妻 が 膵臓 癌 に なり まし た モコ。 妻や夫が癌になったら。離婚を考えてしまうとき。

がんで入院中の妻への制裁・・・

妻 が 膵臓 癌 に なり まし た モコ

膵臓癌ステージ4bになってしまった妻の闘病ブログです。 2015年2月、妻の膵臓癌が発覚。 景色は一変。 全く予期しないいきなりの闘病生活。 ステージ4b 手術不能。 膵臓癌患者の夫という立場でブログを記しております。 誰かのお役に立てれば幸いです。 コメントはお気軽にお寄せください。 SeesaaBLOGに登録しなくてもコメントは出来ますので。 肝臓に転移あり。 胃空腸バイパス手術と経過観察の為、44日間の入院を経て退院。 浣腸して便と共にアンモニアを体外に排出し改善。 同時に輸血。 3月 胆管ステントが詰まり新しいステントに交換。 以前より細いステントになった。 5月 初めての腹水穿刺で4リットルの腹水を抜く。 同時にアルブミンの点滴も。 6月 腫瘍からの出血で胆管が詰まり胆管炎で入院。 内視鏡で胆管の詰まりを取り除き、留置中のステントの内側にもう1本ステントを追加で留置。 9月 また胆管が詰まり入院。 6月に追加したステントを交換。 その際の内視鏡で食道静脈瘤が複数ある事を確認。 退院3日後に高アンモニア血症による意識障害で再度入院。 点滴で改善。 10月 三度目の胆管炎で入院。 ステントを更に1本追加で留置。 これで胆管に留置されたステントは3本。 12月 またステントが詰まり肝機能悪化。 6月に留置したステントを交換。 ステント処置はこれで6回目。 抗生剤点滴するも炎症治まらず、7回目のステント処置。 2月 胆管炎でまた入院。 8回目のステント処置。 内側の2本のステントを交換。 4月21日 吐血 4月23日 下血 4月28日 食道静脈瘤破裂による出血性ショックで永眠。 享年60歳 最近の記事.

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膵臓癌ブログ10選 / 膵臓がんの闘病記まとめ

妻 が 膵臓 癌 に なり まし た モコ

膵臓は血糖値をコントロールする「インスリン」を分泌する重要な臓器です。 膵臓の病気と言えば「糖尿病」が有名ですが、膵臓癌も糖尿病との関連性が深く、糖尿病の疑いをきっかけとして発見されるケースもあります。 したがって、糖尿病患者の人は定期的に画像診断を行い、膵臓癌への警戒も厳に行われることになります。 そんなやっかいな癌である膵臓癌は、闘病生活も大変さを極めます。 今回は「膵臓癌の闘病記ブログ」を10選ご紹介します。 スポンサーリンク 膵臓癌ブログのまとめ10選 01. 膵臓癌と闘うおはぎときなこのブログ 絶対3%に入ってやる!• ステージ4• 職業は二人とも看護師なので病気のケアや知識については一般の方よりも造詣が深いということがブログからも伝わってきます。 両卵巣・リンパ節転移と、腹膜播種も見つかっており、ステージ4の膵臓癌です。 治療は現在化学療法(抗がん剤治療)を実施中。 光り輝くソラのブログ。 ステージ3• 現在は化学療法を行いながら仕事にも復帰されご家族と一緒に賑々しく日常生活を送っています。 ご存知の通り、抗がん剤は副作用が強く、化学療法中の患者さんが誰もが思うことの一つに「どうしてこんな辛い治療に耐えてまで生きていかなきゃならないの?」があります。 改めて、がん患者さんにとっての家族の絆の大切さがいかに重要か…、それを教えてもらえたような気がするブログです。 ステージ4a• 幸い予後が良好で、治療を続けながら少しずつ、諦めた人生を取り戻すべく現在は努力中です。 膵臓は「インスリン」を分泌する重要な組織であり、手術で完全に切除してしまうと「インスリン」が分泌できなくなってしまいます。 主人が膵臓癌になりました。 ステージ3• ブログのタイトル通り、ご主人が膵臓癌を発症し、その闘病記を綴っている家族目線で描かれたブログです。 ご主人の膵臓癌はステージ3。 ステージ3とは末期手前で合併症や転移なども見られるような状況ですが、手術を受け、現在は化学療法を実施中とのことです。 膵臓がんサバイバーへの挑戦• ステージ3• どちらも大変な病気ですが、見事に克服しています。 そんなオーナーさんの座右の銘は「がんとは闘え!死とは戦うな!」、そしてモットーは今ここにある自分を生き抜き「理想は100歳まで生きてがんで死ぬこと」なのだそうです。 スポンサーリンク 06. ハマリョウの膵臓がん初回手術から5年3カ月、奇跡的再手術から3年、元気に生きています。• ステージ3• 翌年2月に手術を行うも、2年後に再発、2度目の手術も無事に成功し、奇跡的に回復に向かっています。 実は「がん」は原発性(転移や再発ではないタイプ)よりも、再発性や転移性の方が厄介で、再発性のがんでの5年生存率は極端に低くなります。 Blues Power• ステージ4a• 2013年6月に膵臓癌が見つかり、現在闘病中です。 今も闘病の合間にライブハウスなどでバンド活動を行っていて、プロ並みのギターテクニックはブログ内の動画で拝見できます。 治療は化学療法をメインとして、新薬の治験を通じて新しい治療法にも積極的に参加。 膵臓は沈黙の臓器と呼ばれるほど痛みについては鈍感な臓器なので、緩和ケア(痛み止めによる疼痛コントロール)に関しては将来に備えて準備中とのことです。 今年(2015年)の7月からは治療に専念するために仕事を休職。 セカンドオピニオンや新薬治験のことなど、今同じ病気で戦っている人にとってはとても参考になるブログだと思います。 ステージ2• ご主人に膵臓癌が見つかり、メインとなる治療(手術+化学療法)に加えて食事療法も実践中。 手作りの野菜ジュースや玄米食など、患者さんとその家族にとっては気になる日々の食事について詳細に記述されているのでとても役に立つと思います。 特に膵臓癌では糖尿病の合併リスクが高いので、食事の内容には気をつけたいもの。 がん患者さんはともすれば辛い副作用のある化学療法を投げ出し、自然療法や食事療法だけで治そうとする心理状態に陥りがちですが、やはり適切な治療はがん克服のためにはとても大切です。 膵臓癌 ステージ4b• ステージ4b• 治療法/抗がん剤治療 闘病ブログはご主人が病人で、それを支える奥さんがブログを書いているというケースが多いのですが、今回紹介するこのブログはそれとは逆のケース。 奥さんが末期(ステージ4)の膵臓癌でそれを支える旦那さんがブログを書いています。 奥さんに見つかった膵臓癌はステージ4の末期状態ですでに手術は不可能。 現在は化学療法による治療を進めています。 同じようにがんと戦う奥さんをサポートしているご主人にはとても共感できる内容になっているのではないでしょうか? 10. 29歳、膵臓癌だけど生きる• 2013年に最初の膵臓癌が見つかり手術を受けるも、その後再発。 現在は抗がん剤治療を受けています。 あまりに若すぎる年齢でがんの中でもとりわけ困難と言われている膵臓癌にかかるというのは本当にお気の毒ですが、「生きたい」と願う気持ちが強ければ強いほど、がん克服のチャンスは広がります。 辛い副作用や痛みに耐えられるのも全ては「生きたい」と願うご本人の意志の力ゆえ。 まとめ 膵臓癌と糖尿病との因果関係について少し説明していきましょう。 血糖値をコントロールする「インスリン」という代謝ホルモンは私たちが生きていく上で非常に重要な物質です。 身体中の細胞はブドウ糖をエネルギーとして消費しながら活動を続けているため、細胞にブドウ糖を届けるインスリンが無ければ、臓器や器官はガス欠状態となり、多臓器不全を起こしてしまうからです。 インスリンは膵臓から分泌されるため、膵臓癌の手術で膵臓を摘出してしまうと、インスリンは分泌されなくなってしまいます。 これはステージ4(末期)の糖尿病と同じ状態であり、インスリンの自己注射が必要となってしまいます。 インスリンは自己注射でコントロールするのが非常に難しく、そこに抗がん剤の副作用が重なると非常に厳しい健康状態になります。 この、インスリンの存在が膵臓癌ががんの中でも取り分け治療困難なものである理由となっているのです。

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妻ががんになり、余命3か月を告げられました。

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末期癌に藁をも掴む温泉 末期癌に藁をも掴む温泉 妻が膵臓癌に冒され奇跡が起こる事を願い、ある温泉湯治場に同行したのが生前 最後の思い出となってしまいました。 同宿の食堂でお会いする若い女性は北区赤羽 にお住まいで何処の病院かは存じませんが、3週間抗癌剤治療し残り1週間はお休 みの為、この温泉に湯治に来られるそうです。 その方に現在開設しているHPにページを追加し結果をお知らせする約束をしまし たが、何せ人間一人死ぬと目が回る程忙しく落ち着きを取り戻した今、これを書き 上げる気持になりました。 癌末期と宣告されしかも余命まで言われてしまったのですから、目の前が真っ暗 になり頭がおかしくなりそうでした。 いいえ、既になっていたのかも知れません。 話は前後しますが、私は巨大胃潰瘍で入院した平成13年、その後必ず毎年1度受け ていた胃カメラ検査が平成15年も押し迫った暮に再検査となり、明けて1月初旬胃 癌と宣告され全身から血が引けて行くのを感じました。 その夜中に目が覚め、悪い夢であって欲しいと恐る恐る目を開けるが、夢ではない と現実に引き戻される気持ちは何とも言い様のない絶望感、不安感に襲われたもの です。 然し、なってしまった以上放っておけば命に関わる事から覚悟を決め、腹腔鏡で 受けるか開腹かどうか迷いましたが、その病院には残念ながらその設備は整ってい ない為、少々の痛みを我慢すれば馴染のある病院の方が良いと思い、主治医である M先生に全てをお任せする事にしたのです。 静岡県三島市に補修にお伺いした方は偶然にも眼科医でしたから、手術前ご相談に 乗って頂きました。 入院前にもあらかた検査を済ませると、なんと腸にもポリープ らしきものが2つあり、内視鏡による切除後の病理検査結果1つは癌でした。 幸いにも内視鏡にて摘出出来たのは幸いでしたが、開腹手術は免れた訳ではない。 然し、胃の検査も受けずにいて胃癌が見つからなければ恐らく大腸癌も発見されな かったであろうし、そのまま放っておいたらどえらい事となった訳である。 妻は私の病名が胃癌及び大腸癌という事で相当心配をした様であるが、私自身は 初期癌という事を主治医から聞かされていたので、胃の3分の2を切り取って貰え ばそれで済むと深刻には考えない事とし、 運を天に任せ一時の痛みを我慢すれば死刑場に連れて行かれる訳でもなし、まかり 間違っても殺される事は絶対あり得ない訳で、手術室に行く為ストレッチャーの上 から同室の他5人の方々に挨拶をし、エレベーターで地下にある手術室へと向かう 直前A看護師さんの驚きの声、 「堀江さん、心拍数、血圧等にも乱れがないのは何で?こんな人見た事ない」。 と 言われるが、私とて手術を受けるのは趣味でもなければ好みでもない、腹を括るし かなかったのです。 時に平成16年2月19日午後2時頃の事でした。 36年程前大腿骨骨折手術の時も、手術台の上であくびをして婦長さんにこんな人初 めてと言われたのを思い出しました。 この先病気、怪我とは無縁で畳の上で死ねた らどんなに幸せな事だろう。 人は何故に生まれ何故に死んで行くのか判らない。 術後2日目には起きて歩く様に手術前から指示されていた。 これは腸の働きを良 くする効果があり回復を早め、他の臓器との癒着を防ぐ意味で大切な事らしい。 胃の3分の2を切除された為、食べ物がいきなり腸へと落ちてしまうのかどうか分 かりませんが食事する度に激痛に襲われ、1日5回の食事がとても苦痛でした。 その頃になって妻も胃の痛みを訴えだし、売薬を飲んでも効果がない事から子供ら にも診て貰う様説得され、臆病な妻はやっと重い腰を上げ胃カメラ検査を受ける気 になったのです。 検査当日私はまだ入院中であり、回診も終わり点滴棒をお供にして地下室に降りる と喉に麻酔薬を含んでいる妻の姿があり、看護師さんは私の妻と知るや胃カメラ検 査の見学を勧めてくれました。 その時の検査医は私の主治医M先生でしたから、 見学させて貰うのも気が楽でした。 モニターを凝視して何もない事を心から願い、幸いにも検査結果胃には特別異常が なく、お薬を出して頂き服用してから嘘の様に痛みが消えたと喜び、毎日の様に病 院へと足を運んで来ました。 私は1ヶ月後の3月9日に退院の運びとなり、狭いながらも我が家は良いものと 感激に浸っている暇はなく、練馬区在住O様のご紹介で新宿区の方の修理を待って 頂いている都合上、退院その日にお伺いする事で心配した妻が同行する事とあいな りましたが、その後太っていた妻が除々に痩せ始めて来たのです。 ダイエットに挑戦し始め夕食のご飯を抜きおかずだけしか食べておらず、その成果 でスマートになって来たものと考えましたが、こんなにも早く効果が表れるのは妙 だとは感じておりました。 然しながら、一方で何処にも癌はないと言われていたのと痛みもないという事でと りたて気にしないようにしていましたが、月一度の定期検診で糖尿病と診断され、 糖尿病の食事療法を栄養士の先生より指導を受ける。 家族の者とは違う食事は、糖 分、塩分等カロリー計算された味気ないものです。 主治医も検査を進めて行く内、膵臓に異変がある事が判明細胞を採ったのであろう か、病理検査の結果はカルチノイドとの事でしたが、主治医は「僕の勘では癌の疑 いの方が強い」。 との見解をお話しなされた。 病理検査でカルチノイドと結果が出ているのに、それを何だって癌と決めつけるの だろうかと思ったものでした。 ところでカルチノイドとは何だろうとネット検索を するとどうも腫瘍らしい、腫瘍なら良性も悪性もあり、良性である事を願い癌だけ は回避したかったのです。 今まで病気らしい病気をした事がなく健康には自信があったのか、どうもそうで はなく、毎年役所から生まれ月近くになると必ず癌検診の通知が来ますが、一度も 受けた事がないのは先ほどにも臆病と書きました。 その結果が怖くて検査を受ける 事が出来なかった、という方が正しい様です。 また億劫という事も手伝い自分に限って、と誰しも都合の良い方に考えてしまうの が普通かも知れません。 故に検査を受けない結果に繋がっていたのです。 例え受け ていたとしても、他の臓器に囲まれた膵臓では見つからなかったとは思いますが、 出来た場所が悪すぎた。 入院と同時にあらゆる角度から検査が行われた。 同年7月20日開腹手術が決定的 となった時、妻の主治医K先生はお父さん(私の事)より時間の掛かる大変な手術 だよ、と妻本人を前に軽くおっしゃった。 「手術は眠っている内に終わってしまう し、目が覚めて痛ければ痛み止めの注射をしてくれるから頑張って」。 と、私は妻に勇気づける。 16年7月20日午後1時30分頃、手術に望む為、腕に1本の注射が打たれる。 これだ けで眠りについてしまう人もいるが、私は眠くはならず妻の場合どうだったのか良 く憶えていないのです。 恐らく気が動転していたのでしょう。 手術は8時間にも及び10時を少し回った頃終了を知らされ、お隣の奥さんと次女 さんの小学校2年生になる私どもが可愛がっていた一人娘もいてくれたが、家族の 者だけ手術室に来る様に指示があり、切除した患部等が金属で出来た皿の様な器に 広げられており、 膵頭部にガーゼを被せてから私達に触らせ硬くなっているのを確認させると、「こ れから病理検査に出す訳だが抗体が出来ているし、ほぼ癌に間違いない。 神経にも 他の臓器にも浸潤が認められており余命は一年位のもの」。 と宣告されてしまった のです。 何で我が家にこんな不幸が立て続けに起きるのか、人に迷惑を掛けて生きている者 もいる中でよりによって妻とは、何という運命の悪戯なのだろう。 今回この手術はバイパスを造って多少の延命措置をしただけで、受けなければ死期 がもっと早まるだけなのだ。 痛い思いをして待っているのは死とは残酷過ぎる。 最初糖尿病と診断されました。 糖尿病とは、食事後ある程度の時間が経過すると 糖分が血液中に吸収されます。 これは正常時であっても血糖値は必ず上がります。 それを押さえてくれるのが、膵臓から分泌されるインスリンです。 体内から出ないならば、外からインスリンを投与して下げなければなりません。 黄疸を軽減させる為、胆汁を体外に排泄するチューブが腹部から出ており、同じく 尿管、胃液は鼻から、点滴と何本もの管が痛々しくとても哀れでした。 糖尿病も黄疸も膵臓癌による合併症であった訳で、癌細胞の増殖により機能、若し くは膵管が詰まりインスリンの供給が行われない為、血糖値が下がらずまた、肝臓 に転移した癌が総胆管を塞ぎ、通常であれば十二指腸に行き消化を助ける役目の胆 汁が血中に入り黄疸を起こしたものでした。 手術は無事に終わったものの、これから悪くなって行くであろう妻をどの様にな だめ、またどう騙して行くかが脳裏をよぎりました。 妻は低分化癌で進行が早いと 言う事もお話下さいました。 術後も吐き気が止まらず検査は何度となく行われるが、レントゲン写真を撮る為、 口から飲んだ造影剤もきちんと排泄されるのは手術が成功して腸まで通っている証 拠であり、何故吐き気が治まらないのか主治医と他の外科医が集まり意見を交換し 合ったが、どう考えても不思議でしかなかったそうです。 毎日必ず面会に行く病室で主治医は、私と長女を見つけるとナースセンターまで何 度となく呼び、その説明と最早1年などはもたないだろうと死期が近い事が伝えら れる。 私も長女も大粒の涙が頬を伝わり、病室まで涙顔で戻る訳にはいかない為、 顔を繕って行かねばならないので更に時間が掛かり、その度何を話されているのだ ろうかと妻は気にして私達に質問してくるのだが、どうして吐くのか説明を受けた と誤魔化していったのである。 ところが、病名は伏せておいて欲しいとの切望にベテラン看護師さんが、ある日突 然病名を知らせてしまったのである。 これは穏やかではなくなってしまった。 何故云ってしまったのか理解に苦しむが、胃カメラ検査の時に見学を勧めてくれた あの看護師さんである。 (守秘義務違反) 私達を苦しめるお積もりですかと詰め寄りましたが、責めてみたとて本人が知って しまった以上どうにもなる訳でもなし、妻はさすがにショックを隠しきれない様子 で、「再発する癌なの」。 と質問された私は「俺の癌だってその可能性はあるのだ から、今はそこまで考えなくても良いのでは」。 とかわす。 吐き気さえ治まれば一時的にせよ退院出来るのだが、ありとあらゆる吐き気止め の薬を服用また点滴しても一向に治まらず、胆汁独特の黄色い液を吐き続け、 妻は口から内臓が飛び出すかと思う程苦しいと言っていました。 面会に行っても時折具合が悪いから帰ってという日があり、本人も私達も非常に辛 い時期でした。 因みに長女は住まいが横浜である事と子供がいない事で、泊まりが けで掃除、洗濯食事の支度をしてくれ大変助かっていたが、これとて限界の日は当 然やって来る。 主治医も吐き気止めを中止、精神安定剤に近い薬に変えた途端、嘘の様に治まって 16年9月13日退院となる。 吐き気さえなければもっと早い時期に退院が出来た 筈で、少しでも家の空気を味合わせたかった。 主治医は長くはない命だから何処かへ連れて行ってあげなさい、と勧めてくれるの で生まれ故郷の福島県東白川郡にある実家の亡き父のお墓参りに行こうと誘い、日 帰りを希望した妻の意見を尊重し、家族揃って9月26日常磐自動車道那珂インター まで車を走らせる。 義父も同じ膵臓癌ですが、妻は胃癌と勘違いしていた様です。 義母は当時89歳で今も健在ですが、まだ末期癌という事を伝えていませんでした。 病院から頂いた退院おめでとうの書類も空しく感じましたが、少なくとも私達家族 は希望を捨てる訳にはいかなかったのです。 これからが更に大変な時期を迎える訳で、何か良い手だてはないものか思案に暮 れる。 退院時に主治医がこれから黄疸がまた出てくるとの事でしたが、やはりとい うか黄疸が徐々に表れ始め、16年12月17日再入院となる。 最終的にはステントという血管等を開かせる金属?を体内に挿入して、胆汁が十二 指腸に落ちる様措置をとって下さり、明けて17年2月10日に退院となる。 初回 も2ヶ月半ほどの入院に本人も飽き飽きするが、具合が悪い内の退院はあり得ない のです。 痩せ衰えた妻は「病的な痩せ方ではないでしょう?」。 と言ってたが、 どこから見ても病的でした。 けれども、そうだねと言うほかありませんでした。 妻は大の赤ちゃん好きで、近所に子供が生まれると家に連れて来て、それはそれは 可愛がり実の孫が出来たらどうなっちゃうのかね、なんてよく言われたものです。 それが前述の小学校2年生の子です。 その他では、その母親の姉の男の子も可愛が り、私も可愛くって一緒に良く遊びましたね。 1月には次女が亭主転勤先の広島より出産準備の為に帰って来たが、普通であれば 母の手助けにより楽をしなければならない時期に、食事の支度やら毎日の面会通い と、いずれ来るであろう永遠の別れ、母の苦しむ姿から深い悲しみに暮れなければ ならず胎教にも良くないと思ったものです。 不妊治療の末待ちに待った妊娠、初孫が出来る事は喜んだものの2月に生まれた その頃には抱っこさえ儘ならぬ程に衰弱し、トイレにどうにかこうにか降りては来 ても、直ぐに上がって行ってしまう状態にまでなっていました。 時折孫の傍に座り 逆方向の床を見つめ続け、「このまま駄目になってしまうのかな」。 と、ポツリ呟く事があり私は「俺だって癌と闘ったんだから癌なんて跳ね飛ばす位 の気持ちがなければ駄目だよ」。 と、激を飛ばすが同じステージではない。 然し、 そう励ますしか術がなかったのです。 日を追う事に悪くなって行く姿に、心臓が破 れそうな気持ちはどの様に書いたら良いやら上手く表現できません。 いつの頃からか背中に痛みが出て来る様になり、背中をさすってと要求されもう良 いと言われても、娘達も代わる代わる手が疲れ切るまでさすってあげました。 同年 3月中旬になると黄疸が益々酷くなり、月1回の定期検診が来る前に病院へ行く様 に勧めるが、近所の友達にも「今度入院したらもう帰っては来られそうにもない、 でもまだ死にたくはない」と寂しげに言っていたそうで、ある程度までの推測して いた様にも思われる。 「定期検診の24日に行くから」。 と言う事に私も強くは言えず、妻の意志通りそ の日まで待って車に乗せる為外に出ると、黄疸の凄さに驚いてしまいました。 家の 中とは雲泥の差で目、頭の皮膚まで真黄色でした。 病院に着いて診察を受け主治医の「直ぐ入院して貰うよ」。 との言葉に判っていた のでしょう素直に「はい」と答える。 どんな形にせよ生きていて欲しい、指示さえしてくれれば食事の支度でも何でも 全てやるし口さえ聞いくれればそれだけで良い。 死んではならない・・・。 私の希望により外来診察室で主治医のK先生のお話を聞きたく、妻の診察券を受付 に出す。 程なくして呼ばれたが、妻は入院中である事から私とすぐ判ったそうで検 査のCTだかMRIだかの写真を見ながら、「こんなに進んでいるとは、僕も驚い た。 せいぜい1週間位だよ何処かへ連れて行ってあげたかい」と質問を受ける。 が、西洋医学の医師に医者も驚く奇跡の温泉というタイトルで、テレビ放送された 所へ湯治に行って来ました。 とはさすがに言えず、「温泉に」。 としか伝えらませ んでしたが、主治医も満足げに「そうかそれは良かった」。 と微笑む。 然し、家族の者はたった一筋でもその光の方向を定め、例え何十億分の1でも奇 跡が起きる事を願い、それを信じるしかなかったのです。 ここで医者も驚く奇跡の温泉の事に付いて少し触れてみたいと思います。 非常に 嬉しく、 これで命が救われると 錯覚 に陥る程でした。 読んでみて迷ったのが色々な温泉が紹介されていて、何処の湯治場に連れて行こ うか迷いが出てしまったのと、私が連れて行くにも仕事はどうする、仕事なんか考 えている時か、頭が混乱する。 然し、思い立ったが吉日で子供達も釈迦の霊泉を推 奨したので早速宿に連絡。 宿泊予約が取れた3月1日から5日まで兎に角行ってみようと、大急ぎ旅支度を始 める。 家を出る時、子供達に向かって「治って帰って来るからね。 」の妻の言葉が 今でも耳にこびり付いて離れません。 関越自動車道を利用し、水上インターチェンジまで急ぎました。 まだ雪深い季節で もありタイヤチェーンを新規購入し、万全と思いきや適合サイズなのにどうしても 装着出来ず、宿に携帯電話で連絡するとチェーンを持って来てくれて、上手い具合 ぴったりと合って雪の降る中取り付けてもくれ、おまけに帰りまでそのままで良い との事からつけっぱなしで、宿の方はとても親切でした。 (帰宅後、購入もとで確かめて貰ったらやはり駄目で返金してくれました)。 宿は標高750メートル程度の山間にあり、すれ違いは出来ないであろう道幅に降 りて来る車がない事を祈りながら、どうにか辿り着くと携帯電話は圏外が表示され ていて全く使えず不便を感じる。 早速温泉に入り、ご神水を日2リッター程度飲む 事を目標としました。 2階が宿泊室となっており、部屋は6畳程であろうかコタツとヒーターがあるだけ で洗面所、トイレはない。 窓から見える景色と言えば、山と降り積もった雪と駐車 場、ご神水を出荷するのであろうか宿の建物の外に建て屋が2軒、時々宅急便の車 が来る位の実に退屈な、正に湯治場という名が相応しい感じの所です。 反対側の部屋だったら裏山しか見えないのでなかろうか、としたらもっと退屈をし ていたに違いない。 館内にはビールの自動販売機が1台あり、その他飲料水の販売機は何処にもない。 ご神水を飲むに当たって旅館側の配慮なのだろうか。 売れない為、業者が来ないの かも知れませんが、1階は受付と食堂、男女別に入浴場、フロアー、そこには湯治 で病気が良くなったという手紙のコピーの様な印刷物が沢山置いてある。 (部屋にもあります)。 直ぐお隣の部屋の奥様は60歳代であろうか、着いたその日だけご主人は泊まると 一旦帰り、10日の予定で一人で湯治しその後迎えに来るとの事に、同じ様にもう少 し湯治に専念したらどうか勧めるが、人里恋しいから一緒に帰るでした。 (この簡に3人様からの修理ご依頼があり、帰らなければならなかった)。 ご神水10リットル入りを5個購入し、後の入院中にも幸い喉が渇くと言い3ケース と半分位飲んだでしょうか、然し、思いは空しく約1ヶ月後の4月7日午前9時25 分家族に看取られ、遠い世界へと旅立ってしまったのです。 昭和44年8月5日、18歳になったばかりの実弟を亡くし、祖母、母を送り今度は妻 です。 私は霊柩車に乗せられる瞬間がとても悲しいのです。 もう2度と家には戻っ てはくれません。 向かう先は火葬場だけですから。 温泉湯治、否定もしません。 肯定もしませんが、確かなのは妻の末期癌には効果 はありませんでした。 死亡前日の4月6日、苦しむ妻の状況を病院から電話連絡を 受ける。 到着すると、個室に移したいので了解をという病院側に同意し移動。 翌日4月7日当日、朝早く再び病院からの電話連絡がありとりもなおさず駆けつけ ると、酸素マスクを付けられた妻が何か言っているが良く聞き取れない、マスクを ずらし聞いてみると「痛い、何とかして欲しい」。 でした。 その事を看護師さんに伝えると、総師長にと更に伝えられ痛み止めのモルヒネを増 量しますが、それにより昏睡状態に陥るが宜しいかと説明されるが、痛みを感じる よりその方が良いと判断し、お願いして間もなく意識が混濁し息づかいが更に荒く なり、その後間もなく息を引き取ってしまいました。 これも生まれ持った運命といえばそれまでなのですが、死ぬ年齢にはまだ早いだけ にあまりにも悲し過ぎます。 昭和22年2月、早生まれの妻は58歳になって2ヶ月でした。 苦労ばかり掛けてし まい、私の高齢になった父を送りこれから本当の自由が待っているのに、と思うと ただただ残念で悔いが残ります。 現在97歳になる父に毎日の食事を考え掃除、洗濯と大変では有りますが、私には大 腿骨骨折手術のという深刻な持病も抱えているのです。 (加筆させて頂きます。 父は98歳になる一ヶ月前、平成20年末に永眠しました) 検査は受けましょう。 早い時期ならば、癌もそれ程怖い病気ではなくなりつつあり ます。 怖いのは手遅れです。 ひとつしかない命、家族を悲しませない為にも。 火葬場にて:酒の大好きな友人にビールのお酌に行った時、その友人も私にビー ルを勧めてくれたのに対し、「煙草も酒も止めたので」。 人生の生涯を閉じ、焼かれて骨になってしまう妻を待っている切ない時に過去に於 いて腹の立つ事全てを書いたらキリがないので止めますが、常識の欠片さえ持ち合 わせない低レベルの人間とお付き合いをして行かねばならぬのは非常に疲れます。 また人の良かった妻は病んだ友人には食事の買い物を、金策に困った友人には相当 な額で用立てたりと、生前お付き合いがあったにも関わらず一度も手を合わせにも 来ない薄情な人も何人かいて、人間様々と今回つくづく感じました。 【国民年金支給年齢引き上げ及び、死亡一時金の不満】 死亡後、年金の一時金請求を江戸川社会保険事務所にて手続きを済ませました。 今更知った訳では有りませんが、掛け金の全額が戻る訳では有りません。 遺族年金も支給されません。 掛けた年数によって決定されるので当然もっと少ない 人もいるでしょう。 しかも書類の下に小さな文字で厚生年金を掛けられた方は別途請求して下さい。 請求期限は2年。 気が付いたのは4年も経ってから。 社会保険事務所側は口頭では 一言も言わなかった、ふざけるのもいい加減にしろ。 人様の大切なお金を預かり、故橋本総理が訳の判らぬ所に使ってしまった事が大き くクローズアップされました。 然し、誰一人罰せられる事なく次から次へと無駄遣 いが暴露されています。 これ民間企業だったら業務上横領罪が成立しますでしょう。 事務所の担当者曰く、 「法律ですから」。 正に都合の良い法律だ、国が護られ国民が護られない現行法、 何処かおかしくないですか。 支給年齢が60歳から65歳に引き上げられました。 60歳から請求手続き可能という から加入した国民は多い筈、これでは詐欺行為です。 外国だったら暴動が起きかね ないと思いますが、日本はデモさえ起きません。 日本人は優しいのですねぇ。 これでは国はやりたい放題となるでしょう。 国民年金こんな様(ざま)だから、 加入する人が少なくなって当然です。 未加入者を責める前に、国は姿勢を正す必要があるのでは。 今回の衆院選投票率が 70%を超えるとは思ってもみませんでした。 郵政民営化より多くの無駄遣いを止め るのが先決ではなかろうかと思うのですが、ご感想など頂けたら幸いです。 話がそれてしまいましたが、湯治に行った時に撮ったです。 中国か台湾のご出身で明るく面白い先生でした。 「人間は悲しみを持って生まれて 来るんだよ、だから産声は泣いて来るでしょう、笑って来る子は誰もいないでしょ う」。 心よりお悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈り致します。

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