中森 明菜 現在 何 し てる。 2020中森明菜の今何してる?現在は結婚してる?相手は誰?収入いくら?|消えた有名人今現在の画像管理システム

中森明菜の現在(2020年)について調査!画像はあるのかな?

中森 明菜 現在 何 し てる

中森明菜といえば無期限の芸能活動休止… 中森明菜さんといえば、2010年に無期限の芸能活動休止を発表したことで、当時は大変話題になっていました。 気になる芸能活動休止の原因は、 うつ病や 摂食障害などです。 あれほど活躍していた昭和の歌姫が、なぜそこまで落ちぶれたのか? その最たる理由は、 近藤真彦さんとの熱愛事情に隠されていました。 マッチの部屋で左腕を切る ちょっとありえないですけど…ウソみたいなホントの 実話です。 世代の方だったら、この事件を今でも鮮明に覚えていたはずです。 以下、参考文ですけど、 1989年7月11日夜、東京・六本木の自宅マンションに帰った近藤真彦(54)は全身の血が凍り付いたのではないか。 浴室に恋人の明菜が血まみれで倒れていたのだから。 明菜は左腕の内側を刃物で切っていた。 近藤の自宅で命を絶とうとしたのである。 近藤は24歳で、明菜は23歳。 ともに人気アイドルだったので、空前の騒ぎとなった。 引用:デイリー新潮 当時、付き合っていた彼氏(近藤真彦さん)の自宅で 自殺未遂を犯したということです。 動機については、• 所属事務所「研音」との不協和音• 家族問題 当時このような理由がクローズアップされていましたけど、 実際は近藤真彦さんへのダメージを和らげるための配慮だったようです。 つまり、中森明菜さんの体調不良の最たる原因は近藤真彦さんだったんです。 中森明菜の初恋の相手が近藤真彦!? ちょっとウソみたいな話ですけど、 実話です。 今からこの事実について、丁寧に解説していきます。 まず、中森明菜さんは16歳の時に出場したオーディション番組『スター誕生! 』合格を機に、17歳から芸能活動を行っています。 当時、スマートフォンどころかガラケーもなかった時代です。 なので好きな人と頻繁に連絡を取ることなどできませんし、それこそ会えたことが運命みたいな時代でしたので、それこそ老若男女問わず、皆が一途な恋愛を楽しんでいました。 もちろん、中森明菜さんも一般人のようにピュアでしたし、当時売れまくっていたこともあって、アイドルの間でも恋愛という行為を相当シビアに捉えていたようです。 そんな時代に、同じく売れまくっていた近藤真彦さんに対して恋心を抱き、いつしか2人は結ばれるようになりました。 ただ、当時の近藤真彦さんはめちゃくちゃモテていましたので、色んな人から恋のアタックを受けていたのは有名ですし、その中には中森明菜さんがライバル視していた 松田聖子さんも含まれていました。 中森明菜さんは、日に日にモテまくる近藤真彦さんに対して嫉妬していきます。 近藤真彦さんとの関係がぐらぐらと揺れ動いていることに苛立ち、さらに松田聖子さんの影も気になり始めて、最終的には溜まっていたストレスが爆発して自殺未遂を図りました。 実際、近藤真彦さんと松田聖子さんはニューヨークで密会しており、やはり明菜ちゃんの心の傷は相当なものだったと想像できます。 その後は近藤真彦さんとの関係も終わり、中森明菜さんはメディアの前に一切姿を見せなくなりました。 奇跡的に2014年の大晦日の「紅白歌合戦」(NHK)から活動を再開したものの、それ以降は目立った活動は行っていない様子です。 中森明菜の彼氏について 中森明菜さんの過去を調べていると、恋愛に酔いしれては振り回されるような人生を送っていることがよくわかります。 過去にド派手な恋愛と騒動を繰り広げているので、今は積極的に恋愛などしていないと予想していましたが、調べてみるとやっぱりそんな感じでした。 ボーイフレンドといえば、一時期話題になっていたマネージャーや神主ぐらいで、その後はこれといった噂を一つも聞きません。 つまり、今現在は 彼氏いないとみて、まず間違いないです。 それこそ、近藤真彦さんとの恋愛で一生分のエネルギーを使い果たし、騒動後の会見を終えたところで、もう燃え尽きてしまったのではないか?と言われています。 なので、当たり前ですけど中森明菜さんはまだ独身です。 結婚していません。 中森明菜って現在何やってんの? 波乱万丈な人生を歩んできた中森明菜さんですけど、まだまだ50代です。 中森明菜さんを最後に目撃したのは、それこそ2014年の「紅白歌合戦」ですけど、その後は一体どんな仕事を行いながら生計を立てているのか? とても気になったので、ちょいと調べてみました。 まず中森明菜さんの現在の収入源を整理してみると…• 年1回のディナーショー• CDやアルバム、カラオケなどの印税• 明菜ちゃんのグッズ だいたいこんな感じに収まります。 今から1つずつ解説していきます。 年1回のディナーショー開催!? 2014年の復帰後、メディアへの露出はなくなったものの、2016年に行ったディナーショーを皮切りに、現在は毎年のようにディナーショーを行っています。 テレビで紹介されることもない完全シークレットなショーで、一部のファンだけがこぞって知るディナーショーですね。 デビュー35周年となる2017年は、14都市18公演を行い、 じつは今でも精力的に活動していたんです。 気になるチケット代金は3万6000円〜5万円と激高ですが、明菜ちゃんなので即日完売するようです。 「年1度しか見られない彼女のディナーショーはプラチナチケット。 オークションサイトでは最高13万円で取引されていた」(同前) あれだけメディアやテレビの前に姿を現さないので、とんでもない金額で落札されるんですね。 ただし、中森明菜さんのディナーショーは臨場感に欠ける部分も多いようで、バックダンサーなどは1人もおらず、中森明菜さんが1人でカラオケを熱唱しているようだと、ちょっとヒドイ意見も聞いたりします。 ちなみに、ディナーショーでは明菜ちゃんのグッズも販売されており、バスローブが2万1000円だったり、パンフレットが5000円もするようで、とにかく高額商品のオンパレードみたいです。 とはいっても、 2017年末のディナーショー以来、中森明菜さんはまた表舞台から姿を消しました。 2018年は活動した痕跡が全くと言ってよいほど見つかりませんでしたし、中森明菜さんの公式サイトをチェックしても何も更新されていないままです。 このペースでいくと、もうディナーショーは開催されないのではないか?と噂されており、そうなるとますます中森明菜さんを目撃できるシーンも少なくなります。 ただこの危うくてちょっとミステリアスな感じが、さらに我々のようなファンの心を掴んでいるのも事実で、この先がわからない人物だからこそ、いつまでも追いかけたくなりますよね? 中森明菜にテレビ出演のオファーがない理由 過去に色々とあっとはいえ、そろそろテレビ出演してもおかしくない時期なのではないか!? 「明菜ちゃん、そろそろテレビに出てくれー!!」 こんな風に心から願っているファンも多いでしょう。 ただ、中森明菜さんがテレビになかなか出ない理由を調べていると、 ある興味深い記事を発見しました。 「昔からのイメージあるでしょ私。 性格が悪いとか。 ワガママ言うとか。 ……ドタキャンするとか(笑)。 そんなイメージだから(テレビ出演の話が)来ないんです。 『呼んでドタキャンされたらたまったもんじゃないから呼べない』って思われているみたいですよ。 残念でしたね。 私は全然行く気満々なんだけどね」 引用:文春オンライン コレは、 中森明菜さんご自身の 発言 なんです。 これをどう捉えるか?ですけど、あながち間違っていないはずです。 実際、中森明菜さんはワガママですし、周りのスタッフをいつも困らせているのは昔から有名です。 テレビ局側も「出演させれば視聴率は取れる」とわかっていながらオファーしないのは、周囲の人たちに迷惑をかけたり、それこそドタキャンする可能性が高いからでしょう。 テレビでドタキャンって生放送以外の番組でも相当なダメージを食らうと聞きますし、それこそ生放送でバックレたりすると、テレビ局側も一瞬で信用を失うので、もう怖くてオファーできないのでしょう。 中森明菜の孤独はいつまで続くのだろうか… 某関係者の証言によれば、 「またコントロールできない状態になっている。 日本と海外を往き来しているようだ」(元レコード会社幹部) このように側近の方でさえもコントロールできない状態が続いているようで、ぷらっと海外に出かけているようです。 2019年5月、妹の明穂さんが52歳の若さで病死したことを一部の週刊誌が報じていましたけど、結局は通夜や葬儀に中森明菜さんが姿を見せることはなかったようです。 「明菜の孤独はいつまで続くのだろう…」という記事を見かけましたけど、ホントにいつまで続くのでしょうか? ただこれだけ孤独なのに、中森明菜さんは相変わらず稼いでいると噂なんです。 中森明菜の収入がヤバイ… 今ではテレビに出演することもなければ、ディナーショーも中止しており、完全に芸能活動をストップしている状態ですけど、そんな状況下でも中森明菜さんはのんびりと暮らしていけるんです。 まず、中森明菜さんには楽曲の 印税収入が入るからです。 あれだけ売れに売れまくっていたので、今でも根強いファンを中心にカラオケなどで歌われていますから、印税だけで相当な収入を得ていることが容易に想像できますよね? JOYSOUNDが出している年間アーティスト別カラオケランキングでは、相変わらず中森明菜さんが1位のようですし、つまりバンバン印税が入っているんです。 またファンクラブの会員料も凄いんです。 年会費:6,000円• 推定会員数は5,000人 つまり、ファンクラブの収入だけで軽く3,000万円に到達します。 楽曲の印税に加えてDVDの印税やパチンコ台のイメージキャラクターなどの収入も加えると、 軽く1億円は超えます。 これにディナーショーを開催すると…• 1公演あた500人ぐらい• 1人4〜5万円• 2017年は14都市18公演 1人あたりの単価を4. 5万円で計算すると 4億です。 もちろん売上ですけど、そこから経費や人件費を引いても軽く1億ぐらいは中森明菜さんの手元に残るはずです。 まとめると… たった年1回ディナーショーを開催するだけで、少なく見積もっても年収2億円はあるわけです。 少なく見積もっていますので、ディナーショー無しでもなんだかんだ2億円ぐらいありそうです。 さすが昭和の歌姫だけあって、稼ぐ額のスケールが違うことがよくわかったはずです。 たしかにこれだけポーンと稼げる方なので、中森明菜さんの芸能活動が消極的なのもよくわかりますよね? 中森明菜さんの今度の活動を予想すると、これからもひっそりと稼ぎ続けて表舞台には姿を現さないのではないかと感じます。 このミステリアスな感じがたまりませんので、今後も中森明菜さんを追っかけていきますし、また有力な情報を入手すればすぐに更新しますので楽しみにしていてください! ところで…中森明菜さんと同じく昭和に大活躍したアイドルといえばです。 アイドルの面影がないぐらいオバチャン化していると噂ですので、気になる人はを覗いてみてください。

次の

中森明菜の現在は?2020最新情報・近況や幻の芸名についても

中森 明菜 現在 何 し てる

本名同じ。 と並ぶの双璧として、数多くのヒットナンバーを世に送った。 生まれ、育ち。 定時制中退。 、コレクション、コンティニュー、N. C、楽工房を経てFAITH(ファイス)所属。 所属レーベルは、内の私設レーベル。 概要 [ ] 1981年7月11日、16歳の誕生日目前に出場したのオーディション番組『』合格を機に、とのレコード契約を締結。 1982年16歳時にシングル「」でデビューし、同年2枚目のシングル「」がヒット。 翌1983年には、「」「」などもヒット。 1980年代のアイドルとしてはと2強を競った。 以降も「」、「」など連続してシングルヒットを出し、1985年の「」と1986年の「」で2年連続となるを受賞した。 1980年代のシングル総売上げは年間ベスト50位以内のものに限っても932. 5万枚、年間50位以内ランクイン曲数は22曲と、どちらも当時の女性アイドル中で1位であった。 同じく1980年代、当時の女性アイドルの中で年間シングルオリコンチャート最高位の座は4回獲得している(1983年、1985年、1986年、1987年)。 女優としても、1985年1月公開の映画『』で主演を務めたのを始め、1992年には連続テレビドラマ『』()にとW主演。 その後も1998年の連続テレビドラマ『』(日本テレビ系)でと共にW主演するなど活動を広げている。 2002年にはユニバーサルミュージックに移籍し、カバー・アルバム『』を発表。 の第2弾として発売されたこのアルバムはヒットを記録する。 以降、『』、『』などカバー・アルバムのシリーズ作をリリースする。 2004年にはプライベートレーベル歌姫レコーズを設立した。 2010年10月、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。 それ以降メディア出演は元より、公の場へ一切姿を現していなかったが、2014年12月31日、に「スペシャルゲスト」として、のレコーディングスタジオから生中継で登場し、4年3か月ぶりに芸能活動の復活を果たした。 2015年1月には、シングル「」、カバーアルバム「」をリリース。 2020年現在はTV等のメディア出演をセーブしており、公の場へ姿を見せていないものの、アルバム作品の発売など音楽活動は意欲的に取り組んでいる。 来歴 [ ] 1965年 - 1981年 [ ] (40年)、に、6人兄弟・姉妹(2男4女)の5番目、三女として生まれる。 兄弟姉妹たちは、父の名前にちなんで全員が「明」の付く名前であり、中森自身も同様の命名を受けた。 なお、妹の(四女で末子。 2019年に死去。 )も後に芸能界入りしたが、短期間で引退している。 出生後、に移り住み幼少期を過ごす。 4歳から14歳の時には、教室「横山昭子モダンバレエスタジオ」に通っていた。 やがて、母の影響から歌手の夢を抱くようになり、の『』に幾度となく挑戦する。 1981年、『スター誕生! 』本選3度目の挑戦となった8月2日の放送(7月11日収録)で、中森はの「」を歌い、同番組の史上最高得点となる392点で合格する。 合格後、スカウトを受ける場となる決戦大会までのおよそ1か月間、でボーカルとダンスレッスンを受ける。 同年11月29日放送(11月11日収録)の決戦大会前の事前審査にあたる下見会を経て、12月6日放送(11月18日収録)の決戦大会で再び「夢先案内人」を歌唱。 合計11社のレコード会社や芸能プロダクションから獲得の意向を示すプラカードが上がった。 これを機に中森は、所属ととのレコード契約を決める。 その後、1982年2月に行われる初レコーディングに向け、自身での発声練習に加えて、ボーカル・トレーナーの大本恭敬のもと、週に1・2度ほどレッスンを積んだ。 1982年 - 1984年 [ ] 、に「」でデビュー。 1980年代のにはが付けられ、中森のキャッチフレーズは、「ちょっとエッチな 美新人娘 ミルキーっこ」であった。 同年7月、ファースト・アルバム『』を発売。 同作は週間アルバムランキングの10月4日付で最高位5位を記録。 続く第2弾シングル「」が、オリコン週間シングルランキングの10月18日付で最高位5位を記録し、同曲でブレイクする。 10月には、2枚目の『』を発売し、11月8日付の同社チャートで初の週間1位を獲得、74万枚を超えるセールスを記録する。 続いて11月に発売した3枚目のシングル「」は、11月29日付の同チャートで初の週間1位を獲得し、1983年の同社年間シングルチャートで8位を記録、約77万枚を売り上げる。 中森はデビュー初期の段階より、衣装・メイク・振り付けに自身がかかわり、楽曲制作においても積極的に意見を取り入れていく。 1983年、2月より自身初の全国を開催。 3月と8月には、『』、『』と通算3作目、4作目のスタジオ・アルバムを発売する。 『NEW AKINA エトランゼ』はの'83アルバムベスト10を獲得した。 12月には初の『』を発売し、オリコンで5週連続首位を獲得した。 歌手としての人気を着実に獲得するとともに、1983年の売上実績の女性部門で中森は首位にもなった。 1984年、5月にデビュー3周年目を記念した5枚目のスタジオ・アルバム『』を発売する。 同アルバムに収録され、中森の提案によりタイトル名が決定された通算7枚目のシングル「」は、1984年のオリコン年間チャートで9位を記録した。 10月にも6枚目となるスタジオ・アルバム『』を発売し、このアルバムからのシングルの「」と「」も、この年の同社年間チャートでトップテン入りし、それぞれ年間で10位と6位を記録した。 11月にはから楽曲提供を受けた10枚目のシングル「」をリリース。 アイドルから、への転機となったこの楽曲は、1985年の同社年間チャートで6位を記録した。 1985年 - 1989年 [ ] 1985年、1月公開の映画『』でと共に主演を務める。 3月、11枚目のシングル「」を発売。 この楽曲は、同年末に行われたにてを受賞し、この年のオリコン年間チャートで2位を記録した。 4月には7枚目のスタジオ・アルバム『』を発売する。 6月発売の12枚目のシングル「」では、新人の作家によるデビュー作を起用するなど 、作家のジャンルや有名無名にとらわれない楽曲提供を受ける。 この楽曲は同年の同社年間チャートで7位を獲得した。 8月、『』が8枚目のスタジオ・アルバムとしてリリース。 同作は第27回日本レコード大賞のを獲得した。 1986年、2月に14枚目のシングル「」をリリース。 この楽曲は1986年のオリコン年間チャートで2位を記録し、で前年に続き日本レコード大賞を受賞した。 これにより中森は、女性ソロ歌手として史上初の2年連続となる日本レコード大賞受賞を果たした。 4月にはデビュー曲「スローモーション」から「」までのシングル曲を収めたベスト・アルバム『』をリリース。 このアルバムは、第1回のThe Grand Prix Album of the Yearを受賞した。 5月に発売した15枚目のシングル「」は同年の同社年間チャートで7位を記録。 8月に発売した9枚目となるスタジオ・アルバム『』では、アルバムのプロデュースを自身で担当する。 以降、楽曲やアルバムのセルフプロデュース作品を発表し、アーティスト性を発揮していく。 12月には10枚目のスタジオ・アルバム『』を発売し、の優秀アルバム賞を獲得した。 1987年、3月に行われた1986年度第1回日本ゴールドディスク大賞でを受賞する。 同年4月、ドラマ『』で初主演を務めた。 8月発売の11枚目のスタジオ・アルバム『』では、全曲英語詞の楽曲に取り組む。 同年末には、のを1983年以来5年連続で受賞する。 さらに、この年発売したシングルの「」、「」、「」の3曲は、この年のオリコン年間シングルチャートでトップテン入りを果たし、それぞれ年間で2位、7位、6位を記録。 オリコンのには、歴代最多の4度目(1983年、1985年、1986年、1987年)となる首位を獲得した。 1988年、3月にシングル候補曲として制作されていた楽曲を集めた12枚目のスタジオ・アルバム『』をリリースする。 5月には21枚目のシングル「」をリリースし、オリコン週間ランキングで1位を獲得、これにより同チャートでの連続1位記録が15曲となった。 また、TBS系の『』でも1位を獲得し、同番組で1位週数69週を記録、番組史上最多回数となった。 加えて、この番組での最多1位獲得曲数も17曲の歴代1位で、「ベストテンの女王」の異名を持っている。 8月には、ら海外アーティストを起用した13枚目のスタジオ・アルバム『』を発売。 12月には、「DESIRE -情熱-」から「」までのシングル曲を収録したベスト・アルバム『』を発売し、売上枚数は80万枚を突破した。 こうした歌手としての記録や受賞を重ねるだけにとどまらず、中森のファッション性への評価も次第に高まり、同世代の女性達からの支持も得られる。 1989年、4月にシングル曲のみで構成されたデビュー8周年を記念したスペシャル・ライブを開催。 1989年7月11日、当時交際をしていたが住むマンションにて自殺未遂事件を起こし、芸能活動を約1年間休止する。 この間、7月25日には14枚目となるスタジオ・アルバム『』をリリースし、このアルバムはオリコンで3週連続1位を記録。 中森は、1982年からこの1989年の8年連続で同チャートでアルバム首位を獲得した。 11月にはAKINA INDEX-XXIII The 8th Anniversaryのライブ・アルバムとライブビデオとなる『』がそれぞれリリースされた。 このライブビデオは、'89ビデオ・オブ・ザ・イヤーで最優秀ミュージックビデオ賞を獲得する。 その後中森は、同年12月28日に新事務所設立(コレクション)を発表、デビュー以来所属していた芸能プロダクション研音から独立となり、12月31日には、近藤も同席し謝罪会見を行った。 1990年 - 1992年 [ ] 1990年7月、1年3か月ぶりに24枚目のシングル「」をリリースし、ファンクラブ(Milky HouseからTwo Callへ)を新たに構えることも伝えられた。 この楽曲は、オリコン週間シングルランキングの同年7月30日と8月13日付の通算2週で1位を獲得、同社年間チャートで6位を記録した。 これによって、自身が持つ同社年間チャートの10位内の曲数が通算13曲となり、ソロ歌手として歴代最多記録となった。 さらに、次作「」も同年11月19日付の同社チャートで週間1位を記録し、同チャートにおいて通算21曲の1位を獲得、女性アーティストでは歴代6位の記録となっている。 デビュー10周年目を迎えた1991年、3月に26枚目のシングル「」をリリース後、7月にスペシャル・ライブを開催した。 この年は、8月放送のドラマ『悪女A・B』の他、4本のテレビドラマに主演した。 また同年には、新事務所コンティニューに移籍した。 1992年、4月より自身初の『』(フジテレビ系、)にと共にダブル主演し、中森はダンサーの卵である月島カンナ役を演じる。 このドラマは最終回で、最高視聴率31. その後、新たにファンクラブ(QUATRE BAISER)を移すが、再び所属事務所のトラブルにより事務所と共に運営が行き詰まる。 また、音楽制作上の意見の相違によりデビュー以来所属していたを離れたが、移籍トラブルをはじめとしたスキャンダル報道(写真誌フォーカスでと密会等)なども相次ぎ不遇な時期を過ごす。 こうした中、この夏より新作の制作が行われていたものの、実際に中森のもとに届くことなく翌年まで持ち越される。 この年は新譜リリース実現に至らなかったが、歌手活動と並行し、7月に公開された映画『』で声優として出演するなど女優としても活動した。 1993年 - 1999年 [ ] 1993年、に所属レコード会社を移籍し、MCAがマネジメントの実質的な業務窓口も担う。 また、個人事務所NAPCを設け、5月には2年ぶり27枚目となるシングル「 ・ 」を発売し、9月には、昨年来制作していた15枚目のスタジオ・アルバム『』を4年ぶりにリリースした。 このアルバムの楽曲である「」はで最高順位3位を記録し、翌年にはシングルカットされた。 また1994年3月24日には、自身初の『』も発売する。 同作は批評家から肯定的評価を受け、歌手としての新境地を開拓する。 その後同作はシリーズ制作される。 同年12月にはにて、同カバー・アルバムを中心としたスペシャル・ライブツアーを開催した。 かねてより大ホールではない小規模でのステージを希望していた中森の意向がこのライブで実現された。 1995年、7月に16枚目のスタジオ・アルバム『』をリリース。 セルフプロデュースで制作を開始して以来、同作は、楽曲制作からボーカル録音直前までの制作作業のほとんどをスタッフに委ねる試みとなった。 11月には、プロデュースによる32枚目のシングル「」をAKINA名義でリリースした。 1996年、30歳を機に開催の意向をファンに語っていた中森は、5月に自身初となるディナーショー・ツアーを開催する。 同年8月にはフル・プロデュースを受けた33枚目のシングル「」をリリース。 12月にもディナーショー・ツアーを開催し、この年以降、年末ディナーショーを開催していく。 さらにこの時期には、ファンクラブ Alteracion の再開も伝えられた。 1997年、3月に17枚目のスタジオ・アルバム『』を発売し、新たな歌唱法に挑んだというこのアルバムを携え、全国コンサート・ツアーを5月より開催した。 このコンサート・ツアーは1988年に行われたツアー以来9年ぶりであった。 1998年、MCAビクターからへ所属レコード会社を移籍。 1月には日本テレビ系の連続テレビドラマ『』と共にW主演。 2月には同ドラマのテーマソングで移籍第1弾となった35枚目のシングル「」をリリース。 6月には18枚目のスタジオ・アルバム『』の発売と同作を引っ提げた同名のツアーを開催した。 1999年1月、前年に続き、日本テレビ系の連続テレビドラマ『』で主演を務め、同ドラマのテーマを歌った38枚目のシングル「」を発売する。 12月には19枚目のスタジオ・アルバム『』を発売した。 この発売の後、中森はガウスエンタテインメントを離籍した。 2000年 - 2004年 [ ] 2000年、音楽プロダクション楽工房と契約し、現個人事務所FAITH、現公式ファンクラブFAITHWAYを発足。 前年に見舞われたトラブルを整理した末、マネジメントを一新。 芸能活動の基盤を整える。 前年末から虚実ないまぜのゴシップが流れ、所属レコード会社との契約が決定していない状況にあったが、中森は「曲でもコンサートでもいいものを届けたい気持ちが先に立っちゃうんです。 それには、スタッフと色々悩みながら作り上げていく過程が大切。 そうすれば結果がどうであれ、一緒に作ったという土台は残るでしょ」とコメント。 こうして心機一転を図り、5月には、2年ぶり、自身初となるバラードコンサート・ツアー中森明菜2000 〜21世紀への旅立ち〜を開催した。 デビュー20周年目を迎えた2001年、5月に内の easeにて、40枚目のシングル「」をで先行リリースする。 6月からは20周年記念ツアーの第1弾としてを開催した。 2002年、デビュー満20周年となったこの年、契約していた楽工房から現所属事務所FAITHにマネジメント業務を移し、現所属レコード会社のに移籍する。 同年3月20日、移籍第1弾カバー・アルバム『』を発売。 以降、複数のカバー・アルバム企画を発表していく。 5月には移籍後初の41枚目となるシングル「」と20枚目のスタジオ・アルバム『』の発売に、このアルバムを引っ提げた20周年記念ツアーの第2弾としてを開催した。 その後12月31日に行われた『』に出場し、同月に発売したベスト・アルバム『』バージョンの「」を披露、14年ぶりの紅白出場であった。 2003年、バラード集となった21枚目となるスタジオ・アルバム『』を5月にリリース。 中森が4曲作詞している。 8月2日には、台湾の音楽祭である第14回にプレゼンターとして出演、デビュー以来初訪台となった。 12月にはカバー・アルバムの3部作の最後となった『』をリリース。 この歌姫シリーズは最終的に累計で100万枚を記録したと発表された。 2004年、5月にユニバーサルミュージック内の私設を設立し、同レーベルより43枚目のシングル「」を発売する。 2005年 - 2009年 [ ] 2005年、7月よりの(450席)にてスペシャル・ライブツアーを開催。 カバー・アルバム歌姫シリーズである『歌姫』、『-ZEROalbum- 歌姫2』、『歌姫3 〜終幕』の3作を中心に構成され、同シリーズを締め括るライブとなった。 2006年、デビュー25周年目。 4月より日本テレビ系の連続テレビドラマ『』に出演。 自身にとって7年ぶりの連続テレビドラマ出演となる。 また、同ドラマのテーマ曲として46枚目のシングル「」を5月にリリースした。 6月には、3年ぶりとなった22枚目のスタジオ・アルバム『』を発売し、同作を携えたツアーも開催した。 さらに同月には、パチンコメーカーから自身をモチーフとしたパチンコ台『』が導入され、ヒット機となる。 2007年、デビュー満25周年。 1月にカバー・アルバム歌姫シリーズのベスト・アルバム『』をリリース。 同作は、同年1月29日付のオリコン週間アルバムランキングで『Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド』以来4年ぶりにトップテン入りする。 6月には、自身初となる楽曲をカバーしたアルバム『』をリリースし、こちらも同チャートでトップテン入り、でを受賞した。 12月31日には、初の限定・ディナーショーAKINA NAKAMORI 25th ANNIVERSARY COUNT DOWN DINNER SHOW 2007-2008を開催した。 2008年、MCAビクター、ガウスエンタテインメントに所属していた1990年代に発表した楽曲を総括したベスト・アルバム『』を2月にリリースする。 3月には、2007年度第22回でを受賞した。 2009年、カバー・アルバム『』、『』、3年ぶり通算23枚目のスタジオ・アルバム『』と6月から8月にかけて3か月連続でアルバムをリリースする。 また、8月より、3年ぶりのスペシャル・ライブツアーを行った。 このライブは、カバー・アルバムフォーク・ソングシリーズの『』、『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』の2作を中心に構成され、2005年に行われたEmpressライブに続く第2弾として開催された。 NHK・(第102・103回)に2009年8月12日、19日の2週連続で出演。 9月には3年ぶり47枚目となるシングル「」を発売した。 2010年 - 2013年・芸能活動休止 [ ] 2010年、7月13日にパチンコ台の第2弾となる『』(大一商会)の9月導入が発表された。 加えて、この『CR中森明菜 歌姫伝説〜恋も二度目なら〜』のために書き下ろされた楽曲「」が、48枚目のシングルとして自身初のでリリースされた。 同年10月28日、体調不良により当面芸能活動の無期限休止を発表した。 この発表直後の2010年12月22日には、フジテレビ系音楽番組『』に中森が出演した際の映像をまとめた『』が6枚組のDVD-BOXで発売された。 2011年12月15日、TBS系で放送された音楽番組『ザ・ベストテン』の出演映像を収録した5枚組DVD-BOX『』が、デビュー満30周年を記念し翌年に発売されることを発表、2012年3月28日に発売された。 またこの発表にあたり、活動休止中にある中森直筆によるメッセージも公開された。 2014年、ベストアルバム発売・紅白出場 [ ] 8月6日、ワーナーとユニバーサル時代の曲が収録された2種類のオールタイム・ベストアルバム『』と『』が同時発売される。 新曲の「SWEET RAIN」はオリジナルに、「恋の奴隷」と「男と女のお話」はカヴァーの方にそれぞれ収録されている。 同年、11月15日NHK・第320回に「〜歌姫伝説〜」と題して放送 、、にサプライズゲストとして登場し、新曲『Rojo -Tierra-』を披露。 4年2か月振りに歌手活動を再開した。 2015年 - 2017年・活動再開 [ ] 2015年1月21日に先行配信されていた楽曲『Rojo -Tierra-』をDVD付・通常盤の2形態でリリース。 「月華」以来20年4か月ぶりにオリコン週間シングルトップテン入りする。 2015年1月28日、カバーアルバム「歌姫」シリーズの最新作『』をリリース。 オリコン週間ランキング5位を記録した。 9月30日、『unfixable』(初回限定盤DVD付と通常盤)をユニバーサルから発売。 「unfixable」(アンフィクサブル)は全編英語詞のシングル。 カップリング曲「雨月」は日本語詞。 』もユニバーサルから発売。 デビュー以来、NHKの音楽番組「レッツゴーヤング」「ヤングスタジオ101」に出演した映像や、これまで8回出演したNHK紅白歌合戦の映像が収録されている。 12月30日、アルバム『』(初回限定盤DVD付と通常盤)をユニバーサルから発売。 2014年夏から1年かけて制作された6年ぶりのオリジナルアルバム。 今年リリースされた4曲のほか新曲『』,『kodou』,『Re-birth』など11曲と、ボーナストラック2曲が収録。 EDM、ラテン、バラードなど、この30年で培った実績と技の集大成であり、復帰後の自由で新しい創作方向を示す内容になっている。 2016年2月24日、シングル『』をユニバーサルから発売。 昨年末リリースされたアルバム『FIXER』に収録されている同名曲のシングルバージョン。 また、カップリング曲「ひらり-SAKURA-」は、アルバム『SHAKER』(1997年)収録の「桜(びやく)」以来、2度目の桜ソングである。 が作曲、ロックバンド・のが作詞を担当した。 2016年5月4日、5月1日のデビュー34周年記念日に合わせて7枚組DVDボックス『1994-2009 THE LIVE DVD COMPLETE BOX』がユニバーサルから発売。 1994年から2009年までに行われたライブ映像が収録されている。 またこれに先行して4月23日から30日まで角川シネマ新宿で上映会も行われた。 2016年7月13日、51歳の誕生日に合わせて『全世界1,000セット限定 中森明菜アナログセット』が歌姫レコーズから発売。 Amadana Musicの中森明菜バージョンプレーヤーと、歌姫レコーズ既出のシングル18タイトルをアナログ化したレコードがセットになっている。 シリアルナンバーNo. 1は中森明菜に贈呈された。 2016年11月30日、カバーアルバム(初回限定盤DVD付と通常盤)をユニバーサルからリリース。 山口百恵「謝肉祭」(1980年)、薬師丸ひろ子「ステキな恋の忘れ方」(1985年)、ポルノグラフィティ「サウダージ」(2000年)、小田和正「たしかなこと」(2005年)などポップス、ロックナンバー10曲が収録。 DVDは全曲歌唱映像で構成されている。 12月21日、カバーアルバム(UHQCD+アナログレコード)を発売。 11月30日のCD音源を高音質化したものと、アナログ専用に録音したものをセットにして限定生産された。 アナログレコードの収録曲はCDとは別で、山本リンダ「どうにもとまらない」(1972年)、Char「気絶するほど悩ましい」(1977年)、アンルイス「あゝ無情」(1986年)など6曲が収録されている。 また同年、7年ぶりにディナーショーを開催。 12月4日(ファンクラブ会員限定)を皮切りに、12月29日まで全国7都市、10会場にわたって行われた。 人物 [ ] スター誕生! [ ]• 『』テレビ予選3度目(1981年)の挑戦時、の「」を歌い合格した。 なお、2度目(1980年・中学3年時)の挑戦での「」を歌ったが、審査員のから「歌は上手だけど年齢から、でも歌ったらどうかしら? 」と酷評を受けた。 これに対し、「『スタ誕』では童謡は受け付けてくれないんじゃないんですか!? 」と抗議した。 中森は前年1979年・中学2年時にの「」で同番組に出場しており、その際にも松田に「年齢のわりには、大人すぎる」と、あしらわれ一蹴されている。 3回目の出場時、『スター誕生! 』チーフ・プロデューサーのは、番組スタッフの中には中森が常連の出場者であるため出場に難色を示す声も出たという。 しかし3回目の時の中森には、1・2回目の挑戦時以上に光り輝くものが見えた。 美しさの中にあるかげりを感じられ、強く推して出場させたことを語っている。 デビュー当時 [ ] 当初「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたようだが、本名でのデビューを希望し本人が拒否した。 なお、デビューに際し、より定時制へ編入するが、芸能活動専念により休学 後中退する。 クラスメイトには、、、らがいた。 中森がデビューした1982年はの当たり年で、この時期(1981年10月から1982年9月)にデビューしたアイドル達を総称して「花の82年組」または「花の57年組」と呼んだ。 同時期には、、、、、、、、、、、、(五十音順)らがデビューしている。 デビュー当時のキャッチフレーズは「ちょっとエッチな 美新人娘 ミルキーっこ 」。 このキャッチフレーズのため「明菜さんはエッチなんですか」と頻繁に聞かれたり、好奇の目で見られたりする原因となり、当時、苦痛だったと本人が語っている。 「エッチ」というのは卑猥な意味ではなく、少し背伸びした大人の雰囲気を出そうと思って事務所がつけたとされている。 なお、デビュー当時のプロフィール上では身長は160cm、血液型はA型。 体重は58kgほどあった。 音楽番組 [ ] 1982年9月20日、フジテレビ系音楽番組『』にセカンドシングル「」で初出演を果たす。 同期デビューの歌手がデビュー曲での番組出演を決めていくなか、デビュー曲「」での初出演は実現しなかったが、以降ヒット曲を記録し続け、同番組にはほぼ月1ペースでの出演を重ねたり、マンスリーゲスト制での出演も果たしている。 『夜のヒットスタジオ』の司会をしていたは当時、ヘアスタイルから服装に至るまで中森が自らプロデュース、コーディネートを行っていることを知り、番組内でそのセンスのよさを絶賛した。 同番組に出演するときには他の歌番組とは異なる特注の衣装で臨み、歌う際のセット・照明と調和するよう事前に綿密な打ち合わせを行うほどの入れ込みようであった。 また、芳村が中森の衣装コーディネートを特別に担当したこともある。 芳村が番組を勇退してまもなく同番組に出演した際、「真理さんに『明菜ちゃん、最近おしゃれしてる? 』と訊かれ、おしゃれをした。 真理さん見てますかー? 」と芳村に画面を通じて呼びかけた事もある。 が『』の司会を降板した回と芳村真理の『夜のヒットスタジオ』勇退の回の双方で、デビュー当時からいろいろと親しくしてもらった恩義と、これから番組で会う機会が無くなってしまうことを惜しみ、中森は涙を見せた。 2000年12月30日に放送された『ザ・ベストテン』の復刻版スペシャルでは、歌前に久米から応援の電話が入った。 「番組内でもほとんど会話という会話は交わしたことはないが、ちょっとした一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの。 僕と明菜さんはウマが合っていたと思う。 だから明菜さんが出る日はスタジオに行くのが楽しみだった」という内容で、中森自身も感極まっていた。 中森は『ザ・ベストテン』で、さまざまなアイデアやこだわりを持った美術や照明・セットに対抗し、勝負するかのように懸命に表現してきたが、番組や出演するタレントに対する愛情の深さと熱意を番組スタッフから強く感じていたという。 さらに、今のテレビでは熱意を感じられる番組は限られており、この時代を過ごせたことは幸せであったと出演当時を振り返っている。 女優として [ ]• 1985年、映画「」に出演。 近藤真彦とW主演。 歌手活動と並行して本格的に女優としても活動を開始。 ザ・ベストテン、1988年年間ベストテン9位にでランクインした際にお祝いで駆け付けたは「大人のムードを持ち、初主演映画から感のいい芝居をしている。 外国の女優ではのようなかわいさとすごさと大人っぽさなど色々な面を持っている人である」と称した。 、とW主演したテレビドラマ『』が最終回で31. 『』では初回ゲスト(犯人役)として出演(脚本のが大ファンであるという)。 音楽性 [ ] 中森は幼少期に、邦楽ではや、洋楽ではらを好んで聴いていたが、もともとの音楽のルーツについては、姉や兄たちがやを聴いていた影響としてを挙げている。 また、中森が最も影響を受けたアーティストについてはを挙げており、ドナの楽曲やボーカルのみならず、人生観など多くの面でのめり込んだと明かしている。 中森自身の作品については、すべてやの重低音を効かせていると語っている。 『少女A』『1/2の神話』『禁区』『十戒」などの初期の中森のイメージを決定づける曲を作詞したは、「中森自身は売れなかったデビュー曲『スローモーション』のようなバラードを好んでおり、『少女A』のレコーディングを激しく拒んだがプロデューサーが強引にレコーディングさせた」「『プレイバックPart2』のように捨てゼリフが生きるはずだと思い『少女A』を書いた」「「少女性」を売りにする松田聖子という圧倒的な存在がいたため、彼女に対する対立概念として「不良性」として明菜に詞を書いた」と述べている。 作品 [ ] 詳細は「」を参照 コンサート・ツアー ディナーショー・ツアー• (1983年)• RAINBOW SHOWER(1983年)• 逢いたい菜 逢えるか菜 中森明菜音楽鑑賞会(1984年)• (1985年)• (1987年)• (1988年)• (1997年)• (1998年)• 中森明菜 2000 〜21世紀への旅立ち〜(2000年)• (2001年)• (2002年)• (2003年)• AKINA NAKAMORI A-1 tour 2004(2004年)• (2006年) 1996年5月初公演。 同年12月開催以降、年末開催。 出演番組 [ ]• 8cmCD リリース・ノート. AKINA. 1995年11月1日. MVDD-10017. 2012年6月29日閲覧。 Miran:Miran名義:• 2012年6月29日閲覧。 エガワヒロシ. 2012年3月31日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年6月29日閲覧。 44-49• ユニバーサルミュージック合同会社. 2014年8月8日閲覧。 biography. ユニバーサルミュージック合同会社. 2011年7月22日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 2013年5月18日閲覧。 Listen Japan. 2013年5月18日閲覧。 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p. 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p. 38-39. 2014年12月31日. 2015年1月1日閲覧。 , p. , pp. 60-61• , pp. 121-144• 131-134• 134-140• 146• Nakamoriakina. com. 2011年9月28日閲覧。 2012年8月2日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 Nakamoriakina. com. 2011年9月28日閲覧。 WPCL-770〜3. (1983年) 中森明菜『Akina Milkyway '83 春の風を感じて』のツアー・パンフレット. MILKY HOUSE• ワーナーミュージック・ジャパン. 2011年12月31日閲覧。 ワーナーミュージック・ジャパン. 2011年12月31日閲覧。 2011年7月19日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月31日閲覧。 音楽出版社. 2011年12月31日閲覧。 第12回 中森明菜 デパートの屋上で「少女A」. 2001年12月16日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 「 今週の赤まる急上昇 中森明菜」『』第3巻第21号、、1984年5月25日、 141頁。 1 HITS 500 1968〜1985 (上) オリコンチャート1位ヒットソング集』クラブハウス、1998年11月1日、211、214-215、219、230、242、249、259、267、271、276、285頁。 レコード検定協議会 編「中森明菜」『』音楽出版社、2007年5月31日、135頁。 2012年2月16日閲覧。 2011年9月28日閲覧。 日本作曲家協会. 2011年7月19日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年1月21日閲覧。 音楽出版社. 2011年12月31日閲覧。 2011年5月15日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年1月13日閲覧。 Nakamoriakina. com. 2011年9月28日閲覧。 音楽出版社. 2011年12月31日閲覧。 1 HITS 500 1986〜1994 (下) オリコンチャート1位ヒットソング集』クラブハウス、1998年11月1日、14、115、132、184、192頁。 日本作曲家協会. 2011年7月19日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年1月21日閲覧。 過去の 『 レコード大賞 』 受賞者一覧. 2012年3月12日閲覧。 Nakamoriakina. com. 2011年12月31日閲覧。 ワーナーミュージック・ジャパン. 2011年12月31日閲覧。 2011年12月31日閲覧。 音楽出版社. 2011年9月28日閲覧。 『オリコン・ウィークリー』第8巻第51号、オリジナルコンフィデンス、1986年12月22日、 31頁、 通巻377号。 日本作曲家協会. 2008年1月27日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月31日閲覧。 オリコン. 2011年9月28日閲覧。 「 ドラマ初出演で見せたハツラツ演技スナップ集 ドラマチックだぜ!! 明菜」『』第6巻第15号、角川書店、1987年4月17日、 5-6頁。 ワーナーミュージック・ジャパン. 2011年9月28日閲覧。 2011年1月23日閲覧。 「1988年のシングル」『オリコン年鑑1989年版』、、1989年4月15日、5頁。 2011年12月15日. 2012年8月2日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月18日閲覧。 『オリコン・ウィークリー』第10巻第31号、オリジナルコンフィデンス、1988年8月1日、 11頁、 通巻459号。 ワーナーミュージック・ジャパン. 2011年12月31日閲覧。 , p. 135• ワーナーミュージック・ジャパン. 2011年9月28日閲覧。 」『ザテレビジョン』第9巻第33号、角川書店、1990年8月17日、 14頁。 1996年12月4日. 1997年2月9日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 8cmCD, CT リリース・ノート. 中森明菜. ワーナー・パイオニア. 1990年7月17日. WPDL-4173、WPSL-4173. 「TWO CALL」会報、vol. 1-4、1990年10月-1991年11月• 「Milky House」会報、vol. 33、1990年3月• 田井裕規 2007年2月21日. オリコン. 2010年8月31日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年10月1日閲覧。 Nakamoriakina. com. 2011年12月31日閲覧。 ワーナーミュージック・ジャパン. 2011年9月28日閲覧。 2013年6月6日閲覧。 97-98• 2011年8月31日. 2011年10月25日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年10月25日閲覧。 ドラまっぷプロジェクト「Part2 ドラマ別ロケ地探索 92年 素顔のままで」『』サンブックス、2000年3月4日、135頁。 2012年2月16日閲覧。 「ザ記録」『ザテレビジョン』第11巻、角川書店、1992年7月、 122頁。 「QUATRE BAISER」会報、vol. 1-2、1992年5月-11月• 中森明菜『』のアルバム・ノーツ [12cmCD]. UMCK-1149. キネマ旬報. 2011年9月28日閲覧。 MCAビクター MVCD-9. 「ザ記録」『ザテレビジョン』第12巻第44号、角川書店、1993年11月12日、 112頁。 「ザ記録」『ザテレビジョン』第12巻第45号、角川書店、1993年11月19日、 114頁。 8cmCD リリース・ノート. 「・」. 中森明菜. MCAビクター. 1994年3月24日. MVDD-10004. 1994年3月24日 中森明菜『』のアルバム・ノーツ [12cmCD]. MCAビクター MVCD-12. 音楽出版社. 2012年2月16日閲覧。 中森明菜(歌手)、(ナレーション) 2009年8月12日. 中森明菜・歌姫スペシャル 第1夜 テレビ番組. 該当時間: 5:35-5:55• 中森明菜(歌手)、武内陶子(ナレーション) 2009年8月19日. SONGS 中森明菜・歌姫スペシャル 第2夜 テレビ番組. NHK.. 該当時間: 15:38-15:47• 1995年3月24日 中森明菜『』のアルバム・ノーツ [VHS]. MCAビクター MVVD-7. 駒井達生「VIDEO HOT MENU」『』第7巻第6号、角川書店、1995年4月5日、 60頁、 通巻116号。 (夕刊) : 11面、4版. 1995年12月12日• 8cmCD リリース・ノート. 中森明菜. MCAビクター. 1996年8月7日. MVDD-10024. Altera-net. 1999年11月11日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年2月12日閲覧。 1996年12月18日 中森明菜『』のアルバム・ノーツ [12cmCD]. MCAビクター MVCZ-1002. 試聴記コメント. 音楽出版社. 2012年2月3日閲覧。 朝日新聞(夕刊) 朝日新聞社 : 7面、2版. 1997年4月15日• 水田静子「9年ぶりの全国ツアーで完全復活 中森明菜の愛と情熱」『JUNON』第25巻第9号、主婦と生活社、1997年9月1日、 140-142頁。 (1988年) 中森明菜『』のツアー・パンフレット. 「帰省 〜Never Forget〜」:• 8cmCD リリース・ノート. 「帰省 〜Never Forget〜」. 中森明菜. 1998年2月11日. GRDO-10. Altera-net. 1999年2月21日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年7月22日閲覧。 夕刊フジ. 産業経済新聞社 1998年6月22日. 1998年12月2日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月31日閲覧。 Altera-net. 1998年12月2日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月31日閲覧。 8cmCD リリース・ノート. 中森明菜. THIS ONE. 1999年1月21日. GRDO-21. 音楽出版社. 2011年12月31日閲覧。 夕刊フジ. 産業経済新聞社 2000年4月20日. 2001年2月24日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 「FAITHWAY」会報、vol. 1、2000年5月• 2000年11月10日 『』のアルバム・ノーツ [12cmCD]. UMCK-1004. 朝日新聞(夕刊) 朝日新聞社 : 13面、2版. 2000年5月6日• 2001年8月13日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 夕刊フジ. 産業経済新聞社 2002年6月4日. 2002年6月7日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 産業経済新聞社 2002年2月8日. 2002年2月12日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月26日閲覧。 夕刊フジ. 産業経済新聞社 2002年2月8日. 2002年6月6日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 2002年4月1日. 2002年12月15日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 2002年10月14日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月31日閲覧。 第53回. NHK. 2011年12月31日閲覧。 佐々友成; 戒能允 2006年1月11日. 中森明菜『』のアルバム・ノーツ [12cmCD]. UMCK-1200. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 2002年11月26日. 2002年12月1日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 日刊スポーツ新聞社 2003年5月1日. 2003年5月1日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年1月23日閲覧。 サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 2003年7月29日. 2003年8月10日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 『UF』、サイバーブレッド、2003年12月1日、 29頁、 2004年1月 7。 サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 2003年12月5日. 2003年12月19日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月31日閲覧。 オリコン 2007年1月23日. 2010年1月17日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年6月15日閲覧。 夕刊フジ. 産業経済新聞社 2004年4月22日. 2004年6月4日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 2005年6月22日. 2005年6月23日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 2006年8月13日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年1月28日閲覧。 サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 2006年4月10日. 2006年4月11日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 音楽出版社. 2011年12月31日閲覧。 視聴記コメント. 音楽出版社. 2012年1月8日閲覧。 ユニバーサルミュージック合同会社. 2012年6月10日閲覧。 PACHINKO VISTA. 2011年9月28日閲覧。 ニフティ. 2011年9月28日閲覧。 サンケイスポーツ. 産業経済新聞社 2007年6月27日. 2007年6月28日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年1月27日閲覧。 オリコン. 2011年9月28日閲覧。 日本作曲家協会. 2008年3月12日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年1月21日閲覧。 夕刊フジ. 産業経済新聞社 2007年12月11日. 2008年1月13日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 Nakamoriakina. com. 2008年5月9日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 音楽出版社. 2012年2月16日閲覧。 日本レコード協会. 2011年1月21日閲覧。 2009年8月26日. 2012年8月2日時点のよりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 日本テレビ放送網 2009年6月9日. 2012年7月4日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 ユニバーサルミュージック合同会社. 2012年6月10日閲覧。 音楽出版社. 2011年9月29日閲覧。 新機種『CR中森明菜 歌姫伝説〜恋も二度目なら〜』プレス発表会レポート(前編). 2010年7月13日. 2010年7月16日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 新機種『CR中森明菜 歌姫伝説〜恋も二度目なら〜』プレス発表会レポート(後編). 大一商会 2010年7月14日. 2010年7月17日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 Nakamoriakina. com 2010年7月13日. 2010年7月23日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 meVIEWsa radio 2010年10月28日. 2010年12月18日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 ナターシャ 2010年11月12日. 2012年10月1日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年9月28日閲覧。 オリコン 2011年12月15日. 2012年8月2日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月16日閲覧。 音楽出版社. 2012年9月28日閲覧。 2011年12月15日. 2011年12月16日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年12月16日閲覧。 リアルサウンド 2015年1月18日. 2015年1月22日閲覧。 オリコン 2015年1月27日. 2015年1月28日閲覧。 この楽曲は同月27日公開の映画「女が眠る時」のイメージソングとして採用されているため、ニューアレンジされての先行リリースとなった。 当初は7日間の予定であったが、ファンの熱望に応え3日間追加公演された。 129• , pp. 124-127• 124-125• , p. 146• , pp. 109-112• 131• 2005年1月24日• DVD 中森明菜 in 夜のヒットスタジオ. ユニバーサルミュージック合同会社. 2010年12月21日時点の [ ]よりアーカイブ。 2011年9月28日閲覧。 2010年12月22日 中森明菜『』のアルバム・ノーツ, pp. 2-3 [6DVD]. TBSテレビ2017年2月13日放送「〜オリコン1位の50年間〜」(第1弾)において、ゲスト出演した芳村の発言より。 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p. , pp. 102-104• 2001年11月18日. 2001年12月30日時点の [ ]よりアーカイブ。 2012年5月23日閲覧。 (2020年4月19日 NEWSポストセブン) 参考文献 [ ]• 追分日出子「中森明菜(歌手) -歌うことで癒してあげられる」『自分を生きる人たち』、2005年2月28日、89-101頁。 北島由記子 1993年11月10日. WPCL-770〜3. 中森明菜『気になる視線 私をつかまえて』、1982年12月15日。 中森明菜『本気だよ 菜の詩・17歳』、1983年5月1日。 編集部『中森明菜 心の履歴書 不器用だから、いつもひとりぼっち』麻布台出版社、1994年12月27日。 『別冊ザテレビジョン ザ・ベストテン 〜蘇る! 80'sポップスHITヒストリー〜』、、2004年12月、 ISBN。 関連項目 [ ]• - 妹。 2019年に死去。 - 容姿のモデルが中森であるといわれる。 外部リンク [ ]• - (2013年3月13日アーカイブ分)• - (2016年6月14日アーカイブ分)•

次の

中森明菜の2019現在の収入がすごい?画像や結婚はどう?自宅はどこ?

中森 明菜 現在 何 し てる

中森明菜の現在が気になる! さてさて、中森明菜さんの現在が気になるところですが、まずは比較的最近彼女の身に起こった大きな出来事を振り返ってみましょう。 具体的には、 うつ病や 摂食障害だったと言われています。 当時は「ついに芸能界引退か!?」などと囁かれていましたが、見事に病気を克服して2014年に芸能界復帰を果たしました。 しかも、紅白歌合戦の舞台で。 久しぶりに地上波で中森明菜さんを観た時は、冗談抜きでシビレましたよ・・・平成生まれの人でも彼女の名前ぐらいは聞いたことがあるはずなので、その圧倒的な存在感の片鱗は感じ取れたはずです。 2017年は2枚のアルバムを同時にリリースして世間を騒がせましたし、業界関係者やファンの間では2018年に完全復活するのではないかとの噂も浮上していました。 彼女の体調を心配する声もありましたが、ここ数年は中森さん自身のペースで芸能活動を行っており、バカンスを楽しむ余裕も見せていました。 そんな理由で2018年は2017年以上に芸能活動に本腰を入れ、中森明菜さんの元気な姿をTVにて拝めることを期待していていましたが、 2018年8月上旬のファンクラブの会報にて、 「さみしいねぇ…ほんとォーに…みんなに…会いたい…でも…無理かもぉー」 という悲痛なメッセージが・・・。 ファンとしては中森さんの体調が心配ではあるものの、一進一退の様相を呈している活動状況に 「じれった~い!じれったい!」思いをしているのは間違いありません。 ちなみに、中森さんの現在の主な収入源はチケット代が5万円前後とされている ディナーショーで得た収益 2016年・2017年のみ 、推定5000人とも言われる ファンクラブの会員による会費、その他 カラオケやCD・DVD、グッズ販売等による印税・・・ これ、ざっと計算すると 億に手が届く程の利益になります。 「全然テレビに出ていないのに、そんなに稼いでいるの?」 若い方はこう思うでしょうね。 ですがこれは、 「あの中森明菜ですから」 の一言で一掃出来る疑問です。 例えば、熱狂的な宝塚ファンは、退団後の男役スターにかなり高額のプレゼントをしますし、ジャニーズファンの女性は「推し」や「担当」を追いかけて全国を飛び回ります。 それと何ら違いはありません。 全盛期の彼女の活躍を知っている世代であれば、そんな事 テレビで見かけないのに高収入である事 を疑問に思わない程のスーパースターでした。 スポンサーリンク 中森明菜のプロフィール• 氏名:中森 明菜(なかもり あきな)• 生年月日:1965年7月13日• 出身地:東京都大田区• 身長:160cm• 職業:歌手、女優• 所属:研音 中森明菜さんは、6人兄弟・姉妹(2男4女)の5番目、 三女として生まれます。 兄弟姉妹たちは、父の名前にちなんで全員が「明」の付く名前であり、中森さんも同様の命名を受けます。 ちなみに、この「中森明菜」という名前は彼女の 本名です。 今ではちょっと珍しいですが、一昔前は本名で活動する芸能人も多かったんですよ。 幼少期からバレエ教室に通い、母の影響から歌手の夢を抱くようになります。 昭和に流行ったテレビ番組「スター誕生! 」に幾度となく挑戦していたようですね。 アイドル全盛期の当時、芸能活動と学業を両立する事がいかに難しかったかが良くわかりますよね。 まぁ彼女程のビッグ・スターであれば「学歴」なんて飾りにもなりませんが。 「飾りじゃないのよ」ならぬ「飾りなんていらないのよ」というわけです。 スポンサーリンク 中森明菜のデビューのキッカケ&経歴 中森明菜さんの芸能界デビューのキッカケは、16歳の時に出場した日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生! 」です。 「スター誕生!」合格を機に、「ワーナー・パイオニア」とのレコード契約を締結します。 1982年にシングル「スローモーション」で歌手デビュー。 ちなみに、初シングルのオリコン週間シングルチャートは、1982年5月10日付で初登場58位でした。 続いて、2枚目のシングル「少女A」が大ヒットしたこともあって、彼女の知名度は一気に上がります。 オリコン週間シングルチャートは、1982年10月に最高順位 3位を記録し、およそ40万枚の売り上げになりました。 「少女A」で世間の注目を浴びた頃ぐらいから人気音楽番組「ザ・ベストテン」などに出演する機会が徐々に増えていき、以降はシングルを出せば 1位は当たり前という状態でした。 「DESIRE -情熱-」などの音楽史に残る名曲もこの頃にリリースされ、昭和最後の歌姫としてそのポジションを確立していきます。 なお、余談ですが、DESIREの着物風衣装は明菜さんの提案だそうです。 これ、現代日本のセンスに当てはめても斬新でファッショナブルですよね? 振付のアレンジ等の音楽的センスのみならず、ステージ衣装も斬新なものを提案したりするなど、アーティスト、広い意味でのエンターテイナーとしての素質も彼女は十分に兼ね備えていました。 それに加えてアイドルらしからぬ独特の歌唱。 2017年に発売されたアルバム・DVDではリバイバルヒットとなった「ダンシング・ヒーロー」含むディスコソングのカバーも披露しました。 年々ヴォーカルに渋みが増していってる気がします。 中森明菜の歴代彼氏ってどんな人なの? まず一番有名なのは、言わずと知れた 近藤真彦さんとの熱愛です。 交際時期はアイドル全盛期で、当時は結婚間近と言われていましたが、 ある事件を機に破局を迎えます。 24歳の誕生日目前、彼氏であるマッチ(近藤真彦)の自宅の風呂場で自殺未遂を図ります。 左手首をかなり深く切ったようで、手術は6時間にも及んだとのこと。 原因は、同時期に話題になったマッチと松田聖子さんのニューヨークでの密会だったと言われています。 良きライバルとして君臨していた松田聖子さんと最愛の恋人マッチの密会・・・ まぁ〜これ事実なんでしょうね。 そんな理由でなぜそこまで?と考えてしまいますが、近藤真彦さんは彼女にとって 初恋の人だったとの事。 意外ですよね?きっと芸能活動が忙しくて、のんきに恋なんて楽しんでいる暇はなかったのでしょう。 加えて、日本のトップアイドルとして中森さんと共に甲乙つけ難い人気を誇っていたライバル松田聖子さんが密会相手であった事実・・・ 繊細な彼女は心に深い傷を負い、思いつめた結果の自殺未遂だったというわけです。 結局、この事件を機にマッチとの交際はストップしました。 中森さんが熱愛を報じられた芸能人は後にも先にもマッチぐらいです。 同年代から見て大人びた雰囲気が売りだった中森さんですが、これは アイドルとして売り出す為の事務所側の戦略でしかなかったという事ですよね。 本当の中森さんは 一途で純粋で、歌う事が大好きな普通の女の子だったのでしょう。 スポンサーリンク 中森明菜の現在の彼氏は年下マネージャー? では、そんな彼女の現在の彼氏は一体どんな人なのでしょうか? そこで浮かび上がった人物は、 4歳年下のマネージャーでした。 一度はメンタルがはじけて崩れかけた中森さんですが、公私ともに年下くんが彼女を支えて普段の生活も安定していたそうです。 が、 2014年、年下マネージャーとの同棲中に「40代の 神主と結婚?」というとんでもないニュースが報じられて話題になりました。 当時、年下マネージャーは以下のように発言していました。 『ボクは知らないし、知りたくもありません』と答え、本人に『聞きたくもありません』と言っていました。 この反応から、中森さんが掛け持ちしていた可能性は高いですよね・・・汗 ちなみに、ある週刊誌では別の男性が中森さんを支えていたという情報も出ていました。 ひょっとしたら、3〜4人で中森さんをフォローしていたということでしょうか?ありえないようで、あり得る話ですので妙にしっくりきます。 かつては純粋で一途だった中森さんは何処へ?とも思いますが、 事務所側の戦略通りのキャラクター になったと考えると、ファンから支持を失う事はありませんよね。 そもそも、中森さんのファンは熱狂的な方が多いので、そんな事ぐらいで「明菜愛」が冷める事はまずないでしょうが・・・。 ただ、2018年春時点では神主や別の男性との関係はストップしたと言われ、 年下マネージャー1本になっているという情報が有力です。 2017年の紅白歌合戦で元気な中森明菜さんの姿を拝めたのは、その年下マネージャーの支えがあったおかげでしょうね。 しかし、2018年のディナーショーの中止が発表されたのは、2018年8月頃にパートナーだった年下マネージャーとの 破局が原因であるとの噂も。 2019年は目立った活動がなかったので、2020年には是非ディナーショーを開催して欲しいものです。 中森さんに 結婚願望はないそうですが、恋人 パートナー との関係が安定していないと歌手活動に影響が出るというメンタル的な弱さを克服するのはなかなか難しいようです。 スポンサーリンク まとめ アイドル花の82年デビュー組の中でも 少し背伸びした大人の雰囲気を纏い、他のアイドル達とは違う存在感で人気を博していった中森明菜さん。 松田聖子さんと人気を二分した絶頂期は凄まじく、歌唱力もアイドルとして申し分ありませんでした。 そんな明菜さん、ファンや世間のイメージとは真逆の 繊細な乙女だったという事実に胸が締め付けられますね・・・。 彼女の芸能活動は一進一退のまさに 「じれった~い!じれったい!」状況ではありますが、各種メディアが未だに活動状況を注視しているこの現状は、 彼女がいかに 歌姫として抜きん出ていたかを表しています。 加えて、そのような活動状況が彼女に一層プレミア感を付与している気もします。 もうファンもメインの層は40代50代になりました。 カムバックを待ち望んでいるファン、伝説を胸に秘め思い出の中の中森明菜を聴いているファン等、様々だと思います。 個人的には、世間とのギャップに苦しんだ過去とは決別し、歌い手として等身大の中森明菜をファンにさらけ出して、これからも歌を歌い続けて頂きたいなと思います。 以上、最後までお読みいただき、ありがとうございました!.

次の