真木 はるこ インスタ。 インスタ映えする風景、好きですか? SNSに氾濫する「承認欲求」の構造 清水真木『新・風景論』より|じんぶん堂

インスタ映えする風景、好きですか? SNSに氾濫する「承認欲求」の構造 清水真木『新・風景論』より|じんぶん堂

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長塚圭史と真木よう子は不倫関係継続中!?妻の常盤貴子や子供は? 長塚圭史と真木よう子は不倫関係継続中!?妻の常盤貴子とは仮面夫婦?子供は? 長塚圭史と真木よう子が、2012年6月のフライデーで深夜W不倫がキャッチされてから3年余り。 某スポーツ紙芸能担当記者は、2人が今でも不倫関係継続中であると語っています。 3年前の不倫騒動が報じられた時、長塚圭史の妻・常盤貴子は激怒したそうですが、結局、長塚圭史と常盤貴子は離婚には至りませんでした。 2009年、交際6年半にして結婚した長塚圭史と常盤貴子には、いまだ子供はいません。 だったら離婚なんてそう難しい話でもない気もしますが、常盤貴子も女。 真木よう子への女の意地を通して、離婚しなかったのではないかとされています。 もしくは、そもそも長塚圭史が真木よう子以外にも複数の女性とのお遊びが絶えなかったことから、すでに無関心になっていたと言われることも。 常盤貴子の友人は、彼女が「ウチは冷めきってるから」とこぼすのを聞いています。 つまり、長塚圭史と常盤貴子は、長い間仮面夫婦を続けているというわけです。 長塚圭史と真木よう子は不倫関係継続中!?妻の常盤貴子と離婚する? 長塚圭史といえば、「Dr. 倫太郎」などドラマでの活躍もさることながら、やはり舞台演出。 演出家としては、演劇界ではスター的存在として注目されているのです。 ただでさえ「演出家と出演女優の関係」ってあるある話ですから、長塚圭史も相当モテるに違いありません。 よって、これまでにも常盤貴子という妻がありながら、数々の女優との噂があったとされる長塚圭史。 真木よう子との不倫関係も、どうせ火遊び感覚だろうと思われていました。 最初の不倫騒動のときには、真木よう子夫妻も離婚しなかったため、誰もがそれを疑わなかったのです。 ところが、今年7月になって、長塚圭史と真木よう子が2人きりで都内の某劇場に舞台を見に来ていたという情報が出てきました。 他にも目撃談があり、長塚圭史と真木よう子の親密ぶりは業界では有名なんだそうです。 そうこうするうちに9月には真木よう子夫妻が離婚したことで、長塚圭史とは不倫関係継続中という情報も濃厚に。 長らく常盤貴子と別居生活を送っているという長塚圭史は、今後どう出るのでしょうか。 長塚圭史と芥川賞作家の柳美里はどんな関係?父は長塚京三! 長塚圭史と芥川賞作家の柳美里がクソ呼ばわり!直接対談が見てみたい 芥川賞作家の柳美里と長塚圭史がニアミスしているという2007年「文学界10月号」内の演劇特集が舞台ファンの間では伝説化しているようです。 一体どういう内容だったのかというと、長塚圭史の戯曲が掲載され、別枠で柳美里が3人の若手劇団員と対談していたというだけで、長塚圭史と柳美里の関連性は全く見当たりません。 その内容とは、「高校演劇以下のチョーチョー低低低低レベル!」「あっついしつまんないし、クソですよ、クソッ!長塚圭史ッ!クソッ!」と名指しまで綴られる罵詈雑言。 柳美里が、芝居を観て拍手をしなかったのは、生まれて初めてだったそうですが、何もここまで気が狂ったように嫌悪を撒き散らさなくても……。 というわけで、「文学界10月号」のニアミスに誰もがドキドキ。 ついでに今後、同誌で2人の直接対談が掲載されることへの期待も高まっているようです。 長塚圭史の父は長塚京三!2人には共通点が多すぎ 長塚圭史の父は、ドラマや映画で活躍する俳優の長塚京三。 「ナースのお仕事」シリーズや、「篤姫」への出演が、特に有名ではないでしょうか。 それはさておき、長塚圭史と長塚京三。 瓜二つとまでは言いませんが、やはり親子だけあって、どことなく顔の雰囲気は似ていますよね。 プロフィールを眺めてみると、長塚圭史も父の長塚京三も、ともに181㎝と身長まで一緒。 また、長塚圭史は、早稲田大学第二文学部演劇専修科を卒業していますが、長塚京三も同大学第一文学部演劇科に通っていたというではありませんか。 ただし、長塚京三は早稲田大学を中退して、パリ大学(ソルボンヌ)に移っていますから、全く同じというわけではありません。 しかし、まだまだ他にも共通点があるんです。 1982年に離婚して以降、ずっと独身を貫いて、長塚圭史を男手ひとつで育ててきた長塚京三。 なんと、長塚圭史が常盤貴子と結婚した2009年に、個人事務所の女性マネージャーと結婚していたのです。 長塚圭史にはまだ離婚歴はありませんが、結婚まで一緒なんて、やはり血がなせる業でしょうか。 長塚圭史、スター演出家はモテるから仕方ない?離婚、再婚は? 長塚圭史と常盤貴子の夫婦関係は、真木よう子とのスキャンダルによって修復不可能に陥っていると言われています。 そして真木よう子の離婚、NHK「まれ」が終わって常盤貴子の仕事がひと段落したことを受け、そろそろ「長塚圭史離婚」の報道が出るのではないかと注目を集めている最中です。 さらに「再婚」という話題が付いてくれば、世間は大騒ぎでしょう。 父が長塚京三で、妻が常盤貴子という申し分ない身分であるにもかかわらず、ネガティブな話題が目立ちがちになることは残念です。 ただ、妻にとったら迷惑な話かもしれませんが、やはり演出家としてモテるということは、長塚圭史の演出家としての実力を証明しているとも言えるでしょう。 1996年に、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成して以来、同ユニット主宰の舞台作品すべての作・演出を手掛けてきた長塚圭史。 2004年には「はたらくおとこ(作・演出)」「ピローマン(演出)」で朝日舞台芸術賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞していますし、その翌年、翌々年も、受賞作品を連作しています。 また、長塚圭史自身、映画新人男優賞を取るほどの役者です。 「Dr. 倫太郎」では主人公・倫太郎のライバル役の冷徹でせせこましい様子を、実に自然に演じていた長塚圭史。 そんな長塚圭史だからこそ、役者の芝居感覚と演出がマッチするのかもしれません。 柳美里はズタボロにこき下ろしていましたが、長塚圭史の実力は確か。 そして、女性にモテるのも確か。 芸術家には家庭を築くことは難しいものなのかもしれませんね。

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長塚圭史と真木よう子は不倫関係継続中!?妻の常盤貴子や子供は?

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長塚圭史と真木よう子は不倫関係継続中!?妻の常盤貴子や子供は? 長塚圭史と真木よう子は不倫関係継続中!?妻の常盤貴子とは仮面夫婦?子供は? 長塚圭史と真木よう子が、2012年6月のフライデーで深夜W不倫がキャッチされてから3年余り。 某スポーツ紙芸能担当記者は、2人が今でも不倫関係継続中であると語っています。 3年前の不倫騒動が報じられた時、長塚圭史の妻・常盤貴子は激怒したそうですが、結局、長塚圭史と常盤貴子は離婚には至りませんでした。 2009年、交際6年半にして結婚した長塚圭史と常盤貴子には、いまだ子供はいません。 だったら離婚なんてそう難しい話でもない気もしますが、常盤貴子も女。 真木よう子への女の意地を通して、離婚しなかったのではないかとされています。 もしくは、そもそも長塚圭史が真木よう子以外にも複数の女性とのお遊びが絶えなかったことから、すでに無関心になっていたと言われることも。 常盤貴子の友人は、彼女が「ウチは冷めきってるから」とこぼすのを聞いています。 つまり、長塚圭史と常盤貴子は、長い間仮面夫婦を続けているというわけです。 長塚圭史と真木よう子は不倫関係継続中!?妻の常盤貴子と離婚する? 長塚圭史といえば、「Dr. 倫太郎」などドラマでの活躍もさることながら、やはり舞台演出。 演出家としては、演劇界ではスター的存在として注目されているのです。 ただでさえ「演出家と出演女優の関係」ってあるある話ですから、長塚圭史も相当モテるに違いありません。 よって、これまでにも常盤貴子という妻がありながら、数々の女優との噂があったとされる長塚圭史。 真木よう子との不倫関係も、どうせ火遊び感覚だろうと思われていました。 最初の不倫騒動のときには、真木よう子夫妻も離婚しなかったため、誰もがそれを疑わなかったのです。 ところが、今年7月になって、長塚圭史と真木よう子が2人きりで都内の某劇場に舞台を見に来ていたという情報が出てきました。 他にも目撃談があり、長塚圭史と真木よう子の親密ぶりは業界では有名なんだそうです。 そうこうするうちに9月には真木よう子夫妻が離婚したことで、長塚圭史とは不倫関係継続中という情報も濃厚に。 長らく常盤貴子と別居生活を送っているという長塚圭史は、今後どう出るのでしょうか。 長塚圭史と芥川賞作家の柳美里はどんな関係?父は長塚京三! 長塚圭史と芥川賞作家の柳美里がクソ呼ばわり!直接対談が見てみたい 芥川賞作家の柳美里と長塚圭史がニアミスしているという2007年「文学界10月号」内の演劇特集が舞台ファンの間では伝説化しているようです。 一体どういう内容だったのかというと、長塚圭史の戯曲が掲載され、別枠で柳美里が3人の若手劇団員と対談していたというだけで、長塚圭史と柳美里の関連性は全く見当たりません。 その内容とは、「高校演劇以下のチョーチョー低低低低レベル!」「あっついしつまんないし、クソですよ、クソッ!長塚圭史ッ!クソッ!」と名指しまで綴られる罵詈雑言。 柳美里が、芝居を観て拍手をしなかったのは、生まれて初めてだったそうですが、何もここまで気が狂ったように嫌悪を撒き散らさなくても……。 というわけで、「文学界10月号」のニアミスに誰もがドキドキ。 ついでに今後、同誌で2人の直接対談が掲載されることへの期待も高まっているようです。 長塚圭史の父は長塚京三!2人には共通点が多すぎ 長塚圭史の父は、ドラマや映画で活躍する俳優の長塚京三。 「ナースのお仕事」シリーズや、「篤姫」への出演が、特に有名ではないでしょうか。 それはさておき、長塚圭史と長塚京三。 瓜二つとまでは言いませんが、やはり親子だけあって、どことなく顔の雰囲気は似ていますよね。 プロフィールを眺めてみると、長塚圭史も父の長塚京三も、ともに181㎝と身長まで一緒。 また、長塚圭史は、早稲田大学第二文学部演劇専修科を卒業していますが、長塚京三も同大学第一文学部演劇科に通っていたというではありませんか。 ただし、長塚京三は早稲田大学を中退して、パリ大学(ソルボンヌ)に移っていますから、全く同じというわけではありません。 しかし、まだまだ他にも共通点があるんです。 1982年に離婚して以降、ずっと独身を貫いて、長塚圭史を男手ひとつで育ててきた長塚京三。 なんと、長塚圭史が常盤貴子と結婚した2009年に、個人事務所の女性マネージャーと結婚していたのです。 長塚圭史にはまだ離婚歴はありませんが、結婚まで一緒なんて、やはり血がなせる業でしょうか。 長塚圭史、スター演出家はモテるから仕方ない?離婚、再婚は? 長塚圭史と常盤貴子の夫婦関係は、真木よう子とのスキャンダルによって修復不可能に陥っていると言われています。 そして真木よう子の離婚、NHK「まれ」が終わって常盤貴子の仕事がひと段落したことを受け、そろそろ「長塚圭史離婚」の報道が出るのではないかと注目を集めている最中です。 さらに「再婚」という話題が付いてくれば、世間は大騒ぎでしょう。 父が長塚京三で、妻が常盤貴子という申し分ない身分であるにもかかわらず、ネガティブな話題が目立ちがちになることは残念です。 ただ、妻にとったら迷惑な話かもしれませんが、やはり演出家としてモテるということは、長塚圭史の演出家としての実力を証明しているとも言えるでしょう。 1996年に、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成して以来、同ユニット主宰の舞台作品すべての作・演出を手掛けてきた長塚圭史。 2004年には「はたらくおとこ(作・演出)」「ピローマン(演出)」で朝日舞台芸術賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞していますし、その翌年、翌々年も、受賞作品を連作しています。 また、長塚圭史自身、映画新人男優賞を取るほどの役者です。 「Dr. 倫太郎」では主人公・倫太郎のライバル役の冷徹でせせこましい様子を、実に自然に演じていた長塚圭史。 そんな長塚圭史だからこそ、役者の芝居感覚と演出がマッチするのかもしれません。 柳美里はズタボロにこき下ろしていましたが、長塚圭史の実力は確か。 そして、女性にモテるのも確か。 芸術家には家庭を築くことは難しいものなのかもしれませんね。

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真木よう子のインスタがお茶目!?男っぽい!?離婚した元旦那は誰?【髪型可愛い】

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adobe. com 川越、祇園、白川郷……。 不自然なまでに「和風」に統一された風景。 その実態は、本当の意味における風景の経験を閉ざす「和風テーマパーク」にすぎない。 美しいだけの絶景を求めていても、風景の秘密には到達できない。 風景に出会い、風景の秘密に到達する道をひらくにはどうしたらいいのか。 「風景を眺めるとは何をすることなのか?」という問いを、西洋精神史をたどりながら、哲学的な観点から考える『新・風景論』より一部を紹介します。 これもまた、前に述べたとおりです。 しかし、ウィリアム・ギルピン(1724-1804)に代表される風景論の過激派たちは、絶景の美学のもとで風景とは何であるのかという問いに対し、実際の行動によって律儀に回答します。 彼らが試みたピクチャレスクな旅の目指すところはただ一つ、風景を享受することだからです。 彼らの旅のすべては、絶景に辿りつくという唯一の目標から溯って組織されます。 当然、ピクチャレスクな旅には、「地元のおいしいものを食べる」「ビーチで日光浴する」「アウトレットモールに立ち寄る」など、風景の享受とは無縁の要素が入り込む余地は最初からありません。 ピクチャレスクな旅では、余計なものはすべて切り捨てられ、「風景の経験のミニマム」、つまり、一つのふるまいが「風景を眺める」と呼ばれるために不可欠の最低限の要素のみが追求されます。 そのため、ピクチャレスクな旅を試みた者たちのあまりに真剣な行動と発言は、現代の私たちの目にいくらか滑稽なもの、風変わりなものと映ります。 また、ひたすら絶景を目指し、絶景に向き合う者たちの姿は、彼らの同時代の人々からも奇異の目で見られることがあったようです。 それでも、絶景に対する彼らの反応は、絶景の美学の帰結であるかぎり、風光明媚な場所における観光客の行動と本質的に異なるものではありません。 ピクチャレスクな旅において、風景論の過激派は、絶景の美学を明瞭な自覚とともに純粋な仕方で受け入れたのであり、その行動が滑稽な、あるいは風変わりな印象を与えるなら、むしろ、この印象は、絶景に対する現代の私たちの態度が不真面目であることの証として受け止められるべきものであるに違いありません。 クロード・グラスで眺めを編集する ところで、ピクチャレスクな旅の記録を遺した18世紀後半の著述家たちの文章に見出されるのは、ピクチャレスクな眺めを享受することが可能な場所の記述ばかりではありません。 彼らは、ピクチャレスクな旅に持参すると便利な道具についても説明を忘れませんでした。 著述家たちが携行することを特に強くすすめるもので、現代の私たちの注意を惹くものは二つあります。 一つは、何と言ってもスケッチブックです。 たしかに、これは、カメラのない時代には、風景を記録し、風景画をその場で作成するのに欠かすことのできないものだったでしょう。 たとえば、ギルピンの公刊したどの旅行記にも、彼がみずから現地で描いたかなりの数のスケッチ、あるいは、スケッチにもとづく水彩画が収められています。 ピクチャレスクな旅では、大量のスケッチが描かれるのが普通だったに違いありません。 しかし、スケッチブックとともに、いや、おそらくスケッチブック以上に携行が推奨されていた道具があります。 「クロード・グラス」(Claude glass)と名づけられたその不思議な器具は、21世紀の旅行者にはなじみのないものであり、器具の使用法は、私たちの注意を否応なく惹きつけます。 クロード・グラスは、「黒い鏡」(black mirror)とも呼ばれる一種の手鏡、しかも、特殊な加工が施された手鏡です。 鏡面は凸面であり、青または黒に着色されています。 大抵の場合、鏡の形状は円ですが、四角や楕円のものもありました。 ギルピンの同時代の著述家トマス・ウェストは、次のように語ります。 鏡(=クロード・グラス)は、陽の光のもとでは大変に役に立つ。 そして、これを使用する者は、彼が眺める対象につねに背を向けなければならない。 鏡をそのケースの上の部分を摑んで吊しておくことにより、鏡を(眺めるべき部分がどの位置にあるかに応じて)右か左に少し向けることで、鏡に映った風景が見えることになるであろうし、顔は日焼けしないであろう。 (『湖水地方案内』1874年) ピクチャレスクな風景を見つけると、旅行者は、まず、この風景に背を向け、続いて、クロード・グラスを取り出して片手に持ち、背後の眺めをこれに映します。 これがクロード・グラスの基本的な使い方です。 風景論の過激派と同時代の画家トマス・ゲインズバラが描く旅人もまた、クロード・グラスをこのように使っているようです。 なお、ゲインズバラは、風景画によって有名なイングランドの画家であり、その作品は、18世紀末以降、ピクチャレスクの内容がロマン主義とゴシック趣味へと変質するとき、クロード・ロランの古典主義的な風景画に代わりピクチャレスクの事実上の範例の役割を担います。 この点は、のちに簡単に述べます。 クロード・グラスの鏡面が凸面であるために、背後にあるものは、実際の距離以上に遠くにあるように映ります。 また、暗色の鏡面には、眺めをいくらか暗く着色する効果があります。 この「携帯用フェンダーミラー」(?)のような鏡に自然を映すことにより、円形や楕円形に縁取られた即席の風景画が鏡面に出現します。 クロード・グラスには、鏡に映る自然の眺めをクロード・ロランの風景画に似たピクチャレスクな映像に変換する道具です。 これが「クロード・グラス」の名の由来であり、旅行者たちは、映像が風景画らしくレタッチされることを期待し、これを旅先に持参したのです。 たしかに、目の前に広がるはずの眺めにあえて背を向け、凸面鏡に映る映像を鑑賞する仕草は、いかにも不自然に見えます。 また、絶景を前にしてこれを必死でスケッチするというのも、私たちに違和感を与えるふるまいであるかも知れません。 けれども、旅行者たちが「なま」の自然の美しさを求めていたわけではなく、自然を絵画として鑑賞することに彼らの目標があったのなら、彼らの動作は、不自然に感じられるとしても、不可解というわけではありません。 彼らは、「なま」の自然の直接の眺めではなく、着色された凸面鏡に映る映像、あるいは、スケッチブックに描かれたデッサンのうちにピクチャレスクなものを求めたのであり、自然の眺めは、風景画に見立てられることにより、風景画という枠組の内部において初めて経験され、評価されていたのです。 風景画、風景式庭園、「なま」の自然の三者に対し彼らが求めていたのがピクチャレスクなものであったことがわかります。 そもそも、少し冷静に考えるなら、現代の私たちが絶景を前にするときの反応は、18世紀後半の旅行者たちと大して違わないのかも知れません。 というのも、ピクチャレスクな旅で絶景に出会ったときに旅行者たちがスケッチブックを即座に取り出したとの同じように、絶景を前にしてカメラを反射的に取り出し、撮影した映像をSNSに投稿することは、現代の旅行者の多くにとり、ごく普通の動作だからです。 また、絶景に背を向け、これをクロード・グラスに映すといういかにも不自然な仕草は、スマートフォンで撮影した写真をアプリケーションを用いてその場で編集する作業と基本的には同じだからです。 19世紀前半に販売されていたクロード・グラスの中には、五色が一組になったものがあります。 鏡面の色の異なるクロード・グラスに自然の眺めを次々と映すというのは、デジタルカメラで撮影された画像に異なるフィルターをかけてみる作業と何ら異なるところがないように思われます。

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