ファラオ 田中。 矢作イズムを胸に活躍誓う田中一巧調教師

矢作イズムを胸に活躍誓う田中一巧調教師

ファラオ 田中

メンバー [ ] 新道 竜巳(しんどう たつみ、本名: 濵島 英治郎(はましま えいじろう)、 1977-04-15 (43歳) - )・ネタ作り担当• 立ち位置は向かって左。 身長177. 7cm、体重77kg、足のサイズ26. 5cm、血液型O型。 子供の頃、最初はお笑いが嫌いで人を笑わせることに嫌悪感があったらしいが『』(系)が人気になってからは、徐々に自然と笑いが受け入れられるようになっていた。 高校卒業後、親に急き立てられるように上京。 最初は2年間俳優養成所「」に通っていた。 日活芸術学院を出た後はお笑い養成所に通い始め、最初は養成所の3か月コースに入り、のちにに8期生として入学。 芸人として初めて受けたオーディションは、主催の「第2のを探せオーディション」。 しかし、この時は緊張のあまり一言も喋れなかった。 JCA時代は藤原という名前の相方と「 」というコンビ名のコンビを組み、この当時新道はでツッコむという変わった芸風を見せていた。 このコンビは相方が練習嫌いの上、で負けるのを嫌がったのが元で解散。 その後、改めて「 ネットチャーハン」という名のコンビを結成。 しかしこの時の相方が真面目過ぎるタイプで自分たちのネタを褒めちぎるばかりで、新道は「このままでは伸びない」と思い約1年で解散。 に改めて東京に7期生として入学。 在学中後半の同年からまでNSCで同期のとコンビ「 ピカソ」で活動。 「5じからバトル」等のライブに出演。 本人が「ほとんど覚えていない」と言うこの時の同期生の中で、とは今でも親交がある。 からまではイトキン(現・さむらい侍)、松本パーマらとトリオ「 」で活動(2007年4月3日に松本脱退後はコンビとして活動)。 最初は本名で活動していたが、元々人前で緊張し易かったことから芸名を付けたら緊張する癖も治るかも知れないと考えて今の芸名を付けた。 この芸名に特に意味は無く、「本名でなければ何でも良かった」。 趣味は救いのない漫画を読むこと。 またカップラーメン・焼きそばを好んで食べるため、カップ麺を差し入れると非常に喜ばれる。 好きな女性のタイプは童顔で巨乳。 篠崎愛をデビュー当時から応援しており、TV番組で共演した際はCDにサイン・ツーショット写真を貰うことに成功した。 特技は漫画原作(小池一門)、絵を描くこと。 の私塾に通っていた時期がある。 昔から友達は少なく家族や身近な人に話しかけることも苦手で 、趣味も無い上に遊び方もあまり知らないということで、毎日日記を書くことが唯一のストレス解消法とのこと。 長い時は5時間ほどかけて書くこともありそれでも苦にはならない。 以前所属していたコレクション・エンターテインメントの社長をしていた。 時間にルーズで遅刻が多く、オフィス北野の面接でも「遅刻は直せない」と答えたこともあった。 自身が主催する「新道竜巳の喋喋喋る」でも開場時間に間に合わず、開演時間直前に登場することもザラである。 その際も決して慌てることはない。 遅刻した時にファラオがなぜ遅刻をするのかと注意すると「自分でも分かんねぇよ! 」とした。 芸能人遅刻総選挙SP』(フジテレビ系)で、優勝を果たしている。 サンミュージック移籍が決まった後、2人で『』収録後のの元へあいさつに行こうとした時に、新道は『TVタックル』を放送しているではなくに行ってしまったことがあった。 更に、オフィス北野時代の担当だったマネジャーによると締め切りもあまり守らないということであるが、の連載の締め切りはきちんと守るという。 女性お笑い芸人が好きで、その持ち得る知識と分析力から「女芸人研究家」とも言われている。 2016年4月から「新道竜巳の『女芸人研究室』」というタイトルのブログも始めている。 には自ら主催のライブ『新道竜巳と女芸人の雑談』を開催 、その後からは同じく自ら企画・主催するライブ「新道竜巳女芸人フェス」(第1回は2018年)を開催。 紙上にて、2018年4月から「馬鹿よ貴方は 新道竜巳『女芸人馬鹿売れ前夜』」を隔週連載している。 2017年の第1回では、一回戦初日から決勝戦まで、東京・大阪両会場含めて全出場者のネタを観覧していた。 また2020年4月からはnoteも開始し、自身そしてコンビの回顧録を1記事300円で販売している。 にて坂巻裕哉()・を相方に、お笑いをマニアックに語る『ごみラジオ』を放送している。 初期はゲスト名のボケ、中期はオープニングで決め台詞の「てやんでえ」を挿し込むボケを行なっていたが、現在は冒頭でボケずにサッと本題に入るように改善されている。 お笑い業界内での視聴率は高く、小林圭輔()と屋敷裕政()は『ごみラジオ』ファンであることを公言している。 から、自らがとなって毎回ゲストを迎えてのトークライブ「新道竜巳の喋喋喋る」を中野440スタジオで開催している。 受付・会計・音響も新道がワンオペで回しており、舞台上のホワイトボードにゲストの似顔絵を新道が描くのも定番化した。 その後「新道竜巳と雑談」「新道竜巳と大喜利」と主催ライブを次々に始めている。 テレビ出演で緊張しないために、他のメンバーに自らを引き立ててもらいながらみんなで多くのメディア出演を目指すことを目的として、より「新道竜巳軍団」を結成して活動(メンバーは坂巻裕哉(マッハスピード豪速球)、、、、、、、、大西健介()、)。 に新道竜巳軍団として第1回目のライブ「新道竜巳軍団 vol. 1 ~顔合わせの会~」を行った。 旧芸名、 NP。 立ち位置は向かって右。 身長184cm、体重64kg、足のサイズ28cm、血液型O型。 芸名のは好きであることから、平井は本名の宇井が聞き取りにくいと思ったため。 も意識したと話している。 趣味は音楽鑑賞、古代エジプト考古学、サンリオ、カフェ、絵画鑑賞、落語鑑賞、アンティーク調家具集め。 特技は歌、口笛。 バンドでボーカルをやっていた。 のバンド、のファン。 女性は普通に好きだが、性欲があまり無い。 ファーストキスは舞台上での男性芸人とのビジネスキス。 小学生の頃のあだ名はでかくてしゃべらないため「」だった。 小学校と中学校は人見知りで一言もしゃべらなかった。 現在も親に人見知りをする。 子供の頃からが好きだったが最初は特にお笑いをやろうとは思っておらず、中学生時代は部で活動、高校を卒業したら音楽の道に進もうと考えて、高校生時代からボーカルのレッスンも受けていた。 しかしそれでもお笑いの道に進んだのは、(ダウンタウン)の著書『遺書』を読んで「ホントに面白いヤツはクラスの人気者タイプではなく引っ込み思案な方」と言った一文に「僕もお笑いに向いているかも知れない」と思ったから。 に東京NSCに8期生として入学。 最初のネタ見せで講師から言われた感想は「お前、誰だ?」だった。 NSC卒業後、インターネットの相方募集の掲示板で知り合った相方と「 極東」と言うコンビを結成。 この時の相方に誘われて、10月、に3期生として改めて入学。 しかし同校入学後しばらくして極東は解散。 極東解散後、しばらくして「 魔女狩り」と言うコンビを結成。 しかしこの時の相方がファラオ曰く「子供的な精神」で、自分に相方をコントロールする自信が無かったと言い、ワタナベコメディスクール卒業後しばらくして解散した。 決勝当日は、みずほ()にプレゼントされた手作りの星のお守りを胸ポケットに入れていたおかげか、緊張せずにネタをすることができた。 酒に弱く 、居酒屋ではアイスコーヒーを頼む。 猫舌である。 『』()にも「猫舌芸人」として出演した。 手の平の皺が薄すぎて「がない」と言われたことがある。 現在生やしている髭は、コンビ結成1〜2年ほどから伸ばし始めた。 髭に眼鏡と言うスタイルはからにかけて活躍していたミュージシャンをイメージしているということで、理想は。 早い笑いにはついていけない方で、「これは面白いと思ったら、せっかくだから余韻に浸っていたい」「自分は笑いを理解するのが遅い方かも知れない」とも話している。 プライベートでは()と仲が良い。 カラオケではや、などを歌う。 緊張したりすると歯をカチカチ鳴らす癖がある。 来歴 [ ]• 新道が「よーいどん」のメンバーだった頃、東京・で行われたライブに誘われて出演した際に、ファラオと初共演。 その独特なキャラクターに新道が惹かれ「この人が相方なら、僕は面白い台詞を考え易い」と考え、共にピン芸人同士となっていた時期に、新道から誘って試しに結成したのが始まり。 コンビ名はでネタ合わせをしている時に、曲のリストに載っていた演歌歌手・の「馬鹿よ貴方は」という曲名から取った。 2014にて、認定漫才師50組に選出。 その後、第1回本戦サーキットで1位を取りサーキットランキング3位で 決勝進出。 これをきっかけに、同年暮れごろからオフィス北野所属となる。 2015年12月、スケジュールを1ヶ月勘違いするというハプニングが起きた。 2016年2月、第16回 日本芸能賞受賞。 2018年6月11日、オフィス北野を退所してサンミュージックに移籍。 芸風 [ ] 主に。 客と店員を演じるや、一つのテーマにそってファラオが荒唐無稽かつ淡々とボケ、新道がつっこむ漫才などがある。 スタイルはたくさん間をとることも多い。 ゆったりとしたテンポが多いが、結成初期の頃のネタは今より普通の速さだった。 ネタ作成は主に新道が行い 10本ほど作ってファラオに渡し、ファラオが読んだ上でどれをやるのか話し合って決めるのが主なネタ決定の流れだと言う。 ファラオからNGが出ることもよくあるという。 なお単独ライブなどでを演じることもあり、2015年のでは準決勝まで進出している。 「が好き」というネタがあり、DVD「馬鹿よ貴方は -第4回単独ライブ-」の発売記者発表で要にVTRで激励されたこともあるが 、平井はあくまでネタでいじらせてもらっただけで、素晴らしい俳優だとは思っているが実際にそこまで好きというわけではない。 なお、このネタが出来たきっかけは平井の日常で「要潤」という名前が頭から離れず、新道が「それならネタを書いてみたらいいかな」と思ったことから。 賞レースでの戦績 [ ]• 2014年 2014 決勝進出 Bブロック敗退• 2015年 キングオブコント2015 準決勝進出• 2015年 2015 8位• 2016年 キングオブコント2016 準決勝進出• 2016年 第37回 決勝進出 Aブロック敗退• 2016年 2016 準決勝進出 予選11位(準々決勝で敗退後GYAO! ワイルドカード枠で準決勝進出)• 2017年 2017 準々決勝進出• 2018年 2018 3回戦進出• 2019年 2019 準々決勝進出 出演番組 [ ] テレビ [ ]• ()- ファラオのみ(ナレーション) 過去のレギュラー出演 [ ]• (テレビ朝日、2017年4月3日 - 2017年10月17日)- レギュラー出演 過去の出演番組 [ ] バラエティ番組• (、2015年5月16日)ファラオのみ• じゃない(、2016年2月18日)新道のみ• (2018年4月1日、10月7日 、2019年4月7日 、TBS)初回で新道は永久追放。 以降、ファラオのみ ネタ番組• (、2014年12月14日)• (フジテレビ、2015年12月12日)• 有吉のお笑い大統領選挙2014冬(2014年12月29日)• 有吉のお笑い大統領選挙2015冬(2015年12月28日)• (、2015年3月15日)• ()戦績0勝1敗 最高261KB• 9レイジーだぜ。 チャレンジフェスティバル (、2015年11月1日)• (テレビ朝日、2015年12月6日)• 聖夜のネタ祭! お笑いクリスマスショー!! (TBS、2015年12月22日)• (日本テレビ、2018年11月18日)• (、2013年8月4日)• (日本テレビ、2014年11月26日)• (、2015年2月21日)• (、2015年3月12日)• (日本テレビ、2015年4月13日・8月31日)• (テレビ東京、2015年4月28日・5月5日)• (フジテレビ)• 平成教育委員会(2015年9月20日)• 平成教育委員会 夜間部(2016年4月8日)• (、2015年11月9日・16日・23日)ー ワンルームマンションにドミノ2万個並べる生活をしたらどうなる? (テレビ朝日、2016年1月26日)平井のみ• (テレビ朝日、2016年3月3日)平井のみ• (テレビ朝日)• 只今ブレイク中!!今年が大事芸人2016(2016年3月10日)ファラオのみ• 芸人体当たりシミュレーション(2016年4月8日,22日)ファラオのみ• (テレビ朝日、2016年4月11日)• (、2019年10月20日)ファラオのみ ラジオ [ ] 現在の出演 [ ]• 新道竜巳のごみラジオ(、2015年7月5日 - ) - 新道のみ。 毎週日曜日更新。 過去の出演 [ ]• ()- 2014年11月6日、2016年10月13日• (TBSラジオ) ウェブ番組 [ ]• Feat. ソニーミュージックオーディション(2018年3月28日 - 、) - MC• HEAVY METAL THUNDER!!! (2019年4月2日 - のチャンネルより)平井のみ出演 オリジナルビデオ [ ]• 馬鹿よ貴方は -第4回単独ライブ-()- 2015年4月24日• ぴんく-1ぐらんぷり(NYプロダクション、NYPRO-1)- 2016年4月29日) 主催ライブ [ ] ユニットライブ• 第一回 馬鹿よ貴方はトークライブ(2016年1月14日 東京・関交協ハーモニックホール) - 初トークライブ 出典 [ ] []• exciteニュース 2015年6月30日. 2016年4月11日閲覧。 東京スポーツ 2016年7月1日 19面「連載 馬鹿よ貴方はの正体・8」• exciteニュース 2015年6月30日. 2016年4月11日閲覧。 exciteニュース 2015年11月28日. 2016年3月25日閲覧。 2017年6月10日. 2018年4月24日閲覧。 2018年8月5日. 2018年8月5日閲覧。 2017年5月9日・5月16日号 p. 25 - 32特集「いま時代は「女性ピン芸人」だ! 」より• 新道竜巳の『女芸人研究室』 2016年7月12日. 2016年8月7日閲覧。 お笑いナタリー 2018年4月24日. 2018年5月24日閲覧。 2018年4月29日 24面「「馬鹿よ貴方は」新道竜巳 女芸人馬鹿売れ前夜」新道竜巳プロフィールより。 お笑いナタリー 2017年8月27日. 2017年9月9日閲覧。 - 2014年11月28日• (2016年3月25日閲覧)• GREE 2015年6月30日. 2016年3月25日閲覧。 NEWSポストセブン 2016年5月1日. 2017年2月24日閲覧。 お笑いナタリー 2016年5月25日. 2017年2月24日閲覧。 東京スポーツ 2016年6月30日 19面「連載 馬鹿よ貴方はの正体・7」• お笑いナタリー 2016年4月21日. 2017年2月24日閲覧。 東京スポーツ 2016年6月21日 19面「連載 馬鹿よ貴方はの正体・1」• 2015年4月29日. 2016年3月25日閲覧。 - 2014年12月9日• 2018年6月11日. 2018年6月11日閲覧。 東京スポーツ 2016年6月22日 19面「連載 馬鹿よ貴方はの正体・2」• 節記載の公式プロフィールより。 お笑いナタリー 2015年4月24日. 2016年3月25日閲覧。 「」 2016年1月5日. 2016年3月25日閲覧。 コンビ情報詳細 M-1グランプリ 公式サイト. 2020年6月8日閲覧。 TBS. TBSテレビ. 2018年10月7日閲覧。 Inc, Natasha. お笑いナタリー. 2019年4月10日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 TBSラジオ. 2020年6月2日閲覧。 Inc. , Natasha,. お笑いナタリー. 2018年4月1日閲覧。 デラべっぴん 2019年5月29日. デラべっぴんR. 2019年7月2日閲覧。 お笑いナタリー. 2016年4月25日. 2016年5月4日閲覧。 お笑いナタリー. 2016年4月21日. 2016年4月24日閲覧。 お笑いナタリー. 2015年12月24日. 2016年5月4日閲覧。 外部リンク [ ]• この項目は、・(これらの関連記事を含む)に関連した です。 ガミガミ• (、)• 菓子めたる• カチューシャ• カニササレアヤコ• グレムリン• (、)• 齋藤梓• (、棟田康介)• 下町ミュンスター• 第2PK• 滝多津子• チバハラ• ヒガ2000• 平岡大樹• ヒロイン• (、)• ホイップクリーム• (、)• マンマーレ• (、)• モンローズ• ゆきち• ラストライド• わにれんげ フリーアナウンサー.

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前提 [ ] 本稿の記述について [ ] これまで、ファラオの一覧は帝国時代に書かれたや、紀元前3世紀の歴史家の記した『』、の葬祭殿やに残されたファラオのリストなど、様々な過去の遺物を資料としてその調査研究が進められているが、これらの情報はいずれも断片的であり、相互に矛盾する点も多いため参考文献や資料によってその内容は大きく異なる。 本稿に記すファラオの一覧は特に脚注の無い箇所については基本的にエジプト考古学者が著した『』と - ジョン・E・モービー の『世界歴代王朝王名総覧』を元に書き起こし、補完情報や記述の異なる情報については別途脚注で出典・説明を加えるものとする。 また、資料の少ない第一中間期および第二中間期のファラオについては系図の復元が難しく、現在も議論が継続しているため、比較的新しい邦訳資料であるエイダン・ドドソンの『全系図付エジプト歴代王朝史』の記述も参考にする。 尚、一覧中の日本語表記ならびに英語表記に関してはの『』に倣った。 年代の分類について [ ] 年代の分類についてもファラオの一覧と同様、資料によってまちまちであり、本稿はクレイトンの分類を元にしている。 マネトはエジプトが統一されたと考えられる紀元前4000年期末からに征服されるまでの期間を30の王朝に分割しており、現代のエジプト史研究もそれが基礎となっている。 からのを、紀元前332年からのによる支配との時代をとする場合もある。 年代そのものについては、地中海文明とのつながりができたのの時代から確かなものであるとされており 、それ以前の年代は20年から200年の単位で誤差が生じている可能性があるとクレイトンは述べている。 初期王朝時代 [ ] 古代エジプトを統一した最初のファラオとされる。 は黎明期と呼ばれる紀元前3150年から3050年頃までの以前と、が終わる紀元前2686年頃までの二つに分けることができる。 黎明期はの各王朝(紀元前5000年頃から興ったの王朝)を統一した年代とされており、一般にはがその創始者であるとされる。 また、別の王として上エジプトので発見された儀礼用鉾(メイスヘッド)にサソリの絵と共に描かれた名前のわからないファラオ()がおり、この二人が同一人物なのかどうかは不明である。 さらに、マネトによればエジプトを統一したのはであるとしており、ナルメルやスコルピオンとメネスが同一人物なのかどうかについても結論が出ていない。 ナルメルの後継者として次の王となったのが王妃 ()との間に設けたとされるで、上下エジプトの統一王名(ネブティ名)として「メン」という名を持っている。 「メン」は「樹立された」を意味する言葉で、彼の建設した首都にもその名を見ることができる。 また、マネトの言う最初の統一王朝の王「メネス」とも通じることからホル・アハをメネスであるとする研究者も多い。 ホル・アハの後継となった(アトティス)の治世は、57年の長きに渡っているとされ、に作られたジェルの墓の周辺には300人以上の家臣の殉葬墓がある。 その後は(ワジ)が統治したとされるが、ジェルの王妃は、アビドスの墓の調査などからジェルとジェトの統治期間の間に単独または短期間の摂政政治を行った可能性が指摘されている。 ただし、マネトは女性が王位に就くことが認められたのは第2王朝のの時代以降であるとしている。 の時代には出土した象牙ラベルに「初めて東を懲らしめる」と記されており、アジア人との接触が確認できる。 (ミエビドス)の時代には王家は南北に分かれて大きく争った。 その後争いはおさまり、の治世に入るが、にあるの墓から出土した王名表()にはその名が載せられておらず、いくつかの出土品からアネジブの名を抹消していることなどから、セメルケトは王位の簒奪者であったとする説もある。 第1王朝の最後の王はであるが、マネトはその名をビエネケスとしており、その他にも統治を行った王が存在する可能性もある。 マネトは第2王朝は9人の王によって302年間統治されたとしている。 しかし、現存する他の史料や文献などから多くても第2王朝の王は6人、統治期間は200年弱であるというのが一般的な見解となっている。 、、の統治についてはほとんど知られていない。 6番目にセケムイブという名で即位したの時代には南北の勢力争いが再び激化し、内乱の時代となったとされている。 これはとの神話的対立の名の下に起こった争いで、セケムイブはセト派に肩入れし、そのホルス名をセト・ペルイブセンに改め、国家規模でホルス神信仰からセト神信仰への改宗が行われた。 第2王朝最後の王であったの前に、カセケムという名の王がいたとする場合もある。 一方でこの二人は同一人物でセト・ペルイブセンの時代に乱れた国土を統一したカセケムが「二つの力強いものの出現」を意味するカセケムイへと名を変えたとする説もある。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名 黎明期? イリホル? カー 前3150 - 3125年頃 - 前3125 - 3062年頃 ナルメル(ホルス名 前3062 - 3000年頃 ホル・アハ ホルス名 前3000 - 2999年頃 ジェル ホルス名 前2999 - 2977年頃 ジェト ホルス名 前2977 - 2951年頃 デン ホルス名 前2951 - 2925年頃 アネジブ ホルス名 前2925 - 2916年頃 セメルケト ホルス名 前2916 - 2890年頃 カア ホルス名 前2890 - 2847年頃 ヘテプセケムイ ホルス名 前2847 - 2808年頃 ラーネブ ホルス名 前2808 - 2761年頃 ニネチェル ホルス名 前2761 - 2753年頃 - 前2753 - 2733年頃 () - 前2733 - 2716年頃 セケムイブ ホルス名 前2716年頃 - 前2716 - 2686年頃 カセケム ホルス名 古王国時代 [ ] ギザの3大ピラミッド。 右から、、のもの。 大型で精緻なピラミッドの多くはに登場した。 を中心としてが確立された第3〜第6王朝の期間を と呼ぶ。 マネトによれば第3王朝は8人の王によって200年近い統治期間があったとされていたが、実際には5人の王によって紀元前2686年頃から2613年頃の統治期間であったとするのが有力となっている。 最も知られているのは2代目ファラオとなったで、後にエジプト文明の象徴ともなった大型建築物の創造に着手したことによる。 今日では、ジェセルがに築いたと周辺の葬祭複合体は世界最古の石造り建築物とみなされている。 古代エジプトを象徴する巨石建造物であるの造営が始められたのはの時代からで、に入ると技術の発展とともにその規模は増大した。 ファラオという地位の概念も時代を追う毎に変化を続け、次第に神格化していきホルス神の化身であるとされるようになった。 この考えは以降には太陽神の息子であるとされるようになった。 しかし王朝の版図が広がるにつれ、地方の官僚たちが力をつけるようになり、中央の統率力が弱くなっていく。 の頃には政治権力が分極化し、無政府状態となり、繁栄を極めた古王国時代は終わりを告げた。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名 前2686 - 2668年頃 サナクト ホルス名 前2668 - 2649年頃 ネチェリケト ホルス名 前2649 - 2643年頃 セケムケト ホルス名 前2643 - 2637年頃 カーバー ホルス名 前2637 - 2613年頃 カーヘジェト ホルス名 前2613 - 2589年頃 - 前2589 - 2566年頃 - 前2566 - 2558年頃 - 前2558 - 2532年頃 - 前2532年頃 - 前2532 - 2504年頃 - 前2504 - 2500年頃 - 前2500 - 2498年頃 - 前2498 - 2491年頃 - 前2491 - 2477年頃 - 前2477 - 2467年頃 ネフェリルカラー 前2467 - 2460年頃 - 前2460 - 2453年頃 - 前2453 - 2422年頃 ネウセルラー 前2422 - 2414年頃 メンカウホル 前2414 - 2375年頃 ジェドカラー 前2375 - 2345年頃 - 前2345 - 2333年頃 - 前2333 - 2332年頃 - 前2332 - 2283年頃 メリラー 前2283 - 2278年頃 メルエンラー 前2278 - 2184年頃 ネフェルカラー 前2184 - 2184年頃 ネムティエムサク 前2184 - 2181年頃 サプタハ 第1中間期 [ ] 第6王朝による統治が終わった頃よりエジプトは中央集権制が瓦解し、約140年の戦乱の時代、所謂 を迎えることとなる。 この時代の資料も非常に不明瞭な点が多く、具体的にどのようなファラオが存在したかについてはあまり判っていない。 は70人ほどのファラオからなったとマネトは記しており、またはアビドス王名表には17人の王の名が記されているが、実質的統治を行った王として裏付けのあるのは、のみとなる。 第8王朝崩壊後はヘラクレオポリスに興ったを創始したの一族によって一時全土が統一されたが、この統治は約30年で終了し、ヘラクレオポリスを拠点とするとテーベを拠点とするの対立の時代(南北朝時代)が始まる。 その後、第11王朝のによってエジプト再統一がなされ、混沌の時代はようやく終わりを告げた。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名? ネビイ ジェドカラー ケンドゥ テレルウ ペピセネブ ネフェルカミン 前2169 - 2167年頃 イビイ 前2167 - 2163年頃 前2163 - 2161年頃 ネフェルカウホル 前2161 - 2160年頃 前2160年頃? メリイブラー 前2140年頃? カーネフェルラー? ネブカウラー? 前2130年頃? 前2125年頃? - 前2075年頃? ワハカラー 前2075年頃? - 前2040年頃? 前2134年頃? 前2134 - 2117年頃 セヘルタウイ(ホルス名) 前2117 - 2069年頃 ウアフアンク 前2069 - 2060年頃 ナクトネブテプネフェル 中王国時代 [ ] によって南北王朝は統一を見せ、紀元前2060年ごろより が始まった。 以後、は1000年の間、エジプトの政治の中心として栄え、守護神アメンを信仰する国家がエジプトを支配した。 統一を成し遂げたの諸王は中央集権政治の再生を目指したがのクーデターによって倒れ、紀元前1991年ごろが成立した。 アメンエムハト1世は地方有力貴族に各地方知事の地位を与えて自由裁量権を認め、一方で首都をテーベからへと移し、王権復古のための経済的基盤の強化に着手した。 この時代には対外交易も活発になり、ビュブロス、クレタ、プント、シナイなどへしばしば通商隊が派遣されている。 また、などの領土拡大も試みられ、の時代には第2急湍地方まで領土を拡大している。 第12王朝最後のファラオとして統治したのは女王であったであるが、クレイトンはこの事実について「女性が王位継承したという事実は後継者に問題があった可能性がある」と指摘している。 その一方で、王権は徐々に形骸化し、末期には地方の貴族が再び力を保持し始める。 下エジプトではパレスティナ地域から移住してきた人々のコミュニティが形成され、やがてが興って東デルタ地域を支配したが、それも飢饉や疫病などに見舞われて半世紀程で衰退、その後は新たにエジプトに侵入したヒクソスがエジプト北部に生じた政治的な空白を埋める。 ヒクソスは積極的に支配を拡大し、と、その宗主下に追随する諸侯の連合であるを樹立した。 土着のエジプト人は第13王朝を解体して上エジプトに本拠を移し、を興した。 テーベを都とするこの政権はヒクソスとの共存を図り概ね成功していたが、しばしば激しい対立も起きており、前1600年頃には一時的にテーベを占領され、宗主権を認めざるを得ない状況にまで追い込まれている。 そのため断絶した前期の政権を第16王朝、ヒクソス撤退後に復興した後期の政権を第17王朝と呼ぶ場合もある。 この不安定な情勢はによってヒクソスが追放され、統一がなされる紀元前1570年ごろまで続いた。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名 前1802 - 1800年頃 セケムラークタウィ 前1800 - 1796年頃 セメンカラー 前1796年頃 前1796年頃? - 1793年頃? 前1795年頃? - 1792年頃? 前1792年頃? - 1790年頃? 前1790年頃 - 1788年? 前1788年頃? - 1785年頃? スアンクイブラー 前1785年頃 - 1783年頃? セメンカラー 前1783 - 1781年頃 ヘテプイブラー 前1780年頃 前1780 - 1777年頃 カーアンクラー 前1777年頃 前1777 - 1775年頃 アウイブラー 前1775 - 1772年頃 セケムラークタウィ 前1772 - 1770年頃 前1769 - 1766年頃 セドジェファカラー クタウィラー 前1765年頃 - 1761年頃 ウセルカラー セメンクカラー セヘテプカラー? - 前1745頃 メリイブラー 前1755年頃 - 1751年頃 セケムラー・セワジタウイ 前1751年頃 - 1740年頃 メンジワラー 前1740年頃 - 1730年頃 カーネフェルラー メルヘテプラー 前1717年頃 - 1712年頃 カーヘテプラー 前1712年頃 - 1701年頃 ワフイブラー 前1701年頃 - 1677年頃 ( メルネフェルラー 前1680年頃 - 1678年頃 前1678年頃 - 1675年頃 スアンクエンラー 前1675年頃 - 1672年頃 メルセケムラー 前1672年頃 - 1667年頃 スワジカラー 前1667年頃 - 1665年頃 メルカウラー セケムラー・スアンクタウイ スワジエラー メルシェプセスラー? アアセフラー 前1668年頃 - 1652年頃 マアイブラー 前1652年頃 - 1638年頃 マアイブラー 前1638年頃 - 1630年頃 メルウセルラー 前1630年頃 - 1610年頃 セウセルエンラー 前1610年頃 - 1570年頃 アウセルラー 前1570年頃? - 1560年頃? アケンエンラー 前1570年頃? - 1560年頃? 31 関連項目 [ ]• - において、ファラオの名前を囲む楕円のこと• () - ファラオは即位後、宗教的な称号など5つの名前を持つことになる。 (即位名)• (誕生名)- 生まれつき呼ばれる名 参考文献 [ ]• 編著『古代エジプトを知る事典』東京堂出版、2005年。 吉村作治監修、著『古代エジプト ファラオ歴代誌』、2006年。 笈川博一『古代エジプト - 失われた世界の解説』中公新書、1990年。 伊谷純一郎、小田英郎、川田順造、田中二郎、米山俊直監修『アフリカを知る事典』平凡社、1999年。 エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン 『全系図付エジプト歴代王朝史』 池田裕訳、東洋書林、2012年5月。。 ジョン・E・モービー 『世界歴代王朝王名総覧』 堀田 郷弘訳、東洋書林; 新訂版、1998年9月.

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矢作イズムを胸に活躍誓う田中一巧調教師

ファラオ 田中

前提 [ ] 本稿の記述について [ ] これまで、ファラオの一覧は帝国時代に書かれたや、紀元前3世紀の歴史家の記した『』、の葬祭殿やに残されたファラオのリストなど、様々な過去の遺物を資料としてその調査研究が進められているが、これらの情報はいずれも断片的であり、相互に矛盾する点も多いため参考文献や資料によってその内容は大きく異なる。 本稿に記すファラオの一覧は特に脚注の無い箇所については基本的にエジプト考古学者が著した『』と - ジョン・E・モービー の『世界歴代王朝王名総覧』を元に書き起こし、補完情報や記述の異なる情報については別途脚注で出典・説明を加えるものとする。 また、資料の少ない第一中間期および第二中間期のファラオについては系図の復元が難しく、現在も議論が継続しているため、比較的新しい邦訳資料であるエイダン・ドドソンの『全系図付エジプト歴代王朝史』の記述も参考にする。 尚、一覧中の日本語表記ならびに英語表記に関してはの『』に倣った。 年代の分類について [ ] 年代の分類についてもファラオの一覧と同様、資料によってまちまちであり、本稿はクレイトンの分類を元にしている。 マネトはエジプトが統一されたと考えられる紀元前4000年期末からに征服されるまでの期間を30の王朝に分割しており、現代のエジプト史研究もそれが基礎となっている。 からのを、紀元前332年からのによる支配との時代をとする場合もある。 年代そのものについては、地中海文明とのつながりができたのの時代から確かなものであるとされており 、それ以前の年代は20年から200年の単位で誤差が生じている可能性があるとクレイトンは述べている。 初期王朝時代 [ ] 古代エジプトを統一した最初のファラオとされる。 は黎明期と呼ばれる紀元前3150年から3050年頃までの以前と、が終わる紀元前2686年頃までの二つに分けることができる。 黎明期はの各王朝(紀元前5000年頃から興ったの王朝)を統一した年代とされており、一般にはがその創始者であるとされる。 また、別の王として上エジプトので発見された儀礼用鉾(メイスヘッド)にサソリの絵と共に描かれた名前のわからないファラオ()がおり、この二人が同一人物なのかどうかは不明である。 さらに、マネトによればエジプトを統一したのはであるとしており、ナルメルやスコルピオンとメネスが同一人物なのかどうかについても結論が出ていない。 ナルメルの後継者として次の王となったのが王妃 ()との間に設けたとされるで、上下エジプトの統一王名(ネブティ名)として「メン」という名を持っている。 「メン」は「樹立された」を意味する言葉で、彼の建設した首都にもその名を見ることができる。 また、マネトの言う最初の統一王朝の王「メネス」とも通じることからホル・アハをメネスであるとする研究者も多い。 ホル・アハの後継となった(アトティス)の治世は、57年の長きに渡っているとされ、に作られたジェルの墓の周辺には300人以上の家臣の殉葬墓がある。 その後は(ワジ)が統治したとされるが、ジェルの王妃は、アビドスの墓の調査などからジェルとジェトの統治期間の間に単独または短期間の摂政政治を行った可能性が指摘されている。 ただし、マネトは女性が王位に就くことが認められたのは第2王朝のの時代以降であるとしている。 の時代には出土した象牙ラベルに「初めて東を懲らしめる」と記されており、アジア人との接触が確認できる。 (ミエビドス)の時代には王家は南北に分かれて大きく争った。 その後争いはおさまり、の治世に入るが、にあるの墓から出土した王名表()にはその名が載せられておらず、いくつかの出土品からアネジブの名を抹消していることなどから、セメルケトは王位の簒奪者であったとする説もある。 第1王朝の最後の王はであるが、マネトはその名をビエネケスとしており、その他にも統治を行った王が存在する可能性もある。 マネトは第2王朝は9人の王によって302年間統治されたとしている。 しかし、現存する他の史料や文献などから多くても第2王朝の王は6人、統治期間は200年弱であるというのが一般的な見解となっている。 、、の統治についてはほとんど知られていない。 6番目にセケムイブという名で即位したの時代には南北の勢力争いが再び激化し、内乱の時代となったとされている。 これはとの神話的対立の名の下に起こった争いで、セケムイブはセト派に肩入れし、そのホルス名をセト・ペルイブセンに改め、国家規模でホルス神信仰からセト神信仰への改宗が行われた。 第2王朝最後の王であったの前に、カセケムという名の王がいたとする場合もある。 一方でこの二人は同一人物でセト・ペルイブセンの時代に乱れた国土を統一したカセケムが「二つの力強いものの出現」を意味するカセケムイへと名を変えたとする説もある。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名 黎明期? イリホル? カー 前3150 - 3125年頃 - 前3125 - 3062年頃 ナルメル(ホルス名 前3062 - 3000年頃 ホル・アハ ホルス名 前3000 - 2999年頃 ジェル ホルス名 前2999 - 2977年頃 ジェト ホルス名 前2977 - 2951年頃 デン ホルス名 前2951 - 2925年頃 アネジブ ホルス名 前2925 - 2916年頃 セメルケト ホルス名 前2916 - 2890年頃 カア ホルス名 前2890 - 2847年頃 ヘテプセケムイ ホルス名 前2847 - 2808年頃 ラーネブ ホルス名 前2808 - 2761年頃 ニネチェル ホルス名 前2761 - 2753年頃 - 前2753 - 2733年頃 () - 前2733 - 2716年頃 セケムイブ ホルス名 前2716年頃 - 前2716 - 2686年頃 カセケム ホルス名 古王国時代 [ ] ギザの3大ピラミッド。 右から、、のもの。 大型で精緻なピラミッドの多くはに登場した。 を中心としてが確立された第3〜第6王朝の期間を と呼ぶ。 マネトによれば第3王朝は8人の王によって200年近い統治期間があったとされていたが、実際には5人の王によって紀元前2686年頃から2613年頃の統治期間であったとするのが有力となっている。 最も知られているのは2代目ファラオとなったで、後にエジプト文明の象徴ともなった大型建築物の創造に着手したことによる。 今日では、ジェセルがに築いたと周辺の葬祭複合体は世界最古の石造り建築物とみなされている。 古代エジプトを象徴する巨石建造物であるの造営が始められたのはの時代からで、に入ると技術の発展とともにその規模は増大した。 ファラオという地位の概念も時代を追う毎に変化を続け、次第に神格化していきホルス神の化身であるとされるようになった。 この考えは以降には太陽神の息子であるとされるようになった。 しかし王朝の版図が広がるにつれ、地方の官僚たちが力をつけるようになり、中央の統率力が弱くなっていく。 の頃には政治権力が分極化し、無政府状態となり、繁栄を極めた古王国時代は終わりを告げた。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名 前2686 - 2668年頃 サナクト ホルス名 前2668 - 2649年頃 ネチェリケト ホルス名 前2649 - 2643年頃 セケムケト ホルス名 前2643 - 2637年頃 カーバー ホルス名 前2637 - 2613年頃 カーヘジェト ホルス名 前2613 - 2589年頃 - 前2589 - 2566年頃 - 前2566 - 2558年頃 - 前2558 - 2532年頃 - 前2532年頃 - 前2532 - 2504年頃 - 前2504 - 2500年頃 - 前2500 - 2498年頃 - 前2498 - 2491年頃 - 前2491 - 2477年頃 - 前2477 - 2467年頃 ネフェリルカラー 前2467 - 2460年頃 - 前2460 - 2453年頃 - 前2453 - 2422年頃 ネウセルラー 前2422 - 2414年頃 メンカウホル 前2414 - 2375年頃 ジェドカラー 前2375 - 2345年頃 - 前2345 - 2333年頃 - 前2333 - 2332年頃 - 前2332 - 2283年頃 メリラー 前2283 - 2278年頃 メルエンラー 前2278 - 2184年頃 ネフェルカラー 前2184 - 2184年頃 ネムティエムサク 前2184 - 2181年頃 サプタハ 第1中間期 [ ] 第6王朝による統治が終わった頃よりエジプトは中央集権制が瓦解し、約140年の戦乱の時代、所謂 を迎えることとなる。 この時代の資料も非常に不明瞭な点が多く、具体的にどのようなファラオが存在したかについてはあまり判っていない。 は70人ほどのファラオからなったとマネトは記しており、またはアビドス王名表には17人の王の名が記されているが、実質的統治を行った王として裏付けのあるのは、のみとなる。 第8王朝崩壊後はヘラクレオポリスに興ったを創始したの一族によって一時全土が統一されたが、この統治は約30年で終了し、ヘラクレオポリスを拠点とするとテーベを拠点とするの対立の時代(南北朝時代)が始まる。 その後、第11王朝のによってエジプト再統一がなされ、混沌の時代はようやく終わりを告げた。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名? ネビイ ジェドカラー ケンドゥ テレルウ ペピセネブ ネフェルカミン 前2169 - 2167年頃 イビイ 前2167 - 2163年頃 前2163 - 2161年頃 ネフェルカウホル 前2161 - 2160年頃 前2160年頃? メリイブラー 前2140年頃? カーネフェルラー? ネブカウラー? 前2130年頃? 前2125年頃? - 前2075年頃? ワハカラー 前2075年頃? - 前2040年頃? 前2134年頃? 前2134 - 2117年頃 セヘルタウイ(ホルス名) 前2117 - 2069年頃 ウアフアンク 前2069 - 2060年頃 ナクトネブテプネフェル 中王国時代 [ ] によって南北王朝は統一を見せ、紀元前2060年ごろより が始まった。 以後、は1000年の間、エジプトの政治の中心として栄え、守護神アメンを信仰する国家がエジプトを支配した。 統一を成し遂げたの諸王は中央集権政治の再生を目指したがのクーデターによって倒れ、紀元前1991年ごろが成立した。 アメンエムハト1世は地方有力貴族に各地方知事の地位を与えて自由裁量権を認め、一方で首都をテーベからへと移し、王権復古のための経済的基盤の強化に着手した。 この時代には対外交易も活発になり、ビュブロス、クレタ、プント、シナイなどへしばしば通商隊が派遣されている。 また、などの領土拡大も試みられ、の時代には第2急湍地方まで領土を拡大している。 第12王朝最後のファラオとして統治したのは女王であったであるが、クレイトンはこの事実について「女性が王位継承したという事実は後継者に問題があった可能性がある」と指摘している。 その一方で、王権は徐々に形骸化し、末期には地方の貴族が再び力を保持し始める。 下エジプトではパレスティナ地域から移住してきた人々のコミュニティが形成され、やがてが興って東デルタ地域を支配したが、それも飢饉や疫病などに見舞われて半世紀程で衰退、その後は新たにエジプトに侵入したヒクソスがエジプト北部に生じた政治的な空白を埋める。 ヒクソスは積極的に支配を拡大し、と、その宗主下に追随する諸侯の連合であるを樹立した。 土着のエジプト人は第13王朝を解体して上エジプトに本拠を移し、を興した。 テーベを都とするこの政権はヒクソスとの共存を図り概ね成功していたが、しばしば激しい対立も起きており、前1600年頃には一時的にテーベを占領され、宗主権を認めざるを得ない状況にまで追い込まれている。 そのため断絶した前期の政権を第16王朝、ヒクソス撤退後に復興した後期の政権を第17王朝と呼ぶ場合もある。 この不安定な情勢はによってヒクソスが追放され、統一がなされる紀元前1570年ごろまで続いた。 王朝名 在位(年) 王名(英字表記) 即位名 前1802 - 1800年頃 セケムラークタウィ 前1800 - 1796年頃 セメンカラー 前1796年頃 前1796年頃? - 1793年頃? 前1795年頃? - 1792年頃? 前1792年頃? - 1790年頃? 前1790年頃 - 1788年? 前1788年頃? - 1785年頃? スアンクイブラー 前1785年頃 - 1783年頃? セメンカラー 前1783 - 1781年頃 ヘテプイブラー 前1780年頃 前1780 - 1777年頃 カーアンクラー 前1777年頃 前1777 - 1775年頃 アウイブラー 前1775 - 1772年頃 セケムラークタウィ 前1772 - 1770年頃 前1769 - 1766年頃 セドジェファカラー クタウィラー 前1765年頃 - 1761年頃 ウセルカラー セメンクカラー セヘテプカラー? - 前1745頃 メリイブラー 前1755年頃 - 1751年頃 セケムラー・セワジタウイ 前1751年頃 - 1740年頃 メンジワラー 前1740年頃 - 1730年頃 カーネフェルラー メルヘテプラー 前1717年頃 - 1712年頃 カーヘテプラー 前1712年頃 - 1701年頃 ワフイブラー 前1701年頃 - 1677年頃 ( メルネフェルラー 前1680年頃 - 1678年頃 前1678年頃 - 1675年頃 スアンクエンラー 前1675年頃 - 1672年頃 メルセケムラー 前1672年頃 - 1667年頃 スワジカラー 前1667年頃 - 1665年頃 メルカウラー セケムラー・スアンクタウイ スワジエラー メルシェプセスラー? アアセフラー 前1668年頃 - 1652年頃 マアイブラー 前1652年頃 - 1638年頃 マアイブラー 前1638年頃 - 1630年頃 メルウセルラー 前1630年頃 - 1610年頃 セウセルエンラー 前1610年頃 - 1570年頃 アウセルラー 前1570年頃? - 1560年頃? アケンエンラー 前1570年頃? - 1560年頃? 31 関連項目 [ ]• - において、ファラオの名前を囲む楕円のこと• () - ファラオは即位後、宗教的な称号など5つの名前を持つことになる。 (即位名)• (誕生名)- 生まれつき呼ばれる名 参考文献 [ ]• 編著『古代エジプトを知る事典』東京堂出版、2005年。 吉村作治監修、著『古代エジプト ファラオ歴代誌』、2006年。 笈川博一『古代エジプト - 失われた世界の解説』中公新書、1990年。 伊谷純一郎、小田英郎、川田順造、田中二郎、米山俊直監修『アフリカを知る事典』平凡社、1999年。 エイダン・ドドソン、ディアン・ヒルトン 『全系図付エジプト歴代王朝史』 池田裕訳、東洋書林、2012年5月。。 ジョン・E・モービー 『世界歴代王朝王名総覧』 堀田 郷弘訳、東洋書林; 新訂版、1998年9月.

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