廿六七、 眉 ( まゆ )の 麗 ( うる )はしい 口元 ( くちもと )の 優 ( やさ )しい 丁度 ( ちやうど ) 天女 ( てんによ )の 樣 ( やう )な 美人 ( びじん )、 私 ( わたくし )は 一目 ( ひとめ ) 見 ( み )て、 此 ( この ) 夫人 ( ふじん )は 其 ( その ) 容姿 ( すがた )の 如 ( ごと )く、 心 ( こゝろ )も 美 ( うる )はしく、 世 ( よ )にも 高貴 ( けだか )き 婦人 ( ふじん )と 思 ( おも )つた。 私 ( わたくし )は 端 ( はし )なくも、 昨夜 ( ゆふべ ) ローマ 府 ( ふ )からの 車 ( きしや )の 中 ( なか )で 讀 ( よ )んだ『 小公子 ( リツトルロー、トフオントルローイ )』といふ 小説 ( せうせつ ) 中 ( ちう )の、あの 愛 ( あい )らしい/\ 小主人公 ( せうしゆじんこう )を 聯想 ( れんさう )した。 日出雄少年 ( ひでをせうねん )は 海外 ( かいぐわい ) 萬里 ( ばんり )の 地 ( ち )に 生 ( うま )れて、 父母 ( ちゝはゝ )の 外 ( ほか )には 本國人 ( ほんこくじん )を 見 ( み )る 事 ( こと )も 稀 ( まれ )なる 事 ( こと )とて、 幼 ( いとけな )き 心 ( こゝろ )にも 懷 ( なつ )かしとか、 ( うれ )しとか 思 ( おも )つたのであらう、 其 ( その ) 清 ( すゞ )しい 眼 ( め )で、しげ/\と 私 ( わたくし )の 顏 ( かほ )を 見上 ( みあ )げて 居 ( を )つたが 『おや、 叔父 ( おぢ )さんは 日本人 ( につぽんじん )!。 』と 言 ( い )つた。 『 私 ( わたくし )は 日本人 ( につぽんじん )ですよ、 日出雄 ( ひでを )さんと 同 ( おな )じお 國 ( くに )の 人 ( ひと )ですよ。 』と 私 ( わたくし )は 抱 ( いだ )き 寄 ( よ )せて 『 日出雄 ( ひでを )さんは 日本人 ( につぽんじん )が 好 ( す )きなの、 日本 ( につぽん )のお 國 ( くに )を 愛 ( あい )しますか。 』と 問 ( と )ふと 少年 ( せうねん )は 元氣 ( げんき )よく 『あ、 私 ( わたくし )は 日本 ( につぽん )が 大好 ( だいす )きなんですよ、 日本 ( につぽん )へ 皈 ( かへ )りたくつてなりませんの [#「なりませんの」は底本では「なりせまんの」]、でねえ、 毎日 ( まいにち )/\ 日 ( ひ )の 丸 ( まる )の 旗 ( はた )を 立 ( た )てゝ、 街 ( まち )で [#「 街 ( まち )で」は底本では「 街 ( まち )て」] 戰爭事 ( いくさごつこ )をしますの、 爾 ( そ )してねえ、 日 ( ひ )の 丸 ( まる )の 旗 ( はた )は 強 ( つよ )いのですよ、 何時 ( いつ )でも 勝 ( か )つてばつかり 居 ( ゐ )ますの。 』 『おゝ、 左樣 ( さう )でせうとも/\。 濱島 ( はまじま )は 浩然 ( かうぜん ) 大笑 ( たいせう )した、 春枝夫人 ( はるえふじん )は 眼 ( め )を 細 ( ほそ )うして 『あら、 日出雄 ( ひでを )は、ま、どんなに ( うれ )しいんでせう。 』と 言 ( い )つて、 紅 ( くれない )のハンカチーフに 笑顏 ( えかほ )を 蔽 ( お )ふた。 』と 立 ( た )ちかけると、 濱島 ( はまじま )は 周章 ( あはて )て 押止 ( おしとゞ )め 『ま、ま、お 待 ( ま )ちなさい、お 待 ( ま )ちなさい、 今 ( いま )から 旅亭 ( やどや )へ 皈 ( かへ )つたとて 何 ( なに )になります。 久 ( ひさし )ぶりの 面會 ( めんくわい )なるを 今日 ( けふ )は 足 ( た )る 程 ( ほど ) 語 ( かた )つて 今夜 ( こんや )の 御出發 ( ごしゆつぱつ )も 是非 ( ぜひ )に 私 ( わたくし )の 家 ( いへ )より。 いろ/\の 厚 ( あつ )き 待遇 ( もてなし )を 受 ( う )けた 後 ( のち )、 夜 ( よる )の八 時 ( じ ) 頃 ( ごろ )になると、 當家 ( たうけ )の 番頭 ( ばんとう ) 手代 ( てだい )をはじめ 下婢 ( かひ ) 下僕 ( げぼく )に 至 ( いた )るまで、 一同 ( いちどう )が 集 ( あつま )つて 送別 ( そうべつ )の 催 ( もようし )をする 相 ( さう )で、 私 ( わたくし )も 招 ( まね )かれて 其 ( その ) 席 ( せき )へ 連 ( つら )なつた。 春枝夫人 ( はるえふじん )は 世 ( よ )にすぐれて 慈愛 ( じひ )に 富 ( と )める 人 ( ひと )、 日出雄少年 ( ひでをせうねん )は 彼等 ( かれら )の 間 ( あひだ )に 此上 ( こよ )なく 愛 ( めで ) 重 ( おもん )せられて 居 ( を )つたので、 誰 ( たれ )とて 袂別 ( わかれ )を 惜 ( をし )まぬものはない、 然 ( しか )し 主人 ( しゆじん )の 濱島 ( はまじま )は 東洋 ( とうやう )の 豪傑 ( がうけつ ) 風 ( ふう )で、 泣 ( な )く 事 ( こと )などは 大厭 ( だいきらひ )の 性質 ( たち )であるから 一同 ( いちどう )は 其 ( その ) 心 ( こゝろ )を 酌 ( く )んで、 表面 ( うはべ )に 涙 ( なみだ )を 流 ( なが )す 者 ( もの )などは 一人 ( ひとり )も 無 ( な )かつた。 イヤ、 茲 ( こゝ )に 只 ( たゞ ) 一人 ( いちにん ) 特別 ( とくべつ )に 私 ( わたくし )の 眼 ( め )に 止 ( とゞま )つた 者 ( もの )があつた。 それは 席 ( せき )の 末座 ( まつざ )に 列 ( つらな )つて 居 ( を )つた 一個 ( ひとり )の 年老 ( としをい )たる 伊太利 ( イタリー )の 婦人 ( ふじん )で、 此 ( この ) 女 ( をんな )は 日出雄少年 ( ひでをせうねん )の 保姆 ( うば )にと、 久 ( ひさ )しき 以前 ( いぜん )に、 遠 ( とほ )き 田舍 ( ゐなか )から 雇入 ( やとひい )れた 女 ( をんな )の 相 ( さう )で、 背 ( せ )の 低 ( ひく )い、 白髮 ( しらがあたま )の、 極 ( ご )く 正直 ( しやうじき ) 相 ( さう )な 老女 ( らうぢよ )であるが、 前 ( さき )の 程 ( ほど )より 愁然 ( しゆうぜん )と 頭 ( かうべ )を 埀 ( た )れて、 丁度 ( ちやうど ) 死出 ( しで )の 旅路 ( たびぢ )に 行 ( ゆ )く 人 ( ひと )を 送 ( おく )るかの 如 ( ごと )く、 頻 ( しき )りに 涙 ( なみだ )を 流 ( なが )して 居 ( を )る。 私 ( わたくし )は 何故 ( なぜ )ともなく 異樣 ( ゐやう )に 感 ( かん )じた。 『オヤ、 亞尼 ( アンニー )がまた 詰 ( つま )らぬ 事 ( こと )を 考 ( かんが )へて 泣 ( な )いて 居 ( を )りますよ。 』と、 春枝夫人 ( はるえふじん )は 良人 ( おつと )の 顏 ( かほ )を 眺 ( なが )めた。 頓 ( やが )て、 此 ( この ) 集會 ( つどひ )も 終 ( をは )ると、十 時 ( じ ) 間近 ( まぢか )で、いよ/\ 弦月丸 ( げんげつまる )へ 乘船 ( のりくみ )の 時刻 ( じこく )とはなつたので、 濱島 ( はまじま )の 一家族 ( いつかぞく )と、 私 ( わたくし )とは 同 ( おな )じ 馬車 ( ばしや )で、 多 ( おほく )の 人 ( ひと )に 見送 ( みおく )られながら 波止塲 ( はとば )に 來 ( きた )り、 其邊 ( そのへん )の 或 ( ある ) 茶亭 ( ちやてい )に 休憇 ( きうけい )した、 此處 ( こゝ )で 彼等 ( かれら )の 間 ( あひだ )には、それ/\ 袂別 ( わかれ )の 言 ( ことば )もあらうと 思 ( おも )つたので、 私 ( わたくし )は 氣轉 ( きてん )よく 一人 ( ひとり ) 離 ( はな )れて 波打際 ( なみうちぎは )へと 歩 ( あゆ )み 出 ( だ )した。 此時 ( このとき )にふと 心付 ( こゝろつ )くと、 何者 ( なにもの )か 私 ( わたくし )の 後 ( うしろ )にこそ/\と 尾行 ( びかう )して 來 ( く )る 樣子 ( やうす )、オヤ 變 ( へん )だと 振返 ( ふりかへ )る、 途端 ( とたん )に 其 ( その ) 影 ( かげ )は 轉 ( まろ )ぶが 如 ( ごと )く 私 ( わたくし )の 足許 ( あしもと )へ 走 ( はし )り 寄 ( よ )つた。 見 ( み )ると、こは 先刻 ( せんこく ) 送別 ( そうべつ )の 席 ( せき )で、 只 ( たゞ ) 一人 ( ひとり )で 泣 ( な )いて 居 ( を )つた 亞尼 ( アンニー )と 呼 ( よ )べる 老女 ( らうぢよ )であつた。 『おや、お 前 ( まへ )は。 』と 私 ( わたくし )は 歩行 ( あゆみ )を 止 ( と )めると、 老女 ( らうぢよ )は 今 ( いま )も 猶 ( な )ほ 泣 ( な )きながら 『 賓人 ( まれびと )よ、お 願 ( ねが )ひで 厶 ( ござ )ります。 』と 兩手 ( りやうて )を 合 ( あは )せて 私 ( わたくし )を 仰 ( あほ )ぎ 見 ( み )た。 『お 前 ( まへ )は 亞尼 ( アンニー )とか 云 ( い )つたねえ、 何 ( なん )の 用 ( よう )かね。 』と 私 ( わたくし )は 靜 ( しづ )かに 問 ( と )ふた。 老女 ( らうぢよ )は 虫 ( むし )のやうな 聲 ( こゑ )で『 賓人 ( まれびと )よ。 』と 暫時 ( しばし ) 私 ( わたくし )の 顏 ( かほ )を 眺 ( なが )めて 居 ( を )つたが 『あの、 妾 ( わたくし )の 奧樣 ( おくさま )と 日出雄樣 ( ひでをさま )とは 今夜 ( こんや )の 弦月丸 ( げんげつまる )で、 貴方 ( あなた )と 御同道 ( ごどうだう )に 日本 ( につぽん )へ 御出發 ( ごしゆつぱつ )になる 相 ( さう )ですが、それを御 延 ( の )べになる 事 ( こと )は 出來 ( でき )ますまいか。 』と 恐 ( おそ )る/\ 口 ( くち )を 開 ( ひら )いたのである。 ハテ、 妙 ( めう )な 事 ( こと )を 言 ( い )ふ 女 ( をんな )だと 私 ( わたくし )は 眉 ( まゆ )を 顰 ( ひそ )めたが、よく 見 ( み )ると、 老女 ( らうぢよ )は、 何事 ( なにごと )にか 痛 ( いた )く 心 ( こゝろ )を 惱 ( なや )まして 居 ( を )る 樣子 ( やうす )なので、 私 ( わたくし )は 逆 ( さか )らはない 『 左樣 ( さう )さねえ、もう 延 ( の )ばす 事 ( こと )は 出來 ( でき )まいよ。 』と 輕 ( かろ )く 言 ( い )つて 『 然 ( しか )し、お 前 ( まへ )は 何故 ( なぜ ) 其樣 ( そんな )に 嘆 ( なげ )くのかね。 』と 言葉 ( ことば )やさしく 問 ( と )ひかけると、 此 ( この ) 一言 ( いちごん )に 老女 ( らうぢよ )は 少 ( すこ )しく 顏 ( かほ )を 擡 ( もた )げ 『 實 ( じつ )に 賓人 ( まれびと )よ、 私 ( わたくし )はこれ 程 ( ほど ) 悲 ( かな )しい 事 ( こと )はありません。 はじめて 奧樣 ( おくさま )や 日出雄樣 ( ひでをさま )が、 日本 ( にほん )へお 皈 ( かへ )りになると 承 ( うけたまは )つた 時 ( とき )は 本當 ( ほんたう )に 魂消 ( たまぎ )えましたよ、 然 ( しか )しそれは 致方 ( いたしかた )もありませんが、 其後 ( そのゝち )よく 承 ( うけたまは )ると、 御出帆 ( ごしゆつぱん )の 時日 ( じじつ )は 時 ( とき )もあらうに、 今夜 ( こんや )の十一 時 ( じ ) 半 ( はん )……。 』 『 何 ( なに )、 今夜 ( こんや )の 船 ( きせん )で 出發 ( しゆつぱつ )すると 如何 ( どう )したのだ。 』と 私 ( わたくし )は 眼 ( まなこ )を ( みは )つた。 亞尼 ( アンニー )は 胸 ( むね )の 鏡 ( かゞみ )に 手 ( て )を 當 ( あ )てゝ 『 私 ( わたくし )は 神樣 ( かみさま )に 誓 ( ちか )つて 申 ( まう )しますよ、 貴方 ( あなた )はまだ 御存 ( ごぞん )じはありますまいが、 大變 ( たいへん )な 事 ( こと )があります。 此事 ( このこと )は 旦那樣 ( だんなさま )にも 奧樣 ( おくさま )にも 毎度 ( いくたび )か 申上 ( まうしあ )げて、 何卒 ( どうか ) 今夜 ( こんや )の 御出帆 ( ごしゆつぱん ) 丈 ( だ )けは 御見合 ( おみあは )せ 下 ( くだ )さいと 御願 ( おねが )ひ 申 ( まう )したのですが、 御兩方 ( おふたり ) 共 ( とも )たゞ 笑 ( わら )つて「 亞尼 ( アンニー )や 其樣 ( そんな )に 心配 ( しんぱい )するには 及 ( およ )ばないよ。 」と 仰 ( おほ )せあるばかり、 少 ( すこ )しも 御聽許 ( おきゝ )にはならないのです。 けれど 賓人 ( まれびと )よ、 私 ( わたくし )はよく 存 ( ぞん )じて 居 ( を )ります、 今夜 ( こんや )の 弦月丸 ( げんげつまる )とかで 御出發 ( ごしゆつぱつ )になつては、 奧樣 ( おくさま )も、 日出雄樣 ( ひでをさま )も、 决 ( けつ )して 御無事 ( ごぶじ )では 濟 ( す )みませんよ。 』と 私 ( わたくし )は 思 ( おも )はず 釣込 ( つりこ )まれた。 『はい、 决 ( けつ )して 御無事 ( ごぶじ )には 濟 ( す )みません。 』と、 亞尼 ( アンニー )は 眞面目 ( まじめ )になつた、 私 ( わたくし )の 顏 ( かほ )を 頼母 ( たのも )し 氣 ( げ )に 見上 ( みあ )げて 『 私 ( わたくし )は 貴方 ( あなた )を 信 ( しん )じますよ、 貴方 ( あなた )は 决 ( けつ )してお 笑 ( わら )ひになりますまいねえ。 』と 前置 ( まへおき )をして 斯 ( か )う 言 ( い )つた。 『 ウルピノ 山 ( さん )の 聖人 ( ひじり )の 仰 ( おつしや )つた 樣 ( やう )に、 昔 ( むかし )から 色々 ( いろ/\ )の 口碑 ( くちつたへ )のある 中 ( なか )で、 船旅 ( ふなたび ) 程 ( ほど ) 時日 ( とき )を 選 ( えら )ばねばならぬものはありません、 凶日 ( わるいひ )に 旅立 ( たびだ )つた 人 ( ひと )は 屹度 ( きつと ) 災難 ( わざはひ )に 出逢 ( であ )ひますよ。 これは 本當 ( ほんたう )です、 現 ( げん )に 私 ( わたくし )の 一人 ( ひとり )の 悴 ( せがれ )も、七八 年 ( ねん ) 以前 ( いぜん )の 事 ( こと )、 私 ( わたくし )が 切 ( せつ )に 止 ( と )めるのも 聽 ( き )かで、十 月 ( ぐわつ )の 祟 ( たゝり )の 日 ( ひ )に 家出 ( いへで )をしたばかりに、 終 ( つひ )に 世 ( よ )に 恐 ( おそ )ろしい 海蛇 ( うみへび )に 捕 ( と )られてしまいました。 私 ( わたくし )にはよく 分 ( わか )つて 居 ( ゐ )ますよ。 奧樣 ( おくさま )とて 日出雄樣 ( ひでをさま )とて 今夜 ( こんや ) 御出帆 ( ごしゆつぱん )になつたら 决 ( けつ )して 御無事 ( ごぶじ )では 濟 ( す )みません、はい、 其 ( その ) 理由 ( わけ )は、 今日 ( けふ )は五 月 ( ぐわつ )の十六 日 ( にち )で 魔 ( ま )の 日 ( ひ )でせう、 爾 ( そ )して、 今夜 ( こんや )の十一 時 ( じ ) 半 ( はん )といふは、 何 ( な )んと 恐 ( おそ )ろしいでは 御座 ( ござ )いませんか、 魔 ( ま )の 刻限 ( こくげん )ですもの。 』 私 ( わたくし )は 聽 ( き )きながらプツと 吹 ( ふ )き 出 ( だ )す 處 ( ところ )であつた。 けれど 老女 ( らうぢよ )は 少 ( すこ )しも 構 ( かま )はず 『 賓人 ( まれびと )よ、 笑 ( わら )ひ 事 ( ごと )ではありませぬ、 魔 ( ま )の 日 ( ひ ) 魔 ( ま )の 刻 ( こく )といふのは、 一年中 ( いちねんちゆう )でも 一番 ( いちばん )に 不吉 ( ふきつ )な 時 ( とき )なのです、 他 ( ほか )の 日 ( ひ )の 澤山 ( たくさん )あるのに、 此 ( この ) 日 ( ひ )、 此 ( この ) 刻限 ( こくげん )に 御出帆 ( ごしゆつぱん )になるといふのは 何 ( な )んの 因果 ( いんぐわ )でせう、 私 ( わたくし )は 考 ( かんが )へると 居 ( ゐ )ても 立 ( た )つても 居 ( を )られませぬ。 其上 ( そのうへ )、 私 ( わたくし )は 懇意 ( こんい )の 船乘 ( せんどう )さんに 聞 ( き )いて 見 ( み )ますと、 今度 ( こんど )の 航海 ( かうかい )には、 弦月丸 ( げんげつまる )に 澤山 ( たくさん )の 黄金 ( わうごん )と 眞珠 ( しんじゆ )とが 積入 ( つみい )れてあります 相 ( さう )な、 黄金 ( わうごん )と 眞珠 ( しんじゆ )とが 波 ( なみ )の 荒 ( あら )い 海上 ( かいじやう )で 集 ( あつま )ると、 屹度 ( きつと ) 恐 ( おそ )ろしい 祟 ( たゝり )を 致 ( いた )します。 あゝ、 不吉 ( ふきつ )の 上 ( うへ )にも 不吉 ( ふきつ )。 賓人 ( まれびと )よ、 私 ( わたくし )の 心 ( こゝろ )の 千分 ( せんぶん )の 一 ( いち )でもお 察 ( さつ )しになつたら、どうか 奧樣 ( おくさま )と 日出雄樣 ( ひでをさま )を 助 ( たす )けると 思 ( おも )つて、 今夜 ( こんや )の 御出帆 ( ごしゆつぱん )をお 延 ( の )べ 下 ( くだ )さい。 』と 拜 ( おが )まぬばかりに 手 ( て )を 合 ( あは )せた。 私 ( わたくし )は 大笑 ( おほわら )ひに 笑 ( わら )つてやらうと 考 ( かんが )へたが、 待 ( ま )てよ、たとへ 迷信 ( めいしん )でも、 其 ( その ) 主人 ( しゆじん )の 身 ( み )の 上 ( うへ )を 慮 ( おも )ふこと 斯 ( か )くまで 深 ( ふか )く、かくも 眞面目 ( まじめ )で 居 ( を )る 者 ( もの )を、 無下 ( むげ )に 嘲笑 ( けな )すでもあるまいと 氣付 ( きづ )いたので、 込 ( こ )み 上 ( あ )げて 來 ( く )る 可笑 ( をかし )さを 無理 ( むり )に 怺 ( こら )えて 『 亞尼 ( アンニー )!。 』と 一聲 ( いつせい ) 呼 ( よ )びかけた。 』と 彼女 ( かのぢよ )の 顏 ( かほ )を 眺 ( なが )め 『けれどお 前 ( まへ )の 言 ( い )ふ 事 ( こと )は、みんな 昔 ( むかし )の 話 ( はなし )で、 今 ( いま )では 魔 ( ま )の 日 ( ひ )も 祟 ( たゝり )の 日 ( ひ )も 無 ( な )くなつたよ。 』 『あゝ、 貴方 ( あなた )も 矢張 ( やはり )お 笑 ( わら )ひなさるのですか。 』と 亞尼 ( アンニー )はいと 情 ( なさけ )なき 顏 ( かほ )に 眼 ( まなこ )を 閉 ( と )ぢた。 『いや、 决 ( けつ )して 笑 ( わら )ふのではないが、 其事 ( そのこと )は 心配 ( しんぱい )するには 及 ( およ )ばぬよ、 奧樣 ( おくさま )も 日出雄少年 ( ひでをせうねん )も、 私 ( わたし )が 生命 ( いのち )にかけて 保護 ( ほご )して 上 ( あ )げる。 』と 言 ( い )つたが、 亞尼 ( アンニー )は 殆 ( ほと )んど 絶望 ( ぜつぼう ) 極 ( きはま )りなき 顏 ( かほ )で 『あゝ、もう 無益 ( だめ )だよ/\。 』とすゝり 泣 ( な )きしながら、 むつくと 立上 ( たちあが )り 『 神樣 ( かみさま )、 佛樣 ( ほとけさま )、 奧樣 ( おくさま )と 日出雄樣 ( ひでをさま )の 御身 ( おんみ )をお 助 ( たす )け 下 ( くだ )さい。 』と 叫 ( さけ )んだ 儘 ( まゝ )、 狂氣 ( きやうき )の 如 ( ごと )くに 走 ( はし )り 去 ( さ )つた。 丁度 ( ちやうど ) 此時 ( このとき )、 休憩所 ( きうけいしよ )では 乘船 ( のりくみ )の 仕度 ( したく )も 整 ( とゝの )つたと 見 ( み )へ、 濱島 ( はまじま )の 頻 ( しき )りに 私 ( わたくし )を 呼 ( よ )ぶ 聲 ( こゑ )が 聽 ( きこ )えた。 濱島武文 ( はまじまたけぶみ )と、 他 ( ほか )に 三人 ( みたり )の 人 ( ひと )は 本船 ( ほんせん )まで 見送 ( みおく )つて 來 ( き )た。 此 ( この ) 弦月丸 ( げんげつまる )といふのは、 伊太利 ( イタリー )の 東方 船會社 ( とうはうきせんくわいしや )の 持船 ( もちふね )で、 噸數 ( とんすう )六千四百。 二 本 ( ほん )の 煙筒 ( えんとう )に四 本 ( ほん ) 檣 ( マスト )の 頗 ( すこぶ )る 巨大 ( きよだい )な 船 ( ふね )である、 此度 ( このたび ) 支那 ( シナ ) 及 ( およ )び 日本 ( につぽん )の 各港 ( かくかう )へ 向 ( むか )つての 航海 ( こうかい )には、 夥 ( おびたゞ )しき 鐵材 ( てつざい )と、 黄金 ( わうごん ) 眞珠等 ( しんじゆなど ) 少 ( すく )なからざる 貴重品 ( きちやうひん )を 搭載 ( たうさい )して 居 ( を )る 相 ( さう )で、 其 ( その ) 船脚 ( ふなあし )も 餘程 ( よほど ) 深 ( ふか )く 沈 ( しづ )んで 見 ( み )えた。 弦月丸 ( げんげつまる )の 舷梯 ( げんてい )へ 達 ( たつ )すると、 私共 ( わたくしども )の 乘船 ( じやうせん )の 事 ( こと )は 既 ( すで )に 乘客 ( じやうきやく ) 名簿 ( めいぼ )で 分 ( わか )つて 居 ( を )つたので、 船丁 ( ボーイ )は 走 ( はし )つて 來 ( き )て、 急 ( いそが )はしく 荷物 ( にもつ )を 運 ( はこ )ぶやら、 接待員 ( せつたいゐん )は 恭 ( うや/\ )しく 帽 ( ぼう )を 脱 ( だつ )して、 甲板 ( かんぱん )に 混雜 ( こんざつ )せる 夥多 ( あまた )の 人 ( ひと )を 押分 ( おしわけ )るやらして、 吾等 ( われら )は 導 ( みちび )かれて 船 ( ふね )の 中部 ( ちゆうぶ )に 近 ( ちか )き一 等 ( とう ) 船室 ( せんしつ )に 入 ( い )つた。 どの 船 ( きせん )でも 左樣 ( さう )だが、 同 ( おな )じ 等級 ( とうきふ )の 船室 ( キヤビン )の 中 ( うち )でも、 中部 ( ちゆうぶ )の 船室 ( キヤビン )は 最 ( もつと )も 多 ( おほ )く 人 ( ひと )の 望 ( のぞ )む 所 ( ところ )である。 何故 ( なぜ )かと 言 ( い )へば 航海中 ( かうかいちゆう ) 船 ( ふね )の 動搖 ( どうえう )を 感 ( かん )ずる 事 ( こと )が 比較的 ( ひかくてき )に 少 ( すく )ない 爲 ( ため )で、 此 ( この ) 室 ( へや )を 占領 ( せんりやう )する 爲 ( ため )には 虎鬚 ( とらひげ )の 獨逸人 ( ドイツじん )や、 羅馬風 ( ローマンスタイル )の 鼻 ( はな )の 高 ( たか )い 佛蘭西人等 ( フランスじんとう )に 隨分 ( ずゐぶん ) 競爭者 ( きようそうしや )が 澤山 ( たくさん )あつたが、 幸 ( さいはひ )にも ネープルス 市 ( し ) 中 ( ちゆう )で「 富貴 ( ふうき )なる 日本人 ( につぽんじん )。 」と 盛名 ( せいめい ) 隆々 ( りう/\ )たる 濱島武文 ( はまじまたけぶみ )の 特別 ( とくべつ )なる 盡力 ( じんりよく )があつたので、 吾等 ( われら )は 遂 ( つひ )に 此 ( この ) 最上 ( さいじやう )の 船室 ( キヤビン )を 占領 ( せんりやう )する 事 ( こと )になつた。 加 ( くわ )ふるに 春枝夫人 ( はるえふじん )、 日出雄少年 ( ひでをせうねん )の 部室 ( へや )と 私 ( わたくし )の 部室 ( へや )とは 直 ( す )ぐ 隣合 ( となりあ )つて 居 ( を )つたので 萬事 ( ばんじ )に 就 ( つ )いて 都合 ( つがう )が 宜 ( よ )からうと 思 ( おも )はるゝ。 私 ( わたくし )は 元來 ( ぐわんらい ) 膝栗毛的 ( ひざくりげてき )の 旅行 ( りよかう )であるから、 何 ( なに )も 面倒 ( めんだう )はない、 手提革包 ( てさげかばん ) 一個 ( ひとつ )を 船室 ( キヤビン )の 中 ( なか )へ 投込 ( なげこ )んだまゝ 直 ( す )ぐ 春枝夫人等 ( はるえふじんら )の 船室 ( キヤビン )へ 訪 ( おと )づれた。 此時 ( このとき ) 夫人 ( ふじん )は 少年 ( せうねん )を 膝 ( ひざ )に 上 ( の )せて、 其 ( その ) 良君 ( をつと )や 他 ( ほか )の 三人 ( みたり )を 相手 ( あひて )に 談話 ( はなし )をして 居 ( を )つたが、 私 ( わたくし )の 姿 ( すがた )を 見 ( み )るより 『おや、もうお 片附 ( かたづき )になりましたの。 』といつて 嬋娟 ( せんけん )たる 姿 ( すがた )は 急 ( いそ )ぎ 立 ( た )ち 迎 ( むか )へた。 『なあに、 柳川君 ( やながはくん )には 片附 ( かたづ )けるやうな 荷物 ( にもつ )もないのさ。 』と 濱島 ( はまじま )は 聲 ( こゑ ) 高 ( たか )く 笑 ( わら )つて『さあ。 』とすゝめた 倚子 ( ゐす )によつて、 私 ( わたくし )も 此 ( この ) 仲間 ( なかま ) 入 ( いり )。 最早 ( もはや ) 袂別 ( わかれ )の 時刻 ( じこく )も 迫 ( せま )つて 來 ( き )たので、いろ/\の 談話 ( はなし )はそれからそれと 盡 ( つ )くる 間 ( ま )も 無 ( な )かつたが、 兎角 ( とかく )する 程 ( ほど )に、ガラン、ガラ、ガラン、ガラ、と 船中 ( せんちゆう )に 布 ( ふ )れ 廻 ( まは )る 銅鑼 ( どら )の 響 ( ひゞき )が 囂 ( かまびす )しく 聽 ( きこ )えた。 』と 日出雄少年 ( ひでをせうねん )は 眼 ( め )をまん 丸 ( まる )にして 母君 ( はゝぎみ )の 優 ( やさ )しき 顏 ( かほ )を 仰 ( あふ )ぐと、 春枝夫人 ( はるえふじん )は 默然 ( もくねん )として、 其 ( その ) 良君 ( をつと )を 見 ( み )る。 濱島武文 ( はまじまたけぶみ )は 靜 ( しづ )かに 立上 ( たちあが )つて 『もう、 袂別 ( おわかれ )の 時刻 ( じこく )になつたよ。 』と 他 ( た )の 三人 ( みたり )を 顧見 ( かへりみ )た。 すべて、 海上 ( かいじやう )の 規則 ( きそく )では、 船 ( ふね )の 出港 ( しゆつかう )の十 分 ( ぷん ) 乃至 ( ないし )十五 分 ( ふん ) 前 ( まへ )に、 船中 ( せんちう )を 布 ( ふ )れ 廻 ( まは )る 銅鑼 ( どら )の 響 ( ひゞき )の 聽 ( きこ )ゆると 共 ( とも )に 本船 ( ほんせん )を 立去 ( たちさ )らねばならぬのである。 』と 言 ( い )ひ 終 ( をは )つて、 少年 ( せうねん )が 默 ( だま )つて 點頭 ( うなづ )くのを 笑 ( え )まし 氣 ( げ )に 打 ( う )ち 見 ( み )やりつゝ、 他 ( た )の 三人 ( みたり )を 促 ( うなが )して 船室 ( キヤビン )を 出 ( で )た。 先刻 ( せんこく )は 見送 ( みおく )られた 吾等 ( われら )は 今 ( いま )は 彼等 ( かれら )を 此 ( この ) 船 ( ふね )より 送 ( おく )り 出 ( いだ )さんと、 私 ( わたくし )は 右手 ( めて )に 少年 ( せうねん )を 導 ( みちび )き、 流石 ( さすが )に 悄然 ( せうぜん )たる 春枝夫人 ( はるえふじん )を 扶 ( たす )けて 甲板 ( かんぱん )に 出 ( で )ると、 今宵 ( こよひ )は 陰暦 ( いんれき )十三 夜 ( や )、 深碧 ( しんぺき )の 空 ( そら )には一 片 ( ぺん )の 雲 ( くも )もなく、 月 ( つき )は 浩々 ( かう/\ )と 冴 ( さ )え 渡 ( わた )りて、 加 ( くは )ふるに 遙 ( はる )かの 沖 ( おき )に 停泊 ( ていはく )して 居 ( を )る三四 艘 ( そう )の 某 ( ぼう ) 國 ( こく ) 軍艦 ( ぐんかん )からは、 始終 ( しじゆう ) 探海電燈 ( サーチライト )をもつて 海面 ( かいめん )を 照 ( てら )して 居 ( を )るので、 其 ( その ) 明 ( あきらか )なる 事 ( こと )は 白晝 ( まひる )を 欺 ( あざむ )くばかりで、 波 ( なみ )のまに/\ 浮沈 ( うきしづ )んで 居 ( を )る 浮標 ( ブイ )の 形 ( かたち )さへいと 明 ( あきらか )に 見 ( み )える 程 ( ほど )だ。 』と 彼 ( かれ )は 日頃 ( ひごろ )の 豪壯 ( がうさう )なる 性質 ( せいしつ )には 似合 ( にあ )はぬ 迄 ( まで )、 氣遣 ( きづか )はし 氣 ( げ )に、 恰 ( あだか )も 何者 ( なにもの )か 空中 ( くうちゆう )に 力強 ( ちからつよ )き 腕 ( うで )のありて、 彼 ( かれ )を 此 ( この ) 塲 ( ば )に 捕 ( とら )へ 居 ( を )るが 如 ( ごと )くいとゞ 立去 ( たちさ )り 兼 ( か )ねて 見 ( み )へた。 之 ( これ )が 俗 ( ぞく )に 謂 ( い )ふ 虫 ( むし )の 知 ( し )らせとでもいふものであらうかと、 後 ( のち )に 思 ( おも )ひ 當 ( あた )つたが、 此時 ( このとき )はたゞ 離別 ( りべつ )の 情 ( じやう )さこそと 思 ( おも )ひ 遣 ( や )るばかりで、 私 ( わたくし )は 打點頭 ( うちうなづ )き『 濱島君 ( はまじまくん )よ、 心豐 ( こゝろゆた )かにいよ/\ 榮 ( さか )え 玉 ( たま )へ、 君 ( きみ )が 夫人 ( ふじん )と 愛兒 ( あいじ )の 御身 ( おんみ )は、 此 ( この ) 柳川 ( やながは )の 生命 ( いのち )にかけても 守護 ( しゆご )しまいらすべし。 』と 母君 ( はゝぎみ )の 纎手 ( て )に 依 ( よ )りすがると 春枝夫人 ( はるえふじん )は 凛々 ( りゝ )しとはいひ、 女心 ( をんなごゝろ )のそゞろに 哀 ( あはれ )を 催 ( もよほ )して、 愁然 ( しゆうぜん )と 見送 ( みおく )る 良人 ( をつと )の 行方 ( ゆくかた )、 月 ( つき )は 白晝 ( まひる )のやうに 明 ( あきらか )だが、 小蒸 船 ( こじようきせん )の 形 ( かたち )は 次第々々 ( しだい/\ )に 朧 ( おぼろ )になつて、 殘 ( のこ )る 煙 ( けむり )のみぞ 長 ( なが )き 名殘 ( なごり )を 留 ( とゞ )めた。 『 夫人 ( おくさん )、すこし、 甲板 ( デツキ )の 上 ( うへ )でも 逍遙 ( さんぽ )して 見 ( み )ませうか。 』と 私 ( わたくし )は 二人 ( ふたり )を 誘 ( いざな )つた。 かく 氣 ( き )の 沈 ( しづ )んで 居 ( を )る 時 ( とき )には、 賑 ( にぎ )はしき 光景 ( くわうけい )にても 眺 ( なが )めなば、 幾分 ( いくぶん )か 心 ( こゝろ )を 慰 ( なぐさ )むる 因 ( よすが )ともならんと 考 ( かんが )へたので、 私 ( わたくし )は 兩人 ( ふたり )を 引連 ( ひきつ )れて、 此時 ( このとき )一 番 ( ばん )に 賑 ( にぎ )はしく 見 ( み )えた 船首 ( せんしゆ )の 方 ( かた )へ 歩 ( ほ )を 移 ( うつ )した。 最早 ( もはや )、 出港 ( しゆつかう )の 時刻 ( じこく )も 迫 ( せま )つて 居 ( を )る 事 ( こと )とて、 此邊 ( このへん )は 仲々 ( なか/\ )の 混雜 ( こんざつ )であつた。 輕 ( かろ )き 服裝 ( ふくさう )せる 船丁等 ( ボーイら )は 宙 ( ちう )になつて 驅 ( か )けめぐり、 逞 ( たく )ましき 骨格 ( こつかく )せる 夥多 ( あまた )の 船員等 ( せんゐんら )は 自己 ( おの )が 持塲 ( もちば )/\に 列 ( れつ )を 作 ( つく )りて、 後部 ( こうぶ )の 舷梯 ( げんてい )は 既 ( すで )に 引揚 ( ひきあ )げられたり。 今 ( いま )しも 船首甲板 ( せんしゆかんぱん )に 於 ( お )ける 一等運轉手 ( チーフメート )の 指揮 ( しき )の 下 ( した )に、はや一 團 ( だん )の 水夫等 ( すいふら )は 捲揚機 ( ウインチ )の 周圍 ( しゆうゐ )に 走 ( は )せ 集 ( あつま )つて、 次 ( つぎ )の一 令 ( れい )と 共 ( とも )に 錨鎖 ( べうさ )を 卷揚 ( まきあ )げん 身構 ( みがまへ )。 船橋 ( せんけう )の 上 ( うへ )にはビール 樽 ( だる )のやうに 肥滿 ( ひまん )した 船長 ( せんちやう )が、 赤 ( あか )き 頬髯 ( ほゝひげ )を 捻 ( ひね )りつゝ 傲然 ( がうぜん )と四 方 ( はう )を 睥睨 ( へいげい )して 居 ( を )る。 水夫 ( すゐふ ) 共 ( ども )は『あツ』とばかり 顏 ( かほ )の 色 ( いろ )を 變 ( かへ )た。 船長 ( せんちやう )は 周章 ( あは )てゝ 起上 ( おきあが )つたが、 怒氣 ( どき ) 滿面 ( まんめん )、けれど 自己 ( おの )が 醜態 ( しゆうたい )に 怒 ( おこ )る 事 ( こと )も 出來 ( でき )ず、ビール 樽 ( だる )のやうな 腹 ( はら )に 手 ( て )を 當 ( あ )てゝ、 物凄 ( ものすご )い 眼 ( まなこ )に 水夫 ( すゐふ ) 共 ( ども )を 睨 ( にら )み 付 ( つ )けると、 此時 ( このとき ) 私 ( わたくし )の 傍 ( かたはら )には 鬚 ( ひげ )の 長 ( なが )い、 頭 ( あたま )の 禿 ( はげ )た、 如何 ( いか )にも 古風 ( こふう )らしい 一個 ( ひとり )の 英國人 ( エイこくじん )が 立 ( た )つて 居 ( を )つたが、 此 ( この ) 活劇 ( ありさま )を 見 ( み )るより、 ぶるぶると 身慄 ( みぶるひ )して 『あゝ、あゝ、 縁起 ( えんぎ )でもない、 南無阿彌陀佛 ( なむあみだぶつ )! 此 ( この ) 船 ( ふね )に 惡魔 ( あくま )が 魅 ( みいつ )て 居 ( ゐ )なければよいが。 』と 呟 ( つぶや )いた。 また 御幣 ( ごへい ) 擔 ( かつ )ぎ! 今日 ( けふ )は 何 ( な )んといふ 日 ( ひ )だらう。 勿論 ( もちろん )、 此樣 ( こんな ) 事 ( こと )には 何 ( なに )も 深 ( ふか )い 仔細 ( しさい )のあらう 筈 ( はづ )はない。 つまり 偶然 ( ぐうぜん )の 出來事 ( できごと )には 相違 ( さうゐ )ないのだが、 私 ( わたくし )は 何 ( なん )となく 異樣 ( ゐやう )に 感 ( かん )じたよ。 誰 ( たれ )でも 左樣 ( さう )だが、 戰爭 ( いくさ )の 首途 ( かどで )とか、 旅行 ( たび )の 首途 ( かどで )に 少 ( すこ )しでも 變 ( へん )な 事 ( こと )があれば、 多少 ( たせう ) 氣 ( き )に 懸 ( か )けずには 居 ( を )られぬのである。 特 ( こと )に 我 ( わが ) 弦月丸 ( げんげつまる )は 今 ( いま )や 萬里 ( ばんり )の 波濤 ( はたう )を 志 ( こゝろざ )して、 音 ( おと )に 名高 ( なだか )き 地中海 ( ちちゆうかい )、 紅海 ( こうかい )、 印度洋等 ( インドやうとう )の 難所 ( なんしよ )に 進 ( すゝ )み 入 ( い )らんとする 其 ( その ) 首途 ( かどで )に、 船 ( きせん )が 安全 ( あんぜん ) 航行 ( かうかう )の 表章 ( しるし )となるべき 白色檣燈 ( はくしよくしやうとう )が 微塵 ( みじん )に 碎 ( くだ )けて、 其 ( その ) 燈光 ( ともしび )は 消 ( き )え、 同時 ( どうじ )に、 此 ( この ) 船 ( ふね )の 主長 ( しゆちやう )ともいふべき 船長 ( せんちやう )が 船橋 ( せんけう )より 墮落 ( ついらく )して、 心 ( こゝろ )の 不快 ( ふくわい )を 抱 ( いだ )き、 顏 ( かほ )に 憤怒 ( ふんぬ )の 相 ( さう )を 現 ( あら )はしたなど、 或 ( ある ) 意味 ( いみ )からいふと、 何 ( なに )か 此 ( この ) 弦月丸 ( げんげつまる )に 禍 ( わざはひ )の 起 ( おこ )る 其 ( その ) 前兆 ( ぜんてう )ではあるまいかと、どうも 好 ( よ )い 心持 ( こゝち )はしなかつたのである。 無論 ( むろん ) 此樣 ( こん )な 妄想 ( もうざう )は、 平生 ( いつも )ならば 苦 ( く )もなく 打消 ( うちけ )されるのだが、 今日 ( けふ )は 先刻 ( せんこく )から 亞尼 ( アンニー )が、 魔 ( ま )の 日 ( ひ )だの 魔 ( ま )の 刻 ( こく )だのと 言 ( い )つた 言葉 ( ことば )や、 濱島 ( はまじま )が 日頃 ( ひごろ )に 似 ( に )ぬ 氣遣 ( きづか )はし 氣 ( げ )なりし 樣子 ( やうす )までが、 一時 ( いちじ )に 心 ( こゝろ )に 浮 ( うか )んで 來 ( き )て、 非常 ( ひじやう )に 變 ( へん )な 心地 ( こゝち )がしたので、 寧 ( むし )ろ 此 ( この ) 塲 ( ば )を 立去 ( たちさ )らんと、 春枝夫人 ( はるえふじん )を 見返 ( みか )へると、 夫人 ( ふじん )も 今 ( いま )の 有樣 ( ありさま )と 古風 ( こふう )なる 英國人 ( エイこくじん )の 獨言 ( ひとりごと )には 幾分 ( いくぶん )か 不快 ( ふくわい )を 感 ( かん )じたと 見 ( み )へ 『あの 艫 ( とも )の 方 ( はう )へでもいらつしやいませんか。 』と 私 ( わたくし )を 促 ( うなが )しつゝ 蓮歩 ( れんぽ )を 彼方 ( かなた )へ 移 ( うつ )した。 頓 ( やが )て 船尾 ( せんび )の 方 ( かた )へ 來 ( き )て 見 ( み )ると、 此處 ( こゝ )は 人影 ( ひとかげ )も 稀 ( まれ )で、 既 ( すで )に 洗淨 ( せんじよう )を 終 ( をは )つて、 幾分 ( いくぶん )の 水氣 ( すゐき )を 帶 ( お )びて 居 ( を )る 甲板 ( かんぱん )の 上 ( うへ )には、 月 ( つき )の 色 ( ひかり )も 一段 ( いちだん )と 冴渡 ( さへわた )つて 居 ( を )る。 『 矢張 ( やはり ) 靜 ( しづ )かな 所 ( ところ )が 宜 ( よ )う 厶 ( ござ )いますねえ。 』と 春枝夫人 ( はるえふじん )は 此時 ( このとき ) 淋 ( さび )しき 笑 ( えみ )を 浮 ( うか )べて、 日出雄少年 ( ひでをせうねん )と 共 ( とも )にずつと 船端 ( せんたん )へ 行 ( い )つて、 鐵欄 ( てすり )に 凭 ( もた )れて 遙 ( はる )かなる 埠頭 ( はとば )の 方 ( はう )を 眺 ( なが )めつゝ 『 日出雄 ( ひでを )や、あの 向 ( むか )ふに 見 ( み )える 高 ( たか )い 山 ( やま )を 覺 ( おぼ )えておいでかえ。 』と 住馴 ( すみな )れし 子ープルス 市街 ( まち )の 東南 ( とうなん )に 聳 ( そび )ゆる 山 ( やま )を 指 ( ゆびざ )すと、 日出雄少年 ( ひでをせうねん )は 『 モリス 山 ( ざん )でせう、 私 ( わたくし )はよつく 覺 ( おぼ )えて 居 ( ゐ )ますよ。 』とパツチリとした 眼 ( め )で 母君 ( はゝぎみ )の 顏 ( かほ )を 見上 ( みあ )げた。 』と 少年 ( せうねん )は 兩手 ( りようて )を 鐵欄 ( てすり )の 上 ( うへ )に 載 ( の )せて 『 父君 ( おとつさん )はもう 家 ( うち )へお 皈 ( かへ )りになつたでせうか。 』 『おゝ、お 皈 ( かへ )りになりましたとも、そして 今頃 ( いまごろ )は、あの 保姆 ( ばあや )や、 番頭 ( ばんとう )の スミスさんなんかに、お 前 ( まへ )が 温順 ( おとな )しくお 船 ( ふね )に 乘 ( の )つて 居 ( を )る 事 ( こと )を 話 ( はな )していらつしやるでせう。 勿論 ( もちろん )、 外形 ( ぐわいけい )に 現 ( あらは )れても 何 ( なに )も 審 ( いぶか )しい 點 ( てん )はないが、 少 ( すこ )しく 私 ( わたくし )の 眼 ( め )に 異樣 ( ゐやう )に 覺 ( おぼ )えたのは、 總 ( さう ) 噸數 ( とんすう )一千 噸 ( とん ) 位 ( くらゐ )にしては 其 ( その ) 構造 ( かうざう )の 餘 ( あま )りに 堅固 ( けんご )らしいのと、また 其 ( その ) 甲板 ( かんぱん )の 下部 ( した )には 數門 ( すもん )の 大砲等 ( たいほうなど )の 搭載 ( つみこまれ )て 居 ( を )るのではあるまいか、 其 ( その ) 船脚 ( ふなあし )は 尋常 ( じんじやう )ならず 深 ( ふか )く 沈 ( しづ )んで 見 ( み )える。 今 ( いま )や 其 ( その ) 二本 ( にほん )の 烟筒 ( えんとう )から 盛 ( さか )んに 黒煙 ( こくえん )を 吐 ( は )いて 居 ( を )るのは 既 ( すで )に 出港 ( しゆつかう )の 時刻 ( じこく )に 達 ( たつ )したのであらう、 見 ( み )る/\ 船首 ( せんしゆ )の 錨 ( いかり )は 卷揚 ( まきあ )げられて、 徐々 ( じよ/\ )として 進航 ( しんかう )を 始 ( はじ )めた。 私 ( わたくし )は 何氣 ( なにげ )なく 衣袋 ( ポツケツト )を 探 ( さぐ )つて、 双眼鏡 ( さうがんきやう )を 取出 ( とりいだ )し、 度 ( ど )を 合 ( あは )せて 猶 ( な )ほよく 其 ( その ) 甲板 ( かんぱん )の 工合 ( ぐあひ )を 見 ( み )やうとする、 丁度 ( ちやうど ) 此時 ( このとき ) 先方 ( むかふ )の 船 ( ふね )でも、 一個 ( ひとり )の 船員 ( せんゐん )らしい 男 ( をとこ )が、 船橋 ( せんけう )の 上 ( うへ )から 一心 ( いつしん )に 双眼鏡 ( そうがんきやう )を 我 ( わ )が 船 ( ふね )に 向 ( む )けて 居 ( を )つたが、 不思議 ( ふしぎ )だ、 私 ( わたくし )の 視線 ( しせん )と 彼方 ( かなた )の 視線 ( しせん )とが 端 ( はし )なくも 衝突 ( しようとつ )すると、 忽 ( たちま )ち 彼男 ( かなた )は 双眼鏡 ( そうがんきやう )をかなぐり 捨 ( す )てゝ、 乾顏 ( そしらぬかほ )に 横 ( よこ )を 向 ( む )いた。 其 ( その ) 擧動 ( ふるまひ )のあまりに 奇怪 ( きくわい )なので 私 ( わたくし )は 思 ( おも )はず 小首 ( こくび )を 傾 ( かたむ )けたが、 此時 ( このとき ) 何故 ( なにゆゑ )とも 知 ( し )れず 偶然 ( ぐうぜん )にも 胸 ( むね )に 浮 ( うか )んで 來 ( き )た 一 ( ひと )つの 物語 ( ものがたり )がある。 それは 忘 ( わす )れもせぬ 去年 ( きよねん )の 秋 ( あき )の 事 ( こと )で、 私 ( わたくし )が 米國 ( ベイこく )から 歐羅巴 ( エウロツパ )へ 渡 ( わた )る 航海中 ( かうかいちう )で、ふと 一人 ( ひとり )の 英國 ( イギリス )の 老水夫 ( らうすゐふ )と 懇意 ( こんい )になつた。 其 ( その ) [#ルビの「その」は底本では「たの」] 老水夫 ( らうすゐふ )がいろ/\の 興味 ( けうみ )ある 話 ( はなし )の 中 ( なか )で、 最 ( もつと )も 深 ( ふか )く 私 ( わたくし )の 心 ( こゝろ )に 刻 ( きざ )まれて 居 ( を )るのは、 世 ( よ )に 一番 ( いちばん )に 恐 ( おそ )ろしい 航路 ( かうろ )は 印度洋 ( インドやう )だとうふ 物語 ( ものがたり )、 亞弗利加洲 ( アフリカしう )の 東方 ( ひがしのかた )、 マダカッスル 島 ( たう )からも 餘程 ( よほど ) 離 ( はな )れて、 世 ( よ )の 人 ( ひと )は 夢 ( ゆめ )にも 知 ( し )らない 海賊島 ( かいぞくたう )といふのがある 相 ( さう )だ、 無論 ( むろん ) 世界地圖 ( せかいちづ )には 見 ( み )る 事 ( こと )の 出來 ( でき )ぬ 孤島 ( こたう )であるが、 其處 ( そこ )には 獰猛 ( どうまう ) 鬼神 ( きじん )を 欺 ( あざむ )く 數百 ( すうひやく )の 海賊 ( かいぞく )が 一團體 ( いちだんたい )をなして、 迅速 ( じんそく ) 堅固 ( けんご )なる七 艘 ( さう )の 海賊船 ( かいぞくせん )を 浮 ( うか )べて、 絶 ( た )えず 其邊 ( そのへん )の 航路 ( かうろ )を 徘徊 ( はいくわい )し、 時 ( とき )には 遠 ( とほ )く 大西洋 ( たいせいやう )の [#「 大西洋 ( たいせいやう )の」は底本では「 太西洋 ( たいせいやう )の」] 沿岸 ( えんがん )までも 船 ( ふね )を 乘出 ( のりだ )して、 非常 ( ひじやう )に 貴重 ( きちやう )な 貨物 ( くわぶつ )を 搭載 ( とうさい )した 船 ( ふね )と 見 ( み )ると、 忽 ( たちま )ち 之 ( これ )を 撃沈 ( げきちん )して、 惡 ( にく )む 可 ( べ )き 慾 ( よく )を 逞 ( たく )ましうして 居 ( を )るとの 話 ( はなし )。 而 ( そ )して 歐米 ( をうべい )の 海員 ( かいゐん ) 仲間 ( なかま )では、 此事 ( このこと )を 知 ( し )らぬでもないが、 如何 ( いか )にせん、 此 ( この ) 海賊 ( かいぞく ) 團體 ( だんたい )の 狡猾 ( かうくわつ )なる 事 ( こと )は 言語 ( げんご )に 絶 ( た )えて、 其 ( その ) 來 ( きた )るや 風 ( かぜ )の 如 ( ごと )く、 其 ( その ) 去 ( さ )るも 亦 ( ま )た 風 ( かぜ )の 如 ( ごと )く。 海賊 ( かいぞく ) 共 ( ども )は 如何 ( いか )にして 探知 ( たんち )するものかは 知 ( し )らぬが 其 ( その ) 覬 ( ねら )ひ 定 ( さだ )める 船 ( ふね )は、 常 ( つね )に 第 ( だい )一 等 ( とう )の 貴重 ( きちやう ) 貨物 ( くわぶつ )を 搭載 ( とうさい )して 居 ( を )る 船 ( ふね )に 限 ( かぎ )る 代 ( かわ )りに、 滅多 ( めつた )に 其 ( その ) 形 ( かたち )を 現 ( あら )はさぬ 爲 ( ため )と、 今 ( いま )一つには 此 ( この ) 海賊 ( かいぞく ) 輩 ( はい )は 何時 ( いつ )の 頃 ( ころ )よりか、 利 ( り )をもつて 歐洲 ( をうしう )の 某 ( ぼう ) 強國 ( きやうこく )と 結托 ( けつたく )して、 年々 ( ねん/\ )五千 萬弗 ( まんどる )に 近 ( ちか )い 賄賂 ( わいろ )を 納 ( をさ )めて 居 ( を )る 爲 ( ため )に、 却 ( かへ )つて 隱然 ( いんぜん )たる 保護 ( ほご )を 受 ( う )け、 折 ( をり )ふし 其 ( その ) 船 ( ふね )が 貿易港 ( ぼうえきかう )に 停泊 ( ていはく )する 塲合 ( ばあひ )には 立派 ( りつぱ )な 國籍 ( こくせき )を 有 ( いう )する 船 ( ふね )として、 其 ( その ) 甲板 ( かんぱん )には 該 ( その ) 強國 ( きやうこく )の 商船旗 ( しようせんき )を 飜 ( ひるがへ )して、 傍若無人 ( ぼうじやくむじん )に 振舞 ( ふるま )つて 居 ( を )る 由 ( よし )、 實 ( じつ )に 怪 ( け )しからぬ 話 ( はなし )である。 見 ( み )る/\ 内 ( うち )に 波 ( なみ )を 蹴立 ( けた )てゝ、 蒼渺 ( そうびやう )の 彼方 ( かなた )に 消 ( き )え 去 ( うせ )た。 『あゝ、 妙 ( めう )だ/\、 今日 ( けふ )は 何故 ( なぜ ) 此樣 ( こんな )に 不思議 ( ふしぎ )な 事 ( こと )が 續 ( つゞ )くのだらう。 』と 私 ( わたくし )は 思 ( おも )はず 叫 ( さけ )んだ。 『おや、 貴方 ( あなた ) 如何 ( どう )かなすつて。 』と 春枝夫人 ( はるえふじん )は 日出雄少年 ( ひでをせうねん )と 共 ( とも )に 驚 ( おどろ )いて 振向 ( ふりむ )いた。 』と 態 ( わざ )と 聲 ( こゑ ) 高 ( たか )く 笑 ( わら )つた。 夫人 ( ふじん )と 少年 ( せうねん )とを 其 ( その ) 船室 ( キヤビン )に 送 ( おく )つて、 明朝 ( めうてう )を 契 ( ちぎ )つて 自分 ( じぶん )の 船室 ( へや )に 歸 ( かへ )つた 時 ( とき )、 八點鐘 ( はつてんしよう )の 號鐘 ( がうしよう )はいと 澄渡 ( すみわた )つて 甲板 ( かんぱん )に 聽 ( きこ )えた。 『おや、もう十二 時 ( じ )!』と 私 ( わたくし )は 獨語 ( どくご )した。 既 ( すで )に 夜 ( よる ) 深 ( ふか )く、 加 ( くわ )ふるに 當夜 ( このよ )は 浪 ( なみ ) 穩 ( おだやか )にして、 船 ( ふね )に 些 ( いさゝか )の 動搖 ( ゆるぎ )もなければ、 船客 ( せんきやく )の 多數 ( おほかた )は 既 ( すで )に 安 ( やす )き 夢 ( ゆめ )に 入 ( い )つたのであらう、たゞ 蒸 機關 ( じようききくわん )の 響 ( ひゞき )のかまびすしきと、 折々 ( をり/\ ) 當番 ( たうばん )の 船員 ( せんゐん )が 靴音 ( くつおと ) 高 ( たか )く 甲板 ( かんぱん )に 往來 ( わうらい )するのが 聽 ( きこ )ゆるのみである。 私 ( わたくし )は 衣服 ( ゐふく )を 更 ( あらた )めて 寢臺 ( ねだい )に 横 ( よこたわ )つたが、 何故 ( なぜ )か 少 ( すこ )しも 眠 ( ねぶ )られなかつた。 船室 ( キヤビン )の 中央 ( ちゆうわう )に 吊 ( つる )してある 球燈 ( きゆうとう )の 光 ( ひかり )は 煌々 ( くわう/\ )と 輝 ( かゞや )いて 居 ( を )るが、どうも 其邊 ( そのへん )に 何 ( なに )か 魔性 ( ませう )でも 居 ( を )るやうで、 空氣 ( くうき )は 頭 ( あたま )を 壓 ( おさ )へるやうに 重 ( おも )く、 實 ( じつ )に 寢苦 ( ねぐる )しかつた。 私 ( わたくし )は 思 ( おも )ひ 切 ( き )つて 再 ( ふたゝ )び 起上 ( おきあが )つた。 喫烟室 ( スモーキングルーム )へ 行 ( ゆ )くも 面倒 ( めんだう )なり、 少 ( すこ )し 船 ( ふね )の 規則 ( きそく )の 違反 ( ゐはん )ではあるが、 此室 ( こゝ )で 葉卷 ( シユーガー )でも 燻 ( くゆ )らさうと 思 ( おも )つて 洋服 ( やうふく )の 衣袋 ( ポツケツト )を 探 ( さぐ )りて 見 ( み )たが一 本 ( ぽん )も 無 ( な )い、 不圖 ( ふと ) 思 ( おも )ひ 出 ( だ )したのは 先刻 ( せんこく ) ネープルス 港 ( かう )を 出發 ( しゆつぱつ )のみぎり、 濱島 ( はまじま )の 贈 ( おく )つて 呉 ( く )れた 數 ( かず )ある 贈物 ( おくりもの )の 中 ( うち )、四 角 ( かく )な 新聞 ( しんぶん ) 包 ( つゝみ )は、 若 ( も )しや 煙草 ( たばこ )の 箱 ( はこ )ではあるまいかと 考 ( かんが )へたので、 急 ( いそ )ぎ 開 ( ひら )いて 見 ( み )ると 果然 ( くわぜん ) 最上 ( さいじやう )の 葉卷 ( はまき )! 『しめたり。 』と 火 ( ひ )を 點 ( てん )じて、スパスパやりながら 餘念 ( よねん )もなく 其邊 ( そのへん )を 見廻 ( みまわ )して 居 ( を )る 内 ( うち )、 見 ( み )ると 今 ( いま ) 葉卷 ( はまき )の 箱 ( はこ )の 包 ( つゝ )んであつた 新聞紙 ( しんぶんし )。 『オヤ、 日本 ( につぽん )の 新聞 ( しんぶん )だよ。 』と 私 ( わたくし )は 思 ( おも )はず 取上 ( とりあ )げた。 本國 ( ほんごく )を 出 ( い )でゝから二 年間 ( ねんかん )、 旅 ( たび )から 旅 ( たび )へと 遍歴 ( へんれき )して 歩 ( ある )く 身 ( み )は、 折々 ( をり/\ ) 日本 ( につぽん )の 公使館 ( こうしくわん )や 領事館 ( りようじくわん )で、 本國 ( ほんこく )の 珍 ( めづ )らしき 事件 ( こと )を 耳 ( みゝ )にする 外 ( ほか )は、 日本 ( につぽん )の 新聞 ( しんぶん )などを 見 ( み )る 事 ( こと )は 極 ( きは )めて 稀 ( まれ )であるから、 私 ( わたくし )は 實 ( じつ )に 懷 ( なつ )かしく 感 ( かん )じた。 急 ( いそ )ぎ 皺 ( しわ )を 延 ( のば )して 見 ( み )ると、これは 既 ( すで )に一 年 ( ねん ) 半 ( はん )も 前 ( まへ )の 東京 ( とうけい )の 某 ( ぼう ) 新聞 ( しんぶん )であつた。 一 年 ( ねん ) 半 ( はん )も 前 ( まへ )といへば 私 ( わたくし )がまだ 亞米利加 ( アメリカ )の 大陸 ( たいりく )に 滯在 ( た.

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助けて!テンキーが使えないの!

す いかん ない にゅ うと うねん えき 腫瘍

【類】気質。 性善论。 【反】性悪説。 性器官。 生殖器。 【類】気だて。 2 〔性状〕人の性質やふだんの行ない。 也指物品的性质和状态。 【類】肉欲。 【類】気だて。 2 〔性状〕人の性質やふだんの行ない。 也指物品的性质和状态。 得罪人。 指男性而言。 黑材料。 【類】ラブレター。 また、わるい結果にならないかと心配である。 也指担心会出现坏结果。 令人害怕。 【類】おそろしい。 大きいものは体長30メートルにもなり、種類が多い。 大的体长达30米,种类很多。 它的化石已被发现。 【類】旧師。 【類】報恩。 【類】謹賀。 生机勃勃的活跃气氛。 【類】気炎をあげる。 气喘吁吁。 【類】みんな。 【類】後悔。 理解力。 【類】理性。 うれしいこと。 愉快的心情。 【反】悲しみ。 【反】悲しむ。 别见怪。 往坏里 说。 【反】善人。 【類】悪者。 また、そのことば。 也指所说的坏话。 坏主意。 坏道道。 也专指戏剧或故事里的坏人。 Copy lines• Copy permalink•

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平家物語 流布本 全巻

す いかん ない にゅ うと うねん えき 腫瘍

【類】気質。 性善论。 【反】性悪説。 性器官。 生殖器。 【類】気だて。 2 〔性状〕人の性質やふだんの行ない。 也指物品的性质和状态。 【類】肉欲。 【類】気だて。 2 〔性状〕人の性質やふだんの行ない。 也指物品的性质和状态。 得罪人。 指男性而言。 黑材料。 【類】ラブレター。 また、わるい結果にならないかと心配である。 也指担心会出现坏结果。 令人害怕。 【類】おそろしい。 大きいものは体長30メートルにもなり、種類が多い。 大的体长达30米,种类很多。 它的化石已被发现。 【類】旧師。 【類】報恩。 【類】謹賀。 生机勃勃的活跃气氛。 【類】気炎をあげる。 气喘吁吁。 【類】みんな。 【類】後悔。 理解力。 【類】理性。 うれしいこと。 愉快的心情。 【反】悲しみ。 【反】悲しむ。 别见怪。 往坏里 说。 【反】善人。 【類】悪者。 また、そのことば。 也指所说的坏话。 坏主意。 坏道道。 也专指戏剧或故事里的坏人。 Copy lines• Copy permalink•

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